一帖の桐壺から一つずつ説明文と作品を写していったが、トンボ玉の並び方や説明文との距離などがばらばらで、バランス良くとはいかなかった。この説明文も非常にコンパクトにまとまっているので、還暦を過ぎても源氏物語をあまり知らない私には有り難いものである。
それで説明文は田上惠美子氏の文をコピーさせて戴き、トンボ玉の画像だけにした。
一帖 桐壺(きりつぼ)
光源氏誕生から12歳までを一気に描く。
幼くしてただならぬ聡明さと美しさを見せる源氏。
中央の石畳文が変則的。小さいから霰文と呼んだ方が可愛いかも。
二帖 帚木(ははきぎ)
「雨夜の品定め」 源氏17歳。 長雨続く夜、若い男性4人が集まり、女性談義に花が咲く。
磨りガラスはピントを合わせにくいが、截金のお陰でなんとか部分的に合った。
六面体を迷走する直線、転がしてその先を見定めたくなる。
三帖 空蝉(うつせみ)
「生絹(すずし)なる単衣、すべり出で・・・」
迫る源氏から、蝉の脱皮のごとく抜け出す空蝉。
どうしてもピントの合わない作品がいくつかあったが、その一つ。レンズの焦点からすり抜けてしまうが、それだけに儚い美しさがある。
田上氏のFACEBOOK8月10日の記事に、ご子息写真計画さんの空蝉の写真がアップされている。いつも魅入ってしまう作品の影だけでなく、細かな色の粒一つ一つに焦点が合っていて、みごとという他はない。
後日神戸とんぼ玉ミュージアムで写真を撮らせて戴いて、やっとピントの合った画像になりました。
さて、その神戸とんぼ玉ミュージアムには久し振りに行ったので、常設展を見ていると、アンフォラ型コアガラスが目に付き、思い出したことがある。それは、かなり以前のことになるが、羽状文のある下図のようなコアガラスを、田上氏にボディを無色透明なガラスでつくってほしいなあと思ったことがあったのを。
だから空蝉の玉は、その夢が半分叶ったような作品である。
双耳付壺 イラン、伝スーサ出土 エラム王国末期(前8-7世紀) 高11.7㎝胴径6.5㎝口径1.6㎝ 岡山市立オリエント美術館蔵
「ガラス工芸-歴史と現在展図録」は、一見地味な印象を受けるが、これは当初の鮮やかな色彩が失われ、白く変色しているため。同じコアガラス技法でも、この時期までのガラス容器は加工が入念で、この資料も容器全体が薄手に作られ、装飾にはきわめて細いガラスを巻き付けているという。
波状文長頸瓶 マイヘルプリ墓出土 前15世紀 カイロ博物館蔵
四帖 夕顔(ゆうがお)
夕顔との逢瀬が宵過ぎ、美しい女の幻が枕元に現れ、
恨み言を言うと、ふっと姿を消した。
非常に幻想的な作品。中に入ってみたい。
五帖 若紫(わかむらさき)
籠から逃げた雀を追って軒先に姿を見せた、幼く小柄な美少女、紫の上。
小さな小さなトンボ玉。本当に可愛い。
六帖 末摘花(すえつむはな)
よく顔も見ず一夜を過ごした末摘花は、赤く長い鼻で、美しいとは言い難い。
末摘花の容貌は、普賢菩薩の乗る象のように長い鼻と形容されていたように記憶している。もう40年も前に現代語訳で読んだので、鼻が赤かったというのは覚えていないが、作品が可愛過ぎる。
末摘花が紅花の古名とは今回調べて知った。
七帖 紅葉賀(もみじのが)
源氏と頭の大将は、流水に紅葉文様の衣に挿頭を挿して、青海波を舞う。
金箔片の間を臙脂のレースが舞っている。
何故画像の上の方に作品が偏っているかというと、写真計画さんの作品の色彩が映る影には遠く及ばないが、ごく僅かだが影に色が出ているから。
八帖 花宴(はなのえん)
サクラ咲き誇る花の宴の夜更け、「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさむ姫君。
白いのはサクラの花か、月を隠す薄雲か・・・
そんなところに黒い岩の破片のようなものが配置されていて、それがアクセントになって朧気な雰囲気が引き立っている。
九帖 葵(あおい)
「車あらそい」葵祭の当日、正妻葵の上の牛車が六条御息所の牛車と乱闘となる。
なんとも雅な牛車の車輪。黒い車軸に金箔が巻いてあるとは。正に蒔絵の世界。
十帖 賢木(さかき)
父桐壺院の死、六条御息所との分かれ、藤壺への危険な執念・・・、傍若無人にふるまう源氏。
濃いトンボ玉に白い線の入ったレースガラスが蛇行している。源氏の執着がいかに強いかが感じられる。
