ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/09/01
首飾りに円筒印章は?3
前2千年紀前半の首飾りや、首飾りをした人物の像はあったが、以降前2千年紀後半までどちらも見つけられなかった。
首飾りのビーズ玉 前13-12世紀 種々の石 長46㎝ マリ、133号墓出土 ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、マリの墓はどれも装身具をたくさん納めている。それらは男女とも区別なく身に着けた。当時最高の贅沢品は、紅玉髄やラピスラズリのような宝石を用い、ビーズ玉や凝った細工の金の座金と組み合わせたものである。この作品のような少し地味な首飾りは、印章彫刻では需要の多かった瑪瑙、トルコ石、石英、オニックスのような硬い石を用いた。ビーズ玉はサイズがいろいろだったが、当時初めて切り子の偏菱形に作られたという。
円筒印章に使われた石をつないでいるが、この中には円筒印章は含まれていない。
重苦しい印象のする首飾りである。 ビーズ装身具 前1千年紀 ギーラーン州ジューボーン出土 ファイアンス・瑪瑙 イラン国立博物館蔵
マリ出土の首飾りよりも軽やかな感じを受ける。
前2千年紀初頭の首飾りにラピスラズリが使われてるのは珍しいということだったが、前1千年紀にはラピスラズリは使われなくなり、同じような色のファイアンスに代わったのだろうか。 石製板浮彫 狩りの後の儀式 前875-860年頃 ニムルド北西宮殿B室石製板20下部 縦90.0横225.0厚10.0 大英博蔵
『アッシリア大文明展図録』は、王冠は、帯状髪飾りのついた標準的なものであり、手首にはロゼット文の飾りのついた腕輪をはめている。連珠の首飾りは、王の首の後ろで結ばれた房飾りによってバランスが保たれているという。
房飾りの一方は肩胛骨のところまで、もう一つは幅広のベルトのところまで垂れているので、首飾りの端としたら、太いし長すぎるように思うが、「バランスがとれる」ということは、首飾りがかなり重かったことを示しているのだろうか。
首飾りは2連で、あまり大きな玉はなさそうだ。マリ出土の「切り子の偏菱形」の似た形の玉と小さな玉を繋いでいるようだ。 石製板浮彫 守護精霊 前875-860年頃 ニムルド北西宮殿Z室a出入口 縦224.0横127.0厚12.0 大英博蔵
『アッシリア大文明展図録』は、おそらく「アプカルル」と呼ばれる精霊で、王の私的な部屋の入口を守護していた一対の精霊像のうちの一方である。
帯状髪飾りと手首の腕輪にはロゼット文の装飾が施されているという。
精霊の首飾りは、一粒一粒がしっかりと彫られているので形がわかりやすい。前2千年紀後半に、切り子で偏菱形のビーズ玉が初めて作られたというが、もう少し時代が下がるとソロバン玉に近い形になっている。
全く同じ形で同じ配列のものを2連重ねてつけていて、中央のものはやはり髭に隠れてわからない。
王の房飾りよりも短い房飾りが精霊の背中に見えるので、軽い材質のものかも。 レヤード夫人旧蔵の装身具 前2300-350年頃 さまざまな貴石と金 大英博蔵
『アッシリア大文明展図録』は、金製の台には、新アッシリア時代の円筒印章を模した山形文の縁飾りが施されたり、アッシリアのライオンの頭部や松かさのモチーフが使われている。円筒印章の1つはアッカド時代(前2300年頃)の作で、4個は前2千年紀の作、そして8個は新アッシリア時代の作である。新バビロニア時代とアケメネス朝時代(前600-350年頃)のスタンプ印章は、ペンダントと留め金の部分に使われているという。
考古学者レヤードが発掘で掘り出したものをこのように加工したのだが、実際にこのような首飾りはなかっただろうなあ。 結局円筒印章を首飾りなどにして身につけている像というのは、どの時代にも見つけることはできなかった。
丸彫りの像や浮彫は、祭祀の時に祀られたり、儀式の時や戦いの場面を表したものが多いので、そのような時に円筒印章を身につけるという習慣がなかったのかも。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「アッシリア大文明展図録」(1996年 朝日新聞社)
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」(2006年 朝日新聞社)