金堂は床下は竜が入れるように空洞が造られていたというが、金堂の基壇はかなり高く造られている。その空間のために高くしたのだろうか。今は金堂南側の階段は木製だが、その左側(西)に八角柱が転がっている。下部は丸く削られ、それに接する石が軸受けとなっていたのかなと思う。もしそのようなものだったら、この八角柱は扉の一部だったのか。こんなところに扉があるというのも妙だが。



『慶州で2000年を歩く』は、これは「卍」を崩したものとか、韓国の国旗(太極旗)の中央に使われている模様(太極模様)をあらわしたものといわれる。太極は東洋思想の基本になるもので、そこから陰陽の気が生じ、さまざまなものになっていくというがどうだろう。もっと下までみえたらいいのに。

※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
※参考サイト
慶州へ行こうの感恩寺