ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/10/17
ブルジュルドのマスジェデ・イマームとマスジェデ・ジャーメ
マスジェデ・ジャーメだと思って行ったマスジェデ・イマームで、若い女性建築家が、マスジェデ・ジャーメはもっと向こうにあると言っていたのが気になって、ホテルに戻って『GANJNAMEH6』と『GANJNAMEH7』を開いてみた。
それで、見学したのは、マスジェデ・イマームの方だったことがわかった。
マスジェデ・イマームは『GANJNAMEH6』に、マスジェデ・ジャーメは『GANJNAMEH7』に記載されていた。
Google Earthより
見学したマスジェデ・イマームについて『GANJNAMEH6』は、西イーワーンの銘文に1209年と記されていて、それがこのモスクで最も古い記録の残る年である。カジャール朝期のこの町の統治者の1248年の署名があるという。
それぞれ西暦で1795年と1833年。古くは見えないタイルも、修復だろうと思って見ていた。
中庭から西イーワーンと、出入りした北イーワーン。
主礼拝室と東側礼拝室
同書は、マスジェデ・イマームの紀年銘はカジャール朝期だが、様々な時代に修復が行われているという。
小さいながら、昔から町として存続してきたので、カジャール朝以前からモスクはあったはず。修復によって紀年銘が消えたり、元々なかったりすることもあるのだろう。
平面図
東側礼拝室は、中央に並ぶ3本の円柱と、両壁から少し出ている程度の付け柱とで3つのドーミカル・ヴォールトが架かっている。
3本の円柱の内、奥の1本は焼成レンガで補強されている。
この円柱は珍しく石でできているので、転用材かもとも思ったが、本来はムカルナスを持ち送って迫り出していいるはずの柱頭が、ムカルナスらしさは失われているので、あまり古くはないかも。
イルハーン朝(14世紀前半)のドーミカル・ヴォールト。青タイルが、十字に組み合わせられていたりして、まだ色タイルが貴重な時代のようにも思える。
主礼拝室のドームはそれほど古くはなさそう。
頂部の明かり取りは、黒と青のタイルでリブを装飾したアーチ・ネット。
同書の図版
正方形の床から四隅の2面の壁面が、上部でその頂点に向かって、2枚のムカルナスの曲面となってせり出している。そうしてできた8つの尖頭アーチの上に円形を導き、ドームを架けている。
これは、サファヴィー朝のアッバース1世が建立した、イスファハーンのマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーの主礼拝室の移行部がやや崩れた時代のもののようだ。
三次元投影図
チャハール・イーワーン形式で、北門と西門から出入りできる。
マスジェデ・ジャーメについて『GANJNAMEH7』は、サファヴィー朝アッバース2世の時代に建立された。西入口の上に1022年の銘文があるという。
この文を読んで1022年という数字だけが目に着いた。かなり古そうなので、行ってみたいと思ったのだが、英語版なのでヒジュラ暦だとは思いもしなかった。西暦1613年のことだった。他にも1092(西暦1682)年や1209年(西暦1795)年などの銘があるようだ。
こちらは、マスジェデ・イマームのようなチャハール・イーワーン形式(中庭に4つのイーワーンのあるタイプ)ではなく、簡素な造りである。金曜に人々が集まる町で最も格式のある会衆モスク Congregational Mosque なのに。
三次元投影図とは向きが反対だが、ずんぐりした一対のミナレットと、膨らみのないドームという素朴な外観。
同書は、記録と調査によって、このモスクの最も古い部分はドームで、後の修復で覆われている。焼成レンガの取り替えや補修が、9-17世紀に断続的に行われたことが判明した。モスクの最盛期はセルジューク朝時代(11-12世紀)である。主礼拝室の床下230㎝にある層が、イスラームの最初の世紀(西暦7世紀)の建物の痕跡の存在を示している。現在は焼成レンガの支柱と日干レンガのヴォールトで建てられている。主礼拝室と両側の副礼拝室は同じ地上レベルなので、同時期に建立されたことがわかる。西礼拝室の851(西暦1472)年と853(西暦1474)年のコインの発見は、礼拝室が9世紀(西暦15世紀)後半に建立されたことを裏付けるものだという。
このドームやミナレットが後世の改築であるとしても、創建はアッバース朝時代に遡るほど古いものだった。
やはり創建がアッバース朝時代に遡る、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメを纏めた記事マスジェデ・ジャーメの変遷を参考にすると、ドームが出来るのはセルジューク朝時代前半(11-12世紀)で、ドーミカル・ヴォールトが架けられるセルジューク朝後期はまでは、礼拝室は平屋根(陸屋根)だったはずだ。
素朴な雰囲気だが、古いまま残っているのではない。
まさにこの図版のドーム架構を見てみたいと思ったのだった。おそらくセルジューク朝(11-12世紀)にドームが架けられたのだろう。
正方形の上に尖頭のスキンチアーチで八角形を導き、更に上にもスキンチアーチを用いて小さな尖頭アーチを16個とし、円形に近づけてドームを載せている。この移行部の造りの緻密さは一見の価値がある。
そして、焼成レンガの組み合わせで壁面を装飾している点も見逃せない。
主礼拝室の東側礼拝室はイルハーン朝かも。
関連項目
ブルジュルド(Boroujerd)のイマーム・モスク
マスジェデ・ジャーメの変遷
※参考文献
「GANJNAMEH7 CONGREGATIONAL MOSQUES」 1999年
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年