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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/02/16

神獣鏡が神仙思想を表していても

 
黒塚古墳には多数の銅鏡が副葬されていた。そのほとんどが三角縁神獣鏡で、1枚だけが画文帯神獣鏡だった。
神獣鏡には中国で生まれた神仙世界が表されている。そして中国の神仙思想が当時のヤマトにも入ってきて受容された(『シリーズ遺跡を学ぶ035最初の巨大古墳』より)とされている。 しかし、神仙世界を表した鏡がたくさん出土しているからといって、当時の権力者が思想を受容していたと言えるのだろうか。

仏像虁鳳鏡 湖北省鄂州市鄂鋼五里墩出土 径16.3㎝ 三国時代(呉、3世紀) 中国国家博物館蔵
『中国国宝展図録』は、虁鳳鏡は、2-4世紀頃、後漢から三国・晋時代にかけて制作された青銅鏡の一種。
上下と向かって左側の葉形の中に、頭のまわりに二重の円光が備わる如来坐像が表され、右側の葉形の中には、右向きの菩薩半跏像と、それに対置してひざまずく人物が表現されている。如来坐像の台座左右には、通例の獅子ではなく、長い首をもつ獣の姿が見え、その形姿からすると、龍をかたどったもののようである。これらの図像の意味はなお明確ではないが、中国の伝統的な図像の中に、新来の仏教図像がとり入れられていった過程を垣間見ることができよう
という。
仏坐像に表されるのは獅子だが、このように左右に置かれることはなく、マトゥラー仏ガンダーラ仏のように、必ず台座の下である。従ってこれは仏教の図像ではない。
ということは、中国の文物に仏像が出現したからといって、直ちに仏教への信仰が始まったとはいえないことになる。 揺銭樹にも仏像は登場する。

揺銭樹 陝西省城固県出土 後漢(2-3世紀) 城固県文物管理所蔵
揺銭樹は本来、中国古来の神仙思想に基づく西王母などの図像を伴うが、そこにも仏像が表されるようになった。
仏教伝来の初期に仏像が神仙と同様のものとして受容されたことをうかがわせる遺品
という。
当時の中国では、仏像が表されていたとしても、仏教の信仰ではなく、新たな神仙世界の一員と見られていたようだ。 同様に、日本の古墳に神獣鏡が副葬されていたことが、中国の神仙思想を受容したことになるとは言えないのではないだろうか。
たくさんの三角縁神獣鏡を墓室に入れるということは、昇仙へのあこがれというよりも、魔除けや権力の象徴とみた方が自然では。

※参考文献
「シリーズ遺跡を学ぶ035 最初の巨大古墳・箸墓古墳」(清水眞一 2007年 新泉社)
天理市立黒塚古墳資料館展示パネル
「中国国宝展図録」(2004年 朝日新聞社)