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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/12/20

高麗仏画展1 高麗仏画の白いヴェール


高麗仏画というものをどこで見たかはよくは覚えていないが、その静かな雰囲気が気に入って、まとまった展観があれば見に行きたいと思っていた。それが京都の泉屋博古館で開催されることを知って、行こうと思いながら日は過ぎてゆき、やっと重い腰が上がったのが最終日だった。
博古館は受付のある棟に青銅器の展示室があり、企画展示室のある棟との間には中庭がある。2棟を結ぶ渡り廊下からは、すっきりとした中庭の向こうに東山がある。東山の紅葉が一番よく見えた。
東山を借景に、遠くに高い木を配して向こうの建造物を極力見えないようにしてある。その他は芝生で、目障りなものがない。この中庭については説明がないか、あっても見落としたのだが、その何も無い中に、低い石組が、四角く刈り込んだ柘植のような低木と共にぽつんとあるのが気になった。古い井戸かな?

「高麗仏画展」の開かれている企画展示室に入と、最終日とあって、多くの人たちがいた。小さな声だが、ハングル語で作品について語り合っている人たちもいた。研究者かなと感じるくらい熱心に話し込んでいて、言葉が分かったら参考になったかもと残念だった。

高麗仏画で一番印象に残ったのは、何といっても白いヴェールを被った菩薩だった。観音菩薩がほとんどで、日本では水墨画に多い白衣観音との関連があるのかなとも思ったが、他の菩薩でもヴェールを頭頂から着けている作品もあった。

阿弥陀三尊像 14世紀 絹本着色 縦129.7横61.8㎝ 根津美術館蔵
同展図録は、高麗時代の阿弥陀三尊像は、説法図と来迎図の2種の図像に大別され、個々の作品において尊像の向きや印相、持物にバリエーションがみられる。説法図には、宝檀上に結跏扶坐する阿弥陀如来を中心に、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が踏割蓮華上に立つ形式の着色画が、管見の限り8例ある。
阿弥陀を赤味の強い肌色、両菩薩を肌色に表す三尊像で、高麗後期の典型的図像と表現を示す優品である。阿弥陀の像容はバランスよいという。
この両脇侍は白いヴェールを被っている。
同書は、両菩薩は阿弥陀の側にわずかに体を傾けて立ち、頭頂の冠にかけた白い薄物のヴェールが、両肩を包み、腹前でゆったりと交差して裙の裾先に達する。このヴェールは、白色を塗るのではなく、細い白線を網状に引くことで、赤い衣や金彩を透かせる手法で表されており、さらにヴェールに文様を表すことで、衣の重なりがみせる微妙な奥行き感が表されている。勢至菩薩のヴェールには金彩の円文、観音のそれには銀彩(酸化して暗青色にみえる)の花文を散らすが、ただ高麗仏画に銀泥文様は珍しく、またやや違和感のある単純な文様であるため、後の加筆かも知れないという。

観音のヴェールに散らされている銀泥の円文は勢至の金泥のものよりもずっと小さいので、後世の加筆という可能性はあるだろうが、本来なら観音の方も金泥の円文があったはず。何かのかげんで観音の方だけが剥落してしまったのかな。
同書は、図像においては、勢至が右手に宝印、左手に火炎宝珠を乗せた蓮華茎を執ることが注目される。火炎宝珠は、40巻本『華厳経』「普賢行願品」の偈文に結び付く阿弥陀八大菩薩の1尊、除蓋障菩薩の持物で、この菩薩は、阿弥陀八大菩薩像においては、観音菩薩と向き合う位置に表される。このことによれば、本図で観音菩薩と対をなす菩薩は、浄土信仰に表される阿弥陀三尊像の勢至菩薩であると同時に、華厳経に基づく阿弥陀八大菩薩中の除蓋障菩薩という、高麗仏教の融通性を反映した図像ということになる。なお、この2菩薩にきわめて似た菩薩を描く作例として、白鶴美術館本の阿弥陀三尊像(来迎図)をあげておくという。
勢至の裙は十字文に見えるが、細い曲線を組み合わせてあり、鳥でも雲でもない。観音の裙は、亀甲繋文にも見えるが、六辺の七宝繋文だろう。
 ヴェールは3条にして冠の上からかけ、複数の曲線の束で何かの文様をつくっている。
ヴェールと同じ透明感のある布帛が腹前にも3条ゆったりとした曲線を描いて垂れている。この辺りでは、金の円文は3つの渦を巻く蔓草で、図録では唐草円文と呼ばれている。
ヴェールの地文は白色で、六辺の七宝繋文とし、その内部にも文様が描かれているようだ。

