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2016/12/27

高麗仏画展3 浄瓶の形


泉屋博古館蔵水月観音像(14世紀)に描かれた浄瓶の尖台は異様に長かった。この浄瓶は全面に陰刻のある高麗青磁をモデルにして描いているようだった。
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そのモデルとなった高麗青磁の浄瓶とよく似た作品が根津美術館から出品されていた。それは12世紀のものだった。

青磁陰刻蓮華唐草文浄瓶 12世紀 施釉陶器 高36.5胴径13.2底径8.8 根津美術館蔵
同展図録は、優美な器形、精緻に施された文様、青磁釉の青く澄んだ色合いによって高麗青磁の名品として知られる浄瓶。器表に陰刻された文様は青磁釉の色の濃淡となって浮かび上がり、清浄な水を思わせる。清々しい文様表現である。胴から突出した注口は蓋が付くが現在は失われているという。
片切り彫りによって浮彫に深浅があるため、深く彫られた箇所には釉薬が溜まり、色濃く仕上がる。

この形の浄瓶について『東洋陶磁の展開図録』は、肩先には注入口があり、長い管状の口から水を注ぎ出すようになっているという。

また、高麗青磁の浄瓶とよく似た形の青銅製浄瓶は泉屋博古館のものが展示されていて、13世紀に制作されていた。

青銅銀象嵌蒲柳水禽文浄瓶 13世紀 青銅鋳造・銀象嵌 高37.0胴径13.7底径9.0㎝ 泉屋博古館蔵
同書は、浄瓶は清浄な水を入れる水瓶のことで、もとは僧侶の持ち物の一つであり、仏前に供える仏具ともなった。浄瓶の形については細長い頸に鐔を持ち、その上に筒状の尖台を付ける仙盞形。浄瓶は観音菩薩の持物とされているため、高麗仏画には観音菩薩が浄瓶を持つ姿や傍らの岩上に浄瓶が置かれてあらわされているという。
途中に鐔があるのは、僧侶が持ち運びするのに滑りにくくしたためかも知れない。しかし、そのためなら、頸の口縁を広くしただけでも良いはず。鐔が虫やごみが入りにくくするための蓋だとしたも、その先の注口がこんなに長い必要がないのでは?
八面に面取りされた尖台は頂部に4本の輪があり、その下には根津本の青磁浄瓶と同様に雲文が、根元には蓮弁、鐔上面には如意頭文、頚部には雲文が銀象嵌で表されている。
注口には共蓋がつく。文様があるかどうかは不明。
頚部との接合部下には如意頭文が連続し、胴部には2本の蒲柳と、餌をとろうと頸を伸ばすサギ、その背後に葦などが銀象嵌されている。

浄瓶は仏具というが、何故全てこのように尖台と呼ばれる部分が長いのだろう。古い時代のものはもっと短い。

白磁浄瓶 唐、8-9世紀 高19.9胴径8.1㎝
『世界美術大全集東洋編4隋唐』は、浄瓶とは仏前を飾り、あるいは仏事に用いられる器物で、軍持・君持などと書かれることもあるが、これはサンスクリット語のkundikaに漢字をあてたものである。仏器の水甁形式の一種で、水を飲みあるいは手を清めることなどに使用される純然たる宗教用具で、伝世品の多くは青銅製である。この白磁浄瓶の原型も金属器にあったと考えるのが妥当である。
胎土は純白細緻なもので、化粧土を塗った後に胴裾の部位まで釉が施され、潤いのあるやや黄みを帯びた色調であるという。 
唐の頃は尖台の注口は短かったが、胴部が下ぶくれとなっているせいか、ずんぐりしてバランスは良くない。段々と格好よく見えるように、胴部の形も、尖台も変化していったのだろう。

日本で作られたものか、他国から請来されたものか

佐波理の水瓶 高31.0胴径12.3㎝重760.1g 正倉院南倉
『第62回正倉院展目録』は、仙盞形水瓶と呼ばれる形式で、塔の相輪を模した鈕を持つ蓋、細長い頸部を持つ卵形の胴部、外反する低い高台からなる。胴部上方に取り付く注口の基部に胡人の風貌を思わせる人面が付されており、「胡面水瓶」と呼ばれている。蓋の棒状鈕には縦に穴が貫通し、胴部の注口から入れた液体を、鈕の先端に口を付けて飲んだものと考えられている。
注口の人面は、髪や髭、その生え際が細かく毛彫されている。また、この人面は中央アジアから西アジアの人の顔を模したもので、唐における異国趣味を反映したものと考えられているという。 
また、仙盞形水瓶については、器形は卵形の胴に長い頸をつけ、細長い注口をつけるもの。中国・唐時代及び朝鮮半島・高麗時代に流行したという。
正倉院に収まっていることから、おそらく唐時代、8世紀に製作されたものか、そのモデルとなるものが将来されて日本で作られたものだろう。
形としては白磁浄瓶よりも整っているので、本来は金属器の形だったと思われる。
注口は飲みやすい長さのように見える。

不思議なのは、唐(618-907)と高麗(918-1392)は時代としては繋がっていないのに、12世紀以降に尖台の長過ぎる形となってこの形の浄瓶が蘇っていることである。
でもそれは、自分が調べた限りのことなので、きっと唐から伝わった浄瓶が、少しずつ尖台が長くなっていって、今見られるような形となったのだろう。    

    
    高麗仏画展2 観音の浄瓶は青磁←   →高麗仏画展4 13世紀の仏画
 

関連項目
高麗仏画展6 仏画の裏彩色
高麗仏画展5 着衣の文様さまざま
高麗仏画展1 高麗仏画の白いヴェール 


※参考文献
「高麗仏画 香りたつ装飾美展図録」 編集 泉屋博古館 実方葉子、 根津美術館 白原由紀子 2016年 泉屋博古館・根津美術館
「世界美術大全集東洋編4 隋唐」 1997年 小学館
「第62回正倉院展目録」 編集 奈良国立博物館 2010年 財団法人仏教美術協会