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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/09/11

生命の樹か鹿の角か

 
ティリヤ・テペ6号墳出土の金冠(前1世紀-後1世紀)は、外観が新羅の出字形立飾りのついた金冠(5-6世紀)よりも藤ノ木古墳(6世紀後半)出土の金銅冠に似ているが、他にも類似点がある。それは「剣菱形飾り」が樹木の先についていることだ。
その剣菱形飾りがパジリク出土の壁掛けにもあった。

王権神授を表した壁掛け スキタイ・シベリア パジリク5号墳出土 フェルト 全体450-650㎝ 前5世紀末-4世紀初 エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、5号墳の墓坑は広さが6.65X8.25mで、その中に丸太を組み合わせた3.4X6.4mの外側の木槨と、2.3X5.2mの内側の木槨があった。この壁掛けは、墓坑と外側の木槨とのあいだの空間に、9頭の馬の遺骸や四輪車、絨毯などとともに、丸めておかれていた。
手には枝が曲がりくねった木を持っている。木には開いた花、石榴のような実、先の尖った葉がついている。このような木は西アジアの古代美術にも登場し、そこでは「生命樹」とか「聖樹」「宇宙樹」などと呼ばれ、王権、支配権の象徴と考えられている
という。
女神の持つ枝の先端に幾つかつけられた「先の尖った葉」が剣菱形飾りによく似ている。
女神の前にいる騎士はこちら「生命の樹」は、木の枝というよりも、アルジャン出土の鹿の角に似ている。鹿の角に葉や蕾、花をつけたようにも見えるなあ。

鹿形帽子飾 前7世紀末 金製 高6.8㎝ トゥバ、アルジャン2号墳出土 エルミタージュ美術館蔵
『スキタイと匈奴』は、爪先立った鹿は初期スキタイ時代のモチーフであるという。
鹿の角の枝が1本1本大きく曲がっているのことも特徴的だ。 その曲がった枝角が、パジリクの絨毯では、女神の持つ曲がりくねった枝になっていったのではないだろうか。
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、表現されている動物のなかでもっとも多いのは鹿である。鹿の特徴はなんといってもその立派な角にある。角は古代社会ではしばしば豊饒や再生のシンボルとみなされていた。スキタイの鹿もそれらの願いの象徴だったのであろうかという。
パジリク出土の壁掛けで、女神が持っているのが木の枝ではなく鹿の角だとすると、どこかであるいはパジリクで角が鹿の体から独立したことになる。そしてどのような経路でか分からないが、やがて新羅の金冠に立飾りとして鹿の角が出現することとなったのでは。
その中継点にあるのが蒙古自治区出土の鹿角馬頭形歩揺飾(3-5世紀)とか。
そして、独立した鹿角に、「出」「山」字形樹木の系統が組み合わされていったのが新羅の金冠かも。

パジリク、アルジャンの位置はこちら
ティリヤ・テペ、新羅、藤ノ木各古墳出土の金冠、蒙古自治区出土鹿角馬頭形歩揺飾については、歩揺冠は騎馬遊牧民の好み?剣菱形飾りは新羅?-藤ノ木古墳の全貌展より慶州天馬塚の金冠慶州天馬塚で出土した金製附属具は内帽の揺帯?



関連項目

生命の樹を遡る

※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「興亡の世界史02 スキタイと匈奴遊牧の文明」(林俊雄 2007年 講談社)