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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/03/24

法隆寺の回廊と講堂の位置


南側から金堂と塔を横並びに撮ることはできない。西院の境内は金堂・塔の南側よりも北側の方が広くなっているので、並べて撮るなら北側からになる。 しかし、それはどうも妙ではないか?回廊は、建物の両側との距離が等間隔になるように巡らすのではなかったか?
法隆寺でもらったしおりを見ると、塔・金堂から南面回廊とほぼ等間隔のところで、北面回廊は東西回廊から出ているのだが、すぐに北側に折れて、講堂を取り込んでいる。回廊は凸字の形になっているのだ。
何故こんな折れ曲がる回廊にしてまで大講堂を取り込んだのだろう?北面回廊がそのまま一直線になって、講堂が山田寺のように回廊の外になることが都合が悪かったのだろうか?塔と金堂が並列するようになっても、講堂は四天王寺式のように北面回廊の位置におくことにこだわったのだろうか。西院伽藍(国宝)を出て大宝蔵院へと向かう。鎌倉時代の聖霊院(国宝)の前にも松飾り。聖霊院の奥でよく見えない東室は天平時代で国宝。その東にある妻室は平安時代で重文。 その東の高床式の建物は平安時代の綱封蔵(国宝)で、その左にある柵の開いているところから大宝蔵院へと行ったのだが、昔来た時とは違っているような気がするなあ。鎌倉時代の細殿(左、重文)と天平時代の食堂(国宝)を右に見ながら急ぐ。えらく傷んでいるなあと塀に目がいってしまったが、その奥の真新しい建物が大宝蔵院だった。 あと15分で閉館ですと言われて、大急ぎで見て回った。久しぶりに六観音を見た。金堂天蓋の楽人に似た顔を一瞬確認して次へ。玉虫厨子は暗くてほとんど見えなかった。

4時半を過ぎるともう日が傾いてしまった。法隆寺の近くには藤ノ木古墳があったはず。次回は時間に余裕をもって法隆寺に来よう。

※参考文献
法隆寺のしおり