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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/12/12

金銅製履にも亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より



藤ノ木古墳には石棺内に2体の男性が埋葬されていた。同展ではパネルとビデオでその埋葬の様子を再現していて、よくわかった。
藤ノ木古墳には金銅製馬具の他に、石棺内より発見された履と呼ばれる2組の沓にも亀甲繋文があった。それぞれの被葬者の足元に履が置かれていたと考えられている。同展図録の「朝鮮半島と列島の飾履」で松田真一氏は、
藤ノ木古墳からも出土して注目されたが、これも朝鮮半島からの影響を受けて出現した金属製装身具類のひとつである。  ・・略・・
2双のうちの1双(A)は長さ38.4㎝、他方(B)は41.7㎝である。どちらも2枚の側板と1枚の底板で構成されるが、馬目順一氏の分類に倣えば2双ともⅡ群A型となり ・・略・・
線刻や列点による亀甲繋文で飾られているほか、小さいほうの履には円形と魚の歩揺を、大きいほうの履には木葉形の歩揺を、両足が擦れ合う内側を除く全面に針金で綴じ付けてある
と解説している。1つの石棺に納められていた2組の履が、同じ亀甲繋文を別々の方法で作られていたのだった。
上の履Aが列点によって亀甲繋文を表し、亀甲の形が浮き出るように見える。下の履Bは、凸線によって亀甲繋文を形作っているように見えるが、よく見ると、凸点が繋がって線をなしているようだ。 また、松田氏は、列島出土の飾履として、列島で確認されている飾履は16例あるが、法量まで正確に把握しているのは5例に限られる。  ・・略・・
飾履の構造についてみると、唯一群馬県谷ツ古墳出土の飾履例を除き、藤ノ木古墳の2双をはじめ形態の判明している履は、朝鮮半島出土履の分類上のⅡ群A型である。  ・・略・・
金銅板の装飾文様は上総金鈴塚古墳出土履に鱗状文が用いられているほかは、表現技法に線刻の種類や列点文など違いがあるものの、確認できる飾履のすべてが亀甲繋文で飾っていることが確認できる
という。
熊本県江田船山古墳出土の履には藤ノ木古墳の金銅製履Bと同じく線刻によって亀甲繋文が形成されていた。「ばさら日本史」というウェブサイトの飾履を作るに、線刻でも列点文でもない方法ですが、飾履を復元していく過程が詳しく載っています。 藤ノ木古墳から南東部に位置する星塚2号墳は6世紀後半のものだが、出土した円頭太刀柄頭にも亀甲繋文が使われている。しかも、非常に藤ノ木古墳出土の金銅製馬具に似ていると感じるのは、亀甲の各頂点の二重円文が、馬具のガラスの突起を思い起こさせるからだろう。そして亀甲の中には鳥が向かい合う、対偶文となっている。同古墳南方の牧野古墳について同展図録は、6世紀末の標識とされる。  ・・略・・  しかもガラス粟玉は1万2千個にも及ぶ数量で、布帛に縫い付けて玉枕などに用いたと想定されている。細部の異同はあるが、大筋において藤ノ木古墳に見られるモードを継承していることは興味深いという。

亀甲繋文を用いていたらしいことがわかった。このように、6世紀後半とされる藤ノ木古墳の馬具や飾履に表された亀甲繋文は、その後日本では装飾文様として延々と受け継がれていく。

※参考文献
「金の輝き、ガラスの煌めき-藤ノ木古墳の全貌-展図録」 2007年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
「日本の美術445 黄金細工と金銅装」 河田貞 2003年 至文堂

※参考ウェブサイト
ばさら日本史飾履を作る