山西省の省都太原の西南郊外にある晋祠は様々な建物がある広大なところだった。その中心的な聖母殿の建物に、応県木塔で気になった尖った尾垂木がたくさんあった。応県木塔のものよりも尖っているし、数がはるかに多い。
聖母殿は北宋、元祐2年(1087)頃建立(『山西古建築通覧』による)ということで、年代的には合っても、当時は契丹族の遼と漢族の北宋と、別々の国に属していた。敵対する国どうしで文化的な行き来があったのだろうか。

なお、今回の旅行で買ってきた『山西古建築通覧』では、私が「尖った尾垂木」という表現をした部分を翼角斗栱と呼んでいるようだ。その翼角斗栱は華厳寺にもあることに気がついた。
まず、遼代の下華厳寺薄伽教蔵殿には、下写真の矢印のところに見える。間隔のあいた組物の1ヶ所にだけ翼角斗栱があるので、気にならなかった。


『山西古建築通覧』を見ていると、他にも金代の寺院建築があった。




※参考文献
「山西古建築通覧」 李玉明主編 1987年 山西人民出版社
「世界の文化史蹟17 中国の古建築」 村田治郎・田中淡 1980年 講談社
※参考ウェブサイト
日本すきま漫遊記の組み物の各部の名称