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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/01/19

鐙はどこで、何のために発明されたのか?

中国最古騎馬像はで後漢になっても中国では鐙をつけていないことがわかった。ではいつ頃から鐙が使用されるようになったのか?

16 墓門上部の彩色画像石(かつては1枚だったものが中央部で割れた) 後100年頃(後漢) 陝西省北部(オルドス高原)出土 陝西省考古研究所蔵
世界四大文明 中国文明展図録』は、日と月の間には狩猟の様子が彫られ、馬上で弓を構える3人の人物、獲物を捕まえた鷹、了見や虎・鹿なでがいる。馬上で後方を向き、弓を引き絞る人物がいるが、これはパルティアン・ショットと呼ばれる射法であるという。
ここでも鐙について触れられていないが、鐙は見えない。
17 狩猟図 西晋(後4世紀前半) 嘉峪関市7号墓前室東壁 嘉峪関市文物管理所蔵
前漢と後漢の騎馬俑は脚を曲げていないが、戦国時代のものは下図と同じように曲げている。この馬上の人物が鐙をつけているようには見えない。18 飾馬 北魏太和元年(477) 山西省大同市出土 大同市考古研究所蔵
「出行儀仗の隊列にのぞむ飾られた鞍馬」と「中国★美の十字路展」図録の解説にある。馬の背にあるものが鞍のようだが、鐙がないのはあきらかだ。19 人物故事図漆絵木棺 北魏(5世紀後半) 寧夏回族自治区固原県北魏墓出土 同区固原博物館蔵
この絵を見ても、靴を履いているだけなのか、黒い鐙なのかはっきりしない。
20 騎馬回帰図 北斉、武平元年(570) 山西省太原市婁叡墓、墓道東壁出土 同市、山西省考古研究所蔵
この図にははっきりと鐙が描かれている(矢印)。やれやれ、やっと中国で鐙が見つかった。
しかし、日本で最古の鐙は3世紀末から4世紀初めの木製輪鐙(あぶみ)が箸墓古墳から出土している。それについては箸墓古墳から国内最古の馬具出土でどうぞ。
ということは、中国ではそれ以前に鐙があったはずである。何故中国かというと、鐙は中国で発明され西漸したということが記憶の片隅にあったからだが、検索してみるといろんな時代にいろんなところで鐙が使用されているようで、混乱してしまった。
それで騎馬の歴史がわかりそうな本を探してみると、『ウマ駆ける古代アジア』(川又正智 1994年 講談社選書メチエ11) くらいしかなさそうだった。あいにく本屋にはなく、その上廃版となっていることがわかったので、図書館から借りてきた。長い道のりだった。
鐙の発明は中国らしい。 ・略・ 現在、後4世紀西晋時代の湖南長沙金盆嶺21号墓に副葬された騎馬俑と、河南安陽孝民屯154墓出土の金銅装馬具一式の鞍と鐙実物が最古の鐙として確認される。
ただし片側(左)のみなので、上馬時に足をかけるだけのためのものかと推定されている。 ・略・ そんなに足かけが必要だったのだろうかと思うが、片側にしか鐙のついていないものが同じころいくつか存在する以上、そう考える他はない。湖南長沙21号墓と同じころらしい南京象山王氏墓地7号墓の馬俑では、すでに両側に鐙がある。樋口隆康氏は、騎馬の苦手な民族が発明したものであるという。5世紀になると朝鮮や日本でもたくさん出土する。ヨーロッパでは7世紀ころから確認されている。まだわからない点もあるのだが、ユーラシアでも東の方が古いのは確かである。
足をかけることなど簡単に考えつきそうであるが、なかなか発明されなかったらしい。ともかく鐙は鞍から吊り下げるのだから、鞍と腹帯がしっかりしてからの発明である
という。

やれやれ、私が探していた方向としては間違っていなかったのだ。しかし、どの遺物も私の書庫にないものだ。

湖南長沙金盆嶺21号墓出土の騎馬俑については、東京国立博物館で2007年に開催された「悠久の美―中国国家博物館名品展」で、「青磁騎馬俑」(300年頃)として2躯出品されているようだ。関西にも巡回してほしいなあ。河南安陽孝民屯154墓出土の金銅装馬具に関しては全くわからない。

樋口隆康氏が、騎馬の苦手な民族が発明したものとする説は、湖南長沙金盆嶺21号墓出土の騎馬俑の300年以降に作られた17から19には鐙がなく、それは騎馬民族出身の騎兵や騎馬を表したものと考えると納得できる。騎馬に長けた者にとって、馬上からの攻撃に鞍や馬は必要なかったようである。
要するに、騎馬が得意でない漢民族が鐙を発明したということは、不思議でもなんでもないことなのだ。しかし、鐙の用が上馬時に足をかけるためのものだったとは驚いた。 

※参考文献
「バクトリア遺宝展図録」 2002年 MIHO MUSEUM
「世界四大文明 中国文明展図録」 2000年 NHK
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館
「中国 美の十字路展図録」 2005年 大広
「ウマ駆ける古代アジア」』 川又正智 1994年 講談社選書メチエ11