阿弥陀八大菩薩像 14世紀 伯全筆 絹本着色 縦173.1横91.1㎝ 京都・浄教寺蔵
同展図録は、来迎形の阿弥陀八大菩薩像の優品。阿弥陀如来は、中国式の来迎印を結び、左手には掌を上にして第一指と第三指を捻じ、第四指を折っている。右手は下方へと垂下させている。
本図は、第一列の観音の対として除蓋障の代わりに勢至を配した混合系の作例である。第四列左の地蔵が宝冠をつけるのは、八大菩薩の図像が、本来的に密教図像であったこの名残という。
阿弥陀を囲む多数の菩薩がヴェールを被っている。左上に描かれているのが地蔵で、本来は僧形で表されるのに、他の菩薩と同じ姿で描かれている。

しかし、何といっても観音菩薩は独尊像が多い。

水月観音像 14世紀 絹本着色 縦143.0横77.0㎝ 個人蔵
同展図録は、中央右端にはガラスの承盤上に楊柳を挿した浄瓶、右下の荒波を隔てた対岸には善財童子を配する。
着衣の構成や文様は多くの水月観音に共通するが、右手に長い蓮茎、左手に数珠を持すことや、宝冠にいただく化仏の如来を立像に表し、裙の蓮華荷葉文を円形にするなどの点は、水月観音像のなかでも類例が少なく、特異な図像といえるという。
冠から全身を覆う麻葉文にS字唐草円文のヴェールを表し、朱地の裙に亀甲文に蓮華荷葉文を配するという。
亀甲繋文の中には九弁の花文が描かれる菊花だろうか。円形の蓮華荷葉文は全体が見えていない。
また、麻葉文様も線の数が多く、複雑な構成になっている。

水月観音像  至治3年・忠粛王10年(1323) 絹本着色 縦166.3横101.3㎝ 徐九方筆 泉屋博古館蔵
『世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗』は、描写は、観音の肉身部に金泥を塗って淡い朱暈をつけ、肉身線を細朱線でくくり、頭頂から被る軽羅には白色顔料地に金泥で円花文を描き入れるなど、濃彩で緻密な彩色と詳細にわたる細部表現、そして金泥銘文の内容から、本図は高麗仏画における宮廷様式を伝えた作品といえるという。
軽羅という文字から、粗い織りの羅をもっと粗く織ったものかと思ったが、調べてみると、紗や絽のような夏向けの着物地を指すらしい。日本の仏画では見たことがないものである。
頭部
本図の麻葉文様も、あまりにも細くて、これだけ拡大してもよくわからない。冠には菊花文が密に描かれる。

水月観音像(楊柳観音像) 14世紀 絹本着色 縦227.9横125.8㎝ 京都大徳寺蔵
同展図録は、水辺の岩座に腰掛け右足を左膝にかけた半跏坐の観音。大円相に包まれ、薄く透けるヴェールを頭からまとい、静かに視線を落とす。かたわらには柳と浄瓶、背後には2本の竹、そして足元の岸辺には珊瑚や宝珠が散りばめられ、対岸では善財童子が礼拝する。補陀洛山でくつろぎ瞑想する水月観音は、中国から朝鮮、日本にかけて作例が知られるが、ことに高麗では好んで描かれ、今日も40点以上の作例が伝わっている。日本では古来より楊枝をともなう姿から「楊柳観音」と呼ばれてきた。
観音の薄朱色の肉身にはやや濃厚な朱の隈取りが施され、輪郭線は明確な朱線であり、まるみを帯びた体型とあいまって肉感的な印象を与える。着衣の文様が密に配される。
供養者や高波がもたらす躍動感のなか、鮮やかな色彩と充満するモティーフが祝祭感あふれる空間を創り出している。竹や鳥の宋画を思わせる写実表現も注目され、制作は14世紀の早い時期と考えられるという。
ヴェールの麻葉文様も明瞭に映えるという。
日本の麻葉文様は、今まで調べた中では、東寺蔵聖観音立像(鎌倉時代、13世紀)のものが最も古い。その文様は、対角線が1本表された菱形が、中心にその対角線を集めて6つ並んだ形で、幾何学的な花文のようでもあるが、高麗の麻葉文様は、もっと線が多く、曲線もあって柔らかな印象を受ける。
また、本図では主文の唐草円文がよく残っている。

