オスマン帝国期、イスタンブールにはモスク複合施設としてハマム(公衆浴場)が造られたり、街中にハマムだけ造られたりしている。驚くのは、その頃のハマムが現在でも営業しているところが多数あることだ。
ただし、ベヤズィットジャーミイのキュリエ(複合施設)のハマムは、現在ではベヤズィットハマム文化博物館となっている。一般のハマムには客としてしか入れないし、入っても写真撮影はできないが、ここは博物館なので撮影は可能だった。
ベヤズィットハマム文化博物館についてはこちらの後半
上から眺めると大ドームが一つずつしかないチフテ・ハマム Google Earth より
ハマムとは、『旅する21世紀ブック望遠郷2 イスタンブール』(以下『望遠郷』)は、ハマムはトルコ風の蒸し風呂である。古代ローマの共同浴場 に似た石でつくられた大きな建物で、内部の壁は大理石や化粧漆喰で仕上げてある。ドームには釣り鐘形のガラスがはめ込まれた窓がいくつもあり、光が差し込むようになっている。浴室の戸には革が裏打ちされており、熱が逃げないようになっているという。
ハマムの構造
ベヤズィットハマム文化博物館の説明パネルは、ローマ浴場には、脱衣室(アポディテリウム)、大きな冷水槽がある冷浴室(フリギダリウム)、微温浴室(テピダリウム)、高温浴室(カルダリウム)の4つの独立した部屋がある。オスマン帝国の浴場は、同じ公衆浴場の伝統を継承しているが、ローマ浴場の部屋は3つしか残っておらず、フリギダリウムは廃止されているという。
➊冷浴室兼脱衣室 ➋微温浴室 ➌高温浴室
観光客が一番目にするハマムは、なんといっても旧市街のアヤソフィアとスルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)の間にある公園の端にあるヒュッレムスルタンハマム Hürrem Sultan Hamamı だ。
ヒュレムスルタンハマム
また大きなドームの部屋で終わっている。
蛇足ですが、イスタンブールでは観光地、道路脇にかかわらず、あちこちに食べ物の屋台があります。これはスィミットという輪っか状の胡麻パン屋。
ヒュレムスルタンハマム外観 『SİNSAN THE ARCHITECT AND HIS WORKS』より
『トルコ・イスラム建築』は、アヤソフィアの西側の地に、スレイマン一世の寵妃ハセキ・スルタンヒュッレムが1556-57年に建設したハマムで、堅固な造りの建物である。現在この付近は整備されて広い公園になっているが、当時は高官たちの邸宅や多くの建物が立ち並んでいたので、ハマムの需要があった。このハマムは、男性用のハマムと女性用のハマムの両方があるチフテ・ハマムである。普通のチフテ・ハマムでは、脱衣室から熱浴室まで並行に並ぶものが多い。しかし、このハマムはそれぞれの入口が建物の反対側にあり、中央で熱浴室が背中合わせになっていて細長く、珍しいプランであるという。
もちろん設計者はミマールスィナン。
平面図 『トルコ・イスラム建築』より
➊冷浴室兼脱衣室 ➋高温浴室
二つの間に微温浴室がない。➋高温浴室は個室が双方とも七つ。
現在はリニューアルされて、最高級のハマムとなっていて要予約。
利用された方に尋ねると、従業員もとても親切で大変良かったのだそう。でも、見学したい場所を山積みにしてバタバタと行動してしまう私は、そんなに優雅な旅は無理。
➊冷浴室兼脱衣室(改装前)
➋熱浴室(改装前)
ヒュレムスルタンハマム熱浴室のドーム SİNSAN THE ARCHITECT AND HIS WORKS より |
ヒュレムスルタンハマム熱浴室 SİNSAN THE ARCHITECT AND HIS WORKS より |
アルコーブ(改装前)
スレイマニエジャーミイのキュリエにもハマムがあった。
説明パネルは、スレイマニエ浴場は1557年にスレイマン大帝によって建設された。スレイマニエ複合施設の一部であるこの浴場の建築家はミマールスィナンで、スィナンが「私の職人の仕事」と呼んだこその理由は、この浴場が鋳物工場の隣にあったため。浴場には「黄疸のボウル」があり、何世紀にもわたって使用されていたが、このボウルで入浴すると黄疸の患者は回復すると信じられていた。幾何学的に並ぶ煙突。1924年に閉鎖され、2004年に改修されて営業されているという。
ここも要予約。この写真を撮った時は、その予約が見学のことだと勘違いした。
スレイマニエジャーミイのハマム平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より
➊冷浴室兼脱衣室 ➋高温浴室
