天馬塚は大陵苑にあり、内部を見学できる唯一の積石木槨墳だ。『黄金の国・新羅展図録』は、積石木槨墳とは、地上あるいは地下に被葬者を安置した木棺と木槨を設置した後、人頭大の河原石で木槨を覆い、さらにその外側に盛土を盛ってつき固めた墳墓で、新羅だけにみられる独特な墓制であるという。
『韓国の古代遺跡1 新羅篇』は、1973年に文化財管理局によって発掘された。東西60m南北51.5m高さ12.7mの円墳。皇南大塚の南墳の規模に匹敵するほどの積石木槨をしつらえ、槨内には四周に石壇をめぐらした木棺と、その短壁の外側に副葬品収蔵櫃が置かれていた。被葬者は、山字形金冠を有することから、王級とみられるという。
金冠が出土することがこの時代の王陵の条件らしい。天馬塚出土の金冠はこちら

確かに内部は半分が見学できるようになっていた。いくら壁面に石が積まれていても、この空間いっぱいに石が詰まっていたことは実感できなかった。出土物のコピーが展示されていたり、木棺内部の出土状況も復元展示(もちろんコピー)されているので、博物館に入ったような印象だった。

『図説韓国の歴史』にその発掘の様子が記載されていた。
① 発掘前の測量の様子。民家がせまっていても、よく残っていたものだ。



積石は木槨上にも置かれたが、木槨が破損して槨内に積石が入り込み、その分中央に土が集まっていたらしい。

校倉風というのが興味をそそられるなあ。
ところで、何故天馬塚と呼ばれるかというと、『黄金の国・新羅展図録』は、この古墳からは、飛翔する天馬が描かれた2枚の障泥(あおり)が出土し、天馬塚と命名されることとなった。障泥とは、馬に騎乗し走る時にはね上がる泥が騎乗者の服につかないように、馬の腹部両側に垂らされた方形板のことである。155号墳から出土した障泥は、白樺樹皮を何枚か貼り合わせた後に、糸で縫い合わせたもので、、その縫い目は縦・横・斜めにそれぞれ14例ずつある。また、周縁には皮革を貼り合わせているという。
翼はないようだが、口から何か吐きながら走る白馬の四周には、大きなパルメット文のようなものが帯状に並び、白馬の画面四隅には白色で同じものが描かれていて、西方の舗床モザイクを思わせる。天馬だけでなく、これらの文様もシルクロードを翔たのだろう。

※参考文献
「韓国の古代遺跡1 新羅篇(慶州)」(森浩一監修 1988年 中央公論社)
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「黄金の国・新羅-王陵の至宝展図録」(2004年 奈良国立博物館)
「天馬 シルクロードを翔る夢の馬展図録」(2008年 奈良国立博物館)