観音菩薩立像 14世紀 絹本着色  縦109.2横53.7㎝ 岐阜・東光寺蔵
同展図録は、この立ち姿の観音菩薩単身像は、浅草寺本以外では現在知られている高麗仏画中、唯一の作例である。やや右に向いた体の上半身をわずかにひねり顔を正面に向け、持物をとる右手首に左手を添える観音の姿態は、阿弥陀説法図の脇侍として、また阿弥陀八大菩薩像の一としてしばしば見られるものである。しかし、左手が確実に手首を握ること、持物が念珠のみであること、化仏が立像であること、そして全身が白衣で覆われることなどの点では他に例を見出しがたい。
一方、宋代には数珠を手にした立像の観音図像が流布し、念珠観音と呼ばれることもあったらしい。北宋の蘇軾の題詩をともなう金の大安元年(1209)銘の観音像が中国の少林寺に伝わるが、その姿態は本作とほぼ一致するという。
ヴェールは白の麻葉文に金泥瑞雲鳳凰文で、観音のヴェールに鳳凰文が用いられる例は、ほかに鏡神社本をはじめ数例しかないという。
瑞雲鳳凰文
 
水月観音像 13-14世紀 絹本着色 縦144.0横62.6㎝ 慧虗筆 東京・浅草寺蔵
同展図録は、水面からのびる踏割蓮華の上で、右方へ一歩足を踏み出す白衣の観音。左手には浄瓶、右手には柳枝を指先で軽くとり、全身は大きな緑色の滴形の光背に包まれるという。
全体に赤っぽい図像が多い中で、緑色の身光に包まれた静かな雰囲気は異彩を放っていた。「高麗仏画展」の観音像では、これが最も早い時期の作品である。
同書は、全体に白を基調とした精緻な描写が際立つ。文様が衣褶線に合わせて変形するなど、高麗仏画には珍しい合理的な造形感覚もまた宋代画に通じるといえようという。
日本の仏画でも、平安時代作品は襞に関係なく文様が描かれているので、高麗仏画もやっぱりそうなのだくらいに思っていた。日本では宋から伝わった仏画の影響で、鎌倉時代になって衣褶線に合わせて変形させるようになったのだ。
観音や童子の顔貌表現、ことに額や瞼、鼻梁、口元に施される白い彩色は、例えば「十王図・十二使者図」(静嘉堂文庫美術館)のような元代仏画の女性表現に共通点が見出される。13世紀後半、高麗は元の支配下に入り、忠烈王による親元政策下でさまざまな文化が元を通じてもたらされた。その時期に描かれた「弥勒下生変相図」(1294年、妙満寺)にもまた同じ彩色法の天女や女性供養者が見られるという。 
残念ながら静嘉堂文庫の元代仏画についてはわからないが、妙満寺本については後日。
ヴェールは麻葉文ではない。密な斜格子文とでも表現すればよいのだろうか。
全身を覆う透明度の高いヴェールは、白の細線を格子状に引き重ねた地模様に、金泥で瑞雲と鳳凰らしき文様を散らすという。
僧祇支は、円文の中に鳳凰のような鳥が表されているようだが、その上に白い紐などがかかっているためにわかりにくい。とりあえず鳳凰円文としておく。地文は不明。縁には唐草文
裙は縦長の亀甲繋文だが、中の文様は不明。柔らかな衣の襞の重なりがみごとに描き出されている。


このように菩薩がヴェールを被る例は他に見たことがない。これが中国から将来されたものか、それが高麗仏画独特のものか、それについては解説されていなかった。

後日、『世界美術大全集東洋編6 南宋・金』を開いて、この白いヴェールに近いものを見つけた。それは、普悦筆阿弥陀三尊像の中の観音菩薩だった。
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また、京都永観堂蔵山越阿弥陀図の観音は、短いが白いヴェールを着けていた。日本にもヴェールを着けた菩薩像があったのだ。

     南禅寺境内を通り抜けて←    →高麗仏画展2 観音の浄瓶は青磁

関連項目
白衣観音図
高麗仏画展6 仏画の裏彩色
高麗仏画展5 着衣の文様さまざま
高麗仏画展4 13世紀の仏画
高麗仏画展3 浄瓶の形

※参考文献
「高麗仏画 香りたつ装飾美展図録」 編集 泉屋博古館 実方葉子、 根津美術館 白原由紀子 2016年 泉屋博古館・根津美術館
「世界美術大全集東洋編10 高句麗・百済・新羅・高麗」 年 小学館