説明パネルは、浴場内の大理石台を囲むように8本の大理石の柱があるという。
スレイマン大帝が造ったのに、意外にも脱衣室も高温浴室も一つずつ。男性専用だったのだろうか。
エディルネカプのミフリマースルタンジャーミイのキュリエにもハマムがあったことを後になって知った。
平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より
➊冷浴室兼脱衣室 ➋高温浴室
これが一般的なチフテ・ハマムで、ミマールスィナン設計。
アジア側のユシュキュダルにはミフリマースルタンの兄弟でスレイマン大帝の次のスルタン、セリム二世の妃ヌルバーヌが1571-86年にミマールスィナンに造らせたアティクヴァリデスルタンキュリエというモスク複合施設があって、そこにはチフテ・ハマムも建造されている。
オスマン帝国の古都巡りでは、ブルサ、エディルネそしてイスタンブールと旅した。その時に訪れたので、ず-っと先に旅編で取り上げます。
『望遠郷』は、この共同浴場はムラト3世の母后ヌルバヌが亡くなる少し前の1583年につくらせたものであるという。
そのヴァリデ(スルタンの母后、ハレームで最も権力がある)ヌルバーヌは、ディヴァンヨル通り、トラムT1線のチェンベルリタシュ駅近くにもハマムだけ造っていて、通りからはドームが削がれたように見えたが、Google Earth で見ると、やはりチフテ・ハマムだった。
また、ベヤズィト駅から南方には靴屋が軒を連ねていて、その中に入口の目立たないイスタンブール最古のハマムがある。チフテ・ハマムだ。
Google Earth より
大きなドームが冷浴室兼脱衣室、小さなドームが熱浴室なのだが、左の方はその間にも一部屋、古いので、微温浴室があるみたい。右は女性用なのか、それが省かれている。
『望遠郷』は、1475年に建てられたイスタンブールで最も古いハマム。パシャはメフメット2世に仕える宰相。また艦長としてアゾヴを占領し、ギリシアのレフカダ島と南イタリアのオトラントも一時支配したという。
朝一で行ったのでまだ営業前だが、階段を降りると入口が開いていた。スルタンが造らせたハマムやトプカプ宮殿ハレームのハマムと同じく、床は大理石。トルコは大理石が採れるので、高価な石材ではない。シャドルヴァン(清めの泉亭)のようなものもあるが、水が出るのだろうか。
中ではおっちゃんが掃除をしていたので、カメラを見せると「ええで(トルコ語ではブユルン)」と言ってくれたので、少々写させてもらった。最も尋ねる前から撮影していたが。
左角に妙な格好のマネキンがあって、それが女性がハマムに入る時の服らしい。水着でもOKだが、日本の銭湯のような真っ裸はNG。
TUKISH AIR & TRAVELのトルコの風呂(ハマム)事情とは?旅行者に人気のハマム入浴方法&おすすめグッズが詳しいです。
広間には椅子とテーブルが置いてある。右奥にはチャイやスイーツの売店があるみたい。
奥の個室はお風呂上がりにゆっくりと湯冷ましするところで二階建て。ここだけ木造で、トルコで木材を使ったところはあまりないので、見ているだけでも和みます。
今分かった、「お風呂用の服貸します」と思っていたマネキンは、「女性はこちらから」ということだったのだ。その奥から女性用の冷浴室兼脱衣室に行くのだろう。
奥の個室はお風呂上がりにゆっくりと湯冷ましするところで二階建て。ここだけ木造で、トルコで木材を使ったところはあまりないので、見ているだけでも和みます。
さて、ドーム。アーチが柱頭に支えられているわけでもないが、正方形平面の四隅にスキンチアーチで正八角形となり、その上に直接真円を架構している。
『望遠郷』は、このハマムの休憩室はドームのある広い空間で、壁の窪みがいくつかの小部屋へつながっている。ドームの右手には複雑な鍾乳状装飾が見られるという。
ムカルナスは気が付かなかった。
『SİNSAN THE ARCHITECT AND HIS WORKS』は、ハマムまたは公衆浴場の機能とそこで使用される技術は、オスマン帝国以前のトルコの公国または君侯国の時代からほとんど変わらないため、その平面もほとんど変わっていないという。
だから、ヒュレムスルタンハマムが、チフテ・ハマムが一列に置かれて、左右対称に並ぶ景観の美しさまで配慮されたのは、細長い敷地が確保できたからだろう。
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参考サイト
参考文献
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.