それにしても、このレースガラスがよくこんなに立体的に熔着できるものだ。
十一帖 花散里(はなちるさと)
かつての恋人に拒まれた源氏を温かくもてなす花散里。常に控えめで、表立って現れない。
これも焦点の定まり難い作品。神戸とんぼ玉ミュージアムで撮影させて戴いてやっとましな画像になりました。
縦に見た方が散った花が里山の渓流を流れていく様子が感じられる。
十二帖 須磨(すま)
都落ちし須磨の海に涙する源氏。凪いでいた海は、突然雷鳴が響き荒れ狂う。
この銀色の文様は雷の閃光が波を照らす瞬間を表したものか。
いや氏のFACEBOOKでは「図案化した雷」ということだ。
銀色が三者三様なのは、銀が硫化していく過程なのだそう。
田上氏は言語聴覚士というお仕事とコアガラス制作、そして家事と多忙だが、それだけに留まらない多趣味な方で、鉱物採集にもちょくちょく出かけるという行動派でもある。
そのお宅では、鉱物から発するガスが漂っていて、銀の硫化が一般家庭よりも早いのだそう。
これをシルバークリーナーに漬けたら折角の色の変化がなくなって、新品になってしまいます
銀はすぐに黒ずむので、手入れがやっかいだが、手入れしてはいけないものもあるのだ。
ガラスの銀化を好むのは日本人で、欧米の人々は嫌うという話を聞いたことがあるが、硫化の過程を楽しむ作品は、正に日本人好みなのかも。
ということは、この「須磨」は若いのだ。氏の作品の時代が感じられる作品群だった。
細工も細かくなっていて、線状の沈彫がある。
こんなところで余談を挟むが、シルバークリーナーというのは本当に使い易く、簡単に銀の硫化が還元される。
数年前にトルコ黒海沿岸の街トラブゾンのアヤソフィア聖堂を見学後、近くのKazaziye(カザズィエ、銀線細工)のお店に入った。
トルコの伝統工芸にまるでケルトの組紐文様のようなものがあることを知って、それを忘れないでおこうとこの直径3㎝ほどのペンダントを買い求めた。
その時にお店の人が、銀製ですが、他の銀製品のように黒くなりませんと言ったが、空気の悪いところで暮らしているせいか、変色してしまい(左がわ)、見るのもいやになっていた。
以前田上氏の個展にお邪魔した時に教えてもらったのがシルバークリーナーで、液に浸けるだけと簡単そうなので買ってはいたのだが、無精なためそのままにしていた。それを今回の話で思い出し、やっと浸してみたら、10秒ほどで右のように綺麗になりました。
十三帖 明石(あかし)
月明かりの夜、源氏は琴、明石の入道は琵琶を弾き、語り合う。
今年は中秋の名月は見られなかった。この作品をその時の幻の月明かりとしよう。
十四帖 澪標(みおつくし)
船上の明石の君は、住吉詣での源氏の一行をはるかに望み、浜を離れる。
明石の君の想ひでをガラスの檻に閉じ込めて。あるいは、閉じ込めていたものが殻を破る瞬間?
十五帖 蓬生(よもぎう)
源氏の再訪を信じて荒れ果てた屋敷で待つ末摘花。
源氏は叢の露を鞭で払いながら、廷内に入る。
源氏物語絵巻の「蓬生」の場面は、華やかな宮廷を吹抜屋台で表現したものとは全く違う。雑草の茂る末摘花の屋敷の庭が舞台となっている。
薄紫の草の露が金箔の上にポチポチと。
十六帖 関屋(せきや)
帰京する空蝉と石山詣での源氏は、逢坂の関で偶然すれ違い、昔の思い出に和歌を交わす。
トンボ玉の右端と左端に空蝉と源氏の思いが表れている。空蝉の方が強いみたい。
十七帖 絵合わせ(えあわせ)
宮中は絵の評論合戦の話題一色。意匠を凝らした絵が次々に披露される。
広間に散らされた絵が金箔の短冊で表され、それに興じる人々の声が砂子状の金箔で表されているよう。
十八帖 松風(まつかぜ)
嵯峨野桂の院造営中の宴。松の茂る野辺で、鷹狩りの獲物が差し出される。
この表面に散らされた箔片は、十七帖のものとも異なる。いったいどれだけの魔法を使っているのだろう。
松林を通り抜ける清々しい風かな。
※ これらの作品は田上惠美子氏、天善堂及び神戸とんぼ玉ミュージアムの許可を得て撮影しました。
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関連項目
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参考文献
「ガラス工芸-歴史と現在」 1999年 岡山市立オリエント美術館