お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/09/25

ブハラのサーマーン廟


『季刊文化遺産13古代イラン世界2』の「サーサーン朝の都市と建築」で岡田保良氏が、正方形につくって丸屋根のドームを架けた建築がサーサーン朝ペルシアの世界で発達を見た。とくに「四つのアーチ」を意味する「チャハルターク」というゾロアスター教の神殿建築様式として広く受け入れられたと著しているが、残念ながら、そのようなゾロアスター教の神殿は現存していない。
多くの方のイラン旅行のウェブサイトでゾロアスター教の神殿としている、ナグシェ・ロスタムにあるドームのない建物は、平面が正方形でもない。澤野建築研究所の建築紀行イラン3-ペルセポリス2にはその画像と神殿とは特定できないことが記されています。

『イスラーム建築の見かた』で深見奈緒子氏は、・・略・・ 先のクッバット・スライビーヤは、一説にはカリフの母親であるキリスト教徒出自の女性を納めた墓だともいわれる。しかし、その形をみると煉瓦造りで、移行部にもスクインチを使っており、サーサーン朝に遡る古代ペルシアのドームの影響が大きい。これに継ぐ古さを誇るサーマーン廟は、ブハーラにあり、ゾロアスター教のチャハール・ターク(拝火神殿)を写し取ったような形であるという。


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四つのアーチを意味するチャハール・タークとは、聖なる火を祀る拝火壇で、四角い部屋の四方にアーチを開口させ、その上にドームを戴く。
サーマーン廟は、中央アジア一帯に支配を確立したイスマーイール・サーマーン(849-907年)の墓として有名である。近年、建設年代は10世紀半ばまで下り、被葬者はサーマーン朝(873-999年)の皇子ではないかと言われている。

サーマーン王朝時代の文化、つまりペルシアの伝統文化とアラブ・イスラムの文化、それからソグド地方の固有文化の特色をよく具現した貴重な建築物であることはいうまでもない。前嶋信次著『シルクロードの秘密国』
このような四角い部屋にドームを戴く建築が最も世界中に普及した形で、キャノピー・トゥーム(天蓋墓)と呼ばれる。10世紀初頭以来今日まで、マグリブから中国、インドまで広まった
という。

高昌故城β寺院講堂のドームは風化したためか天蓋よりも、青空天井と言った方が良いくらいだったが、サーマーン廟は、10世紀半ばともなるとドームはほぼふさがっている。
平たい焼成レンガで円形に持ち送っていくと自然にドーム屋根ができていくのが、この天蓋の写真でよくわかる。

また、サルヴィスタン宮殿(イラン、5世紀半?)の大ドームを支えるスクインチ(一般にはスキンチと記される)部分が、サーマーン廟ではもっと整った形となってドームを支えている。
『世界のイスラーム建築』は、内部に入れば、四角い部分から円形のドームへと移行するために、四隅にアーチを架けて、八角形を導き、さらに水平な梁で十六角形を導き、その上にドームを架けている。スキンチ・アーチ(四隅のアーチ)の中には、ムカルナスの祖型となった小曲面が見えるという。
天蓋墓と呼ばれるイスラームの墓廟は、西域でも見かけた。トユク石窟を見学するために、トルファンから火焔山の南を東進し、やがて火焔山の中に入っていった。火焔山と同じ色をした土で造られたイスラームの民ウイグル族の墓が点々とあった。
ガイドの丁さんが、市場はバザール、お墓はマザールです。丸い屋根のお墓には4人入ります。6人の家族の場合は、大きなお墓1つと一人ずつのお墓が2つですと教えてくれたのを懐かしく思い出す。
上のトユク村の墓はやや尖頭形のドームだったが、トルファン近郊の蘇公塔のあるモスクに付属の墓地にも天蓋墓はあった。こちらは丸みのあるドームに仕上がっていた。これが、サーマーン廟から広まったイスラーム教徒の墓であったとは。

関連項目

ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟2 内部も美しい
ムカルナスとは
ムカルナスの起源
サーマーン廟のスキンチはイーワーンに
スキンチ部分のムカルナスの発展

※参考文献
「季刊文化遺産13古代イラン世界2」 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「世界のイスラーム建築」 深見奈緒子 2005年 講談社現代新書1779

※参考ウェブサイト
澤野建築研究所建築紀行イラン3-ペルセポリス2