ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/03/27
ガラス象嵌の金製装身具は新羅製?
新羅の古墳群から出土した豪華な副葬品は、どこからもたらされたのか、寄り道しながら探している。味鄒王陵地区古墳公園(大陵苑)出土の装飾宝剣は、金に瑪瑙の象嵌でフン族のつくったものらしいことがわかった(新羅の装飾宝剣とフン族)。
しかし、皇南大塚北墳(5世紀後半)出土の金製嵌玉釧はフン族の象嵌と細粒細工とは全く似ていない。まず象嵌されている貴石が瑪瑙の赤一色ではないことだ。『世界美術大全集東洋編10』は、藍色玉・青色玉をを嵌め込んで装飾としているという。「玉」というのは中国で金以上のものとされる「ぎょく」のことだろうか?「玉」が貴石か「ぎょく」かわからないが、瑪瑙がないという点で、フン族とは別の集団が作った物のように思う。
腕輪 金製 皇南大塚北墳出土 韓国・国立中央博物館蔵
『日本の美術445黄金細工』は、主葬者の夫人である慶州・皇南大塚北墳からは、外周に環玉を廻らした豪華な腕輪をはじめ、5対の金製腕輪が出土したという。
環玉のものは前述したもので、遊牧民の色彩の強いものに見える。そして確かに貴石あるいは玉を象嵌している。しかもその石は薄い。
ところが、この腕輪に象嵌されているのは、薄い玉でも貴石でもない。深緑色のものが今にも落ちそうに盛り上がっている。そして不揃いだ。どうも石ではなく、同じ慶州の金鈴塚出土の耳飾りや指輪と同じようにガラスが嵌め込まれているように見える。
そして、ガラス粒のはずれた金環を見ると、粒金がめぐっているのではなく、粒金のように細工した金の細い輪のようだ。それに輪の大きさもまちまちだ。 一見貴石象嵌と粒金を駆使した腕輪のように見えても、これは遊牧民のこなれた技術ではなかった。それをまねようとしたこのようなガラス象嵌の装身具は、ひょっとして新羅でつくられたのかも。
※参考文献
「日本の美術445黄金細工」(河田貞 2003年 至文堂)
「世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗」 (1998年 小学館)
「黄金の国・新羅-王陵の至宝-展図録」(2004年 韓国国立慶州博物館・奈良国立博物館)」