滋賀県の石山寺は山寺で、石段をかなり登ったところに毘沙門堂や蓮如堂があって、その段からやっと多宝塔が岩の上に見える。本堂は左の端にある。
この岩は硅灰石という石灰岩が花崗岩の熱変成をうけたもので、「石山」寺の名の由来になっているそうだ。
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『週刊古寺をゆく27石山寺と湖東三山』は、近年の調査で、頭部内から「アン(梵字で書かれている)阿弥陀仏」の銘が発見されて、安阿弥(アンナミ)時代の快慶の作であることが判明した。多宝塔は1194年(建久5)に建立されたが、この像もそのときに制作されたと考えられているという。
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石山寺多宝塔は建久5年の建立で現存木造多宝塔の最古の遺構である。もっとも河内金剛寺の多宝塔が文献的には古いが、慶長時代の修補が多く、遺構的には、石山寺のが最古といえる。
屋根は檜皮葺で、軒出は上層下層ともに深く、勾配は、緩やかにして低い饅頭形をおき、下層軒組には間斗束(けんとづか)を置き、その廻縁には勾欄を作るなどゆきとどいた造形であるという。
この塔が優美とという印象を与えるのは、全体のバランスが良いだけでなく、檜皮で葺かれた屋根の柔らかな曲線かも。
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現神戸大学名誉教授の田淵俊樹氏の講座を以前聴講した時のノートには、根本大塔が真言宗における新しい建築(五間多宝塔)であるが、三間多宝塔が最も多い。根本塔は、世界の中心に存在する大日をお祀りする建物だが、法華経に出てくる多宝如来のいる塔と習合して、このような多宝塔になったと書いている。
多宝如来のいる塔についてはこちら
※参考文献
「日本建築史図集」(日本建築学会編 1980年 彰刻社)
「週刊古寺をゆく27 石山寺と湖東三山」(2001年 小学館)
「日本の美術77 塔」(石田茂作編 1972年 至文堂)