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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/04/04

蟻無山古墳は山頂に、木虎谷古墳は山裾に

有年原・田中遺跡公園で近くにも古墳があることを知り、ついでに行ってみることにした。 蟻無山古墳は、有年原・田中遺跡公園に来る途中にあった立て札の古墳らしい。遺跡公園の駐車場に車を置いたまま歩いていった。蟻無山はわかったが、どこから登るのかわかりにくかった。
林道を歩いていくつもりでふと脇道の方を向いたら、遺跡の立て札があり、直径52m、高さ7mの帆立貝式古墳と言われ、円筒埴輪形象埴輪、初期須恵器などが見つかっているという。田中1号墳と同じ形だが、古墳時代になってからのものらしい。  山登りをするとは思わなかった。といっても標高は70mあまり。 別の説明板があり、昭和36年(1961)に実施された地形調査によって、径約40m、高さ約3mの円墳と考えられる。南に造出しを有し、河原石を利用した葺石と多数の埴輪を備えている。埴輪は、円筒埴輪のほか、馬・キヌガサ・盾などの形象埴輪が出土している。主体構造、埋葬施設については不明であるが、立地、墳形から竪穴式石室の中期古墳と考えられるという。帆立貝式古墳やなかったのか。
古墳時代中期というと4世紀末から5世紀末(Wikipediaより)頃のものらしい。御破裂山山頂の藤原鎌足の墓だけでなく、山頂に墓を造営するということは行われていたのだ。千種川が見えた。この川沿いにも古墳は点在しているようだ。 このあたりの山は宝台山塊というらしい。その南山裾部には横穴式石室を有する後期古墳があり、北の西野山とこれに続く中山にも中、後期古墳が多数分布するという。ついでに見に行こう。 しかし、こちらはもっと見つけるのが困難だった。結局民家の敷地を通らせてもらい、古墳の場所も聞いて、竹林の中にやっと1基見つけることができた。
横に説明板があり、木虎谷2号墳ということがわかった。壁画で有名なキトラ古墳も「木虎」かも。石室は全長9.5mを測り、そのうち両袖となる玄室は長さ5.3m、幅2.2m、高さ2.4mである。この石室の奥壁部分の高さ約1.3mのところに奥行1.3m、厚さ0.45mの板石がはめ込まれている。 これは「棚」と呼ばれるが、その上面は平坦ではなく棚としての機能は考えにくい。かつて床面に板石が存在したと伝えられており、これらを組み合わせて石棺として使用されたものと推定されているという。棚の石はよくわかる。床に大きな丸い穴があいているのはなくなった板石の跡かな。奥に石棺が1基あるだけにしては石室が広すぎるような気もする。吉備路のこうもり塚古墳は入ってすぐのところに石棺があった。玄室は石舞台古墳より一回り小さく、高さが半分くらいだ。 天井には石舞台古墳のものとは比べようもないにしても、かなり大きな石を葺いてある。 古墳の裏手に回ると前方後円墳であることがよくわかった。 藪の中を他の古墳を探してまわるのが大変で、民家の庭を通らせてもらい出てきたら立て札があった。