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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/06/17

アルカイック期の衣文が仏像の衣文に



ギリシアで彫刻や浮彫、壺絵を見ていると、日本の古い仏像の衣文に似たものが目に付く。特に新アクロポリス美術館に並ぶコレー像の衣文は、折り重なった衣文の端、衣端が規則正しくジグザグに並んでいて、上階のパルテノン神殿の盛期クラシック期のフリーズ浮彫などよりも、ずっと親しみの持てるものだった。
しかしながら、仏教美術から入ったというのに、このジグザグの衣文あるいは衣端にどのような名称があるのか、わかっていない。

アクロポリスのコレー680 後期アルカイック時代、前520-510年頃 アテネ出土 大理石 高さ115㎝ アテネ、新アクロポリス美術館蔵
中でも、最も整った衣文はこのコレー像の着衣だった。
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、「アクロポリスのコレーたち」のなかで最も典型的な着付けをした一体である。すなわちキトンの上に右肩から左脇下にかけてヒマティオンと呼ばれるマントをいわば袈裟懸けにしている。キトンの上縁と下縁に異なるメアンダー文様、その左肩の袖の部分にさらに複雑な同文様、マントにはメアンダー文様のほかに波頭の連続文様なども残存しているという。
衣文は規則正しく折れ曲がっているようで、柔らかな薄い衣が波うっている。しかも、その襞は一つ一つ異なっている。
そして、衣端には文様帯がある。

アテナ女神像 前520年頃 大理石 新アクロポリス美術館蔵
同じ頃、同じアクロポリスの丘に建てられた古アテナ神殿の東破風には、もっと大きなアテナ女神像が飾られていた。
大きいだけに着衣の表現もはっきりとわかる。長衣のキトンは衣文線が線刻だが、上着のヒマティオンはその凹凸が柔らかく表現されている。
右側に垂れたヒマティオンの端は、折りたたまれた襞が左右対称に並んでいる。
実際にこのような衣裳がどのような襞ができるのかよくわからないので、これが様式化されたもので、実際にはこうならないなどとは言えない。

アッティカ赤像式アンフォラ 前490年頃 ヴルチ出土 クレオフラデスの画家 ミュンヘン州立古代収集古代彫刻館蔵
キトンの襞は、左右対称に、規則正しくジグザグに描かれているが、薄手の襞の歩く度に揺れる様がよく表現されている。立体感さえ感じられる。
このような衣文を見ていると、中国の北魏時代の仏像や、日本の飛鳥・白鳳時代の仏像に見られる衣文の、平たい衣が規則的なジグザグ文で表されるのとの違いがよくわかる。


しかし、クラシック期になると、写実的な表現になるためか、衣裳が変わるからか、ジグザグ文も顕著には見られなくなってしまう。

アウゲイアスの厩掃除 初期クラシック期、前470-455年頃 オリンピア、ゼウス神殿東メトープ 大理石 高さ160㎝ オリンピア考古博物館蔵
上着はヒマティオンではなく、ペプロスとなっている。
体だけ前を向いたアテナのペプロスは、全体に左右対称に表され、その衣端はジグザグな線になっている。アルカイック期の女性像とはかなり異なっているが、まだアルカイック期の衣褶表現を引きずっているようにも見える。

アクロポリスのパルテノン神殿のフリーズ浮彫(盛期クラシック期、前442-438年)ではどうだろう。 

東面石板4の左半分 新アクロポリス美術館蔵
『ギリシア美術紀行』は、北面から来た行列を東面ほぼ中央で北側を向いて迎えている6柱のオリュンポスの神々のうちの3柱の神々であるという。

写実的なためか、繁雑とも思える衣文線となっていて、アルカイック期のようなジグザグの衣文線など残っていそうにない。本当に仏像の衣文へと繋がっているのだろうか。
しかし、中央の神の左肩に掛かった衣の端には、アルカイック期よりもずっと控えめな表現だが、ジグザグの衣文線が残っていた。

ラムヌス墓碑 初期ヘレニズム時代、前330-320年頃 ギリシア、ラムヌス出土 大理石 高さ181㎝ アテネ国立博物館蔵
男性像の左側に垂れる衣端には、古アテナ神殿のアテナ女神の着衣に近い、大きなジグザグの衣文線がある。

ミロのヴィーナス(メロスのアフロディテ) 後期ヘレニズム時代、前100年頃 メロス島出土 ルーヴル博物館蔵
前側から見てもわからないが、背後からなら、左端に緩やかにカーブしたジグザグの衣文線が見える。

アンティオコス1世の先祖 コンマゲネ王国、前1世紀中頃 トルコ、ネムルート山西のテラス南側
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、コンマゲーネ王国はイラン系アルメニア王国とセレウコス朝の血を引く混血の王家であったが、前1世紀の半ばにアンティオコス1世が即位して最盛期を迎えた。その彫刻様式もギリシアの写実様式を用いているが、線の美しさ、文様を詳細に描写する古代オリエントないし後2、3世紀の「パルティア」美術に類似する様式も加味しているという。
ネムルート山の浮彫には他にもジグザグの衣文線が見られる。それについてはこちら
王族の着けた長いマントの両側に、カーブしたジグザグの衣文線が表されている。

円輪光の礼拝 後1世紀 浮彫 片岩 26.7X23.5㎝ 大英博物館蔵
『ブッダ展-大いなる旅路図録』は、頭髪を結い髭面の梵天の姿は、顔容表現や線条で表す衣文の襞などの表現。ガンダーラの初期の作品と考えられるという。
まだ釈迦が人の姿として表されない頃でも、菩薩、天部などは像として表されていた。
衣端には緩やかなジグザグの衣文線が続いている。両脚の間に下がった衣端にも、ジグザグの襞がある。

出家決意 仏伝図 2-3世紀 片岩 ガンダーラ、ジャムルード出土 カラチ国立博物館蔵
同書は、眠る妃を残して太子は寝台に腰をかけ、決然と出家を決意するという。
時代が下がると釈迦は人の姿で登場するようになる。その着衣には、ジグザグの衣文線が表されている。

仏坐像 赤色砂岩 4世紀 マトゥラー クリーブランド美術館蔵   
『ブッダ展図録』は、マトゥラーはクシャーン朝(1世紀中頃-3世紀中頃)に引き続いて、グプタ朝(4世紀中頃-6世紀中頃)においても仏像制作の中心地であった。この像にはクシャーン朝からグプタ朝への過渡期的な造形様式の特徴が見られ、ポスト・クシャーン朝、あるいはむしろ初期グプタ朝の時代の作品とみられる。

衣文の襞を紐状に隆起させて、波紋状の美しい弧線を繰り返すのもグプタ様式の特徴で、本像もそれに近い流動的な衣文線を見せている。左手で握る衣端の垂下部のジグザグの襞などにも形式的な固さがあるという。
もう一つの仏像制作地マトゥラーにも、ジグザグの衣文線は伝播していた。

                          →中国でギザギザの衣文は

関連項目
ギザギザの衣文線は半島経由で日本にも
単独卍文の最古は
メアンダー文を遡る
卍繋文の最古は?

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「ブッダ展-大いなる旅路 図録」 1998年 NHK
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社