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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/03/31

皇南大塚北墳出土の金製腕輪は北魏系ではないらしい

 
皇南大塚北墳(5世紀後半)出土の金製腕輪は、『世界美術大全集東洋編10』は、藍色玉・青色玉をを嵌め込んで装飾としているという。小さい石の形をそろえて象嵌してあり、金が回り、更に粒金が巡っている。そして粒金も小さく大きさがそろっている。もう一つの特徴は金の細線の両側に粒金が並んでいることだ。 そういう技法に最も近いのは、この鹿角馬頭形歩揺飾ではないかと思う。この歩揺飾は1981年に内蒙古自治区烏蘭察布盟達爾罕茂明安聯合(ダルハンムミンガン)旗西河子から出土した。
『中国☆美の十字路展図録』は、イラン系遊牧民族起源と考えられる。晋書には歩揺冠を好んだ鮮卑族慕容部の人々は歩揺と呼ばれ、これが訛って慕容部の名前となったと伝えられるという。
鮮卑慕容部が草原の道経由で交流のあったイラン系遊牧民からもたらされたこの歩揺飾は、慶州皇南大塚北墳より出土した金製腕輪(5世紀後半というのは最終的に副葬された年代)が慕容族から新羅へ贈られたイラン系遊牧民の腕輪であることを示しているのかも。
尚、この歩揺飾は象嵌されたものの色彩が豊富だが、ガラスも嵌め込まれていたという。ガラスだとしても透明ではなかったのか、風化したのかわからないが、新羅で出土する青い透明ガラスを嵌め込んだものとは異なって、枠に合った形で、しかも球状に盛り上がっていない。 同じ鮮卑族で北魏を建国した拓伐部には同じようなものはもたらされなかったのだろうか。

指輪 内モンゴルフフホト市郊外区出土 高4.2㎝ 北魏(386-534年) 内モンゴル博物館蔵
『図説中国文明史5』は、羊をかたどり宝石を嵌めこんだ金製指輪。鮮卑は匈奴の伝統を受け継ぎ、黄金製の装飾を愛好したことから、工芸品はいっそう精巧さと美しさを増し、宝石の象嵌技術は非常に高かったという。
同じ内モンゴル自治区から出土して、石の象嵌や粒金という細工は同じだが、上の2点ほどの技術の習熟がみられない。しかし類似のものは将来されていた可能性を示すものだろう。
このような技術が匈奴の伝統というのは、上の解説とまとめると、匈奴がイラン系遊牧民ということになる。しかし、まだ匈奴がイラン系かモンゴル系か結論は出ていないはず。 鍑はフン族の特徴というが、これぞ匈奴独自のものというのはあるのだろうか。

金製腕輪について詳しくはこちら
鹿角馬頭形歩揺飾について詳しくはこちら
新羅出土の盛り上がったガラスの象嵌についてはこちら

※参考文献
「日本の美術445黄金細工」(河田貞 2003年 至文堂)
「世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗」 (1998年 小学館)
「黄金の国・新羅-王陵の至宝-展図録」(2004年 韓国国立慶州博物館・奈良国立博物館)
「中国 美の十字路展図録」(2005年 大広)