玉象嵌金竈 かまどのミニチュア模型 高1.1cm長3.0cm 前漢後期(前1~後1世紀初)
「世界美術大全集東洋編2秦・漢」は、金の細線と細粒を吹管の炎によって巧みに「ハンダ付け」し繊細な意匠を表した装飾品は、メソポタミア初期王朝やエジプト第12王朝にあり、前6世紀から前3世紀のギリシアやエトルリアに発達した。中国には前3世紀の戦国末期に出現し、前1世紀から後1世紀に中国独自の意匠をもつ装飾品として盛行する。・略・
実際の竈を細金細工で細やかに表現している。竈台の側面と上面には金糸・金粒で雲気文を表し、・略・鍋に満たされた御飯(盛り上がった金粒)は福禄寿をかなえてくれる現世利益的なお守りとして貴族のあいだで用いられたものだろうという。
煙突は白っぽく汚れているが、金糸を巻きあげているらしい。

解説は、従来は西アジアや内陸アジアとの関連から注目されてきた。しかし、打ち出しや鍍金の金属器は中原でも戦国期には確実に出現しており、またその類品は諸侯王墓、列侯墓を中心に、相互に飛び離れた状況で広範囲から発見されている。こうした点から見るなら、これらについて必ずしも完全な舶来品や特注品である可能性ばかりを考えるべきでないように思われる。モノとしての発想そのものが外国に由来した可能性を否定するものではないし、また製品の一部あるいはその素材が舶来品であって、それが再加工された可能性も残る。・略・いったん中央王朝に集積された後に各地に配布された可能性のほうが説得力をもっていると考えるという。
金粒はどうなったのか?

小さな装飾品だが、下図左の「金泡」には金粒が施されているではないか。これらは騎馬民族が作って南越に将来されたものかと思ったが、谷豊信氏は「漢時代の作」としている。外国趣味の流行があったようだ。

トルファンでイラン系北方遊牧騎馬民族が居住していた現在交河故城と言われている遺跡の北方の墓地より出土した。
上の2品とどちらが古いかわからないが、金粒が角と顔の境を巡り、3つずつ塊になって、角を装飾している。

金動物闘争文牌飾 内モンゴル自治区墓出土 戦国から前漢時代(前3~前2世紀)
金粒も貴石の象嵌も見られない。匈奴の動物闘争文と言われている。

金粒は見られないが、かつて貴石が象嵌されていたような円形や三角のくぼみが認められる。
『世界美術大全集東洋編2』で今村啓爾氏は、北方遊牧騎馬民族スキタイの動物闘争文がユーラシアのステップ地帯を通って東に広がり、中国北方の上図の匈奴の動物闘争文につながるという。
しかし、匈奴のものに象嵌さえ見られないのは残念だなあ。

また、虎(らしい)と騎士、そして馬の体の点々は、金粒なら嬉しいが、金または銀の象嵌のようだ。


柿蔕文?四葉文?2に前4から前3世紀の玉に似せた玻璃剣首をあげたが、柿蔕文の外側に3重の穀粒文がある。鋳型によるガラス製だが、渦はなく半球に見える。


※参考文献
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館