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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/04/07

塩野古墳が六角形というのは珍しいらしい

中国自動車道の山崎インターから数㎞東に流れる林田川及び川に沿う国道29号線の西側の山に、塩野六角古墳があるという。文字通り六角形で、明日香村のマルコ山古墳と同じ、珍しい形の古墳だということを朝日新聞の記事で知った。(下図は塩野六角古墳公園の説明パネルを写したもの。以下同じ。下側のピンクの丸が同遺跡です) 国道29号線からよく見える位置にあった。山裾は現代の墓地となっていた。壁面に沿って歩いていくとあっけなく古墳があったが六角形ではなかった。説明板は、この古墳は、わずかに残っていた周囲の溝から、7mの円墳であると推定され、六角形古墳とあわせて県(兵庫)指定文化財になっているという。入口はふさがれていた。階段を上った先に見えるのが六角古墳だろうか。 しかし、近づくとそれは六角古墳へと続く斜面だった。 長い斜面の階段を上り詰めて左へ折れるとまた階段があった。あれが六角古墳か。下の段には説明パネルがずらずらと並んでいた。無人で冊子も置いていないが、詳しい説明があった。 やっと六角古墳を見ることができた。説明板によると、塩野六角古墳は、7世紀の第3四半世紀(651-675)に造られたお墓です。平面形は六角形をしており、規模は対角長で約7mと小規模ですが、日本に最初に六角形の古墳として確認されたものです。誰のお墓かはわかっていません。
7世紀から8世紀にかけて六角形や八角形の古墳がわずかながら造られていますが、八角形古墳の多くは天皇の墓と考えられていますので、都の風習を取り入れたこの地方の有力者の墓ではないかと考えられてい
るという。 石室内部は、全長4.4m、開口部幅1.1m、奥壁幅0.8m。石積みは1.3m残存していますが、天井石の転落状況から、これが本来の高さと思われます。奥壁側には5個の角礫を用いて棺台としています。被葬者については、不明ですが、「播磨国風土記」の中に出てくる守里の里長「山部三馬」を始めとする山部氏の墓の可能性があるという。有年の木虎谷2号墳よりもずっと狭い。高松塚古墳に近いかも。 では一回りしてみよう。確かに角張っているのがわかる。真後ろから見ると六角形であることが分かり易い。 高い方よりも低い方の辺が長いなあ(当たり前か)。発掘状況と図解のパネルもあったが、正六角形に見える。 全国にある多角形古墳の図が示されていた。こんな高いところに、しかも山の斜面に古墳を造って、当時の最新流行の多角形にして、自分の、あるいは一族の威信を示したのだろうか。説明パネルによると、被葬者が支配した地域を見下ろす丘陵上に作られるのは古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)のことらしいが、塩野六角古墳は7世紀後半である。長い年月の間、この地を治めていた長たちがこの斜面に古墳ほ築造し、時代が下がっても丘陵に造っていたのかも。
それにしてもこの急斜面。階段があるとはいえ、足腰の弱い人だけでなく高所恐怖症の人も見学は無理だと思う。