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2016/09/30
始皇帝と大兵馬俑展8 陶鍑
以前から騎馬遊牧民や鍑という青銅製の鍋に興味を持っていたが、始皇帝と大兵馬俑展で陶製の鍑に出会うとは思いも寄らなかった。
陶鍑 陶製 高16.8幅24.5奥行20.0㎝ 戦国時代(前5-4世紀) 黄陵県寨頭河48号墓出土 陝西省考古研究院蔵
同展図録は、鍑は把手と高台をもつ深めの容器であり、肉などを煮炊きするのに用いる。その分布は北方ユーラシアに広がることから、遊牧文化圏の所産と考えられるが、材質は基本的に青銅であり、土器で仕上げた例はたいへん珍しい。胎土は灰色であるが、表面に白土で塗膜を施している。全体的になめらかで明るい印象をもつ。こうした遊牧文化圏の青銅器が土器へと転写されている点に、西戎文化の多元性がかいまみえるという。
当時、青銅器がどの程度普及していたのだろう。ある程度以上の階級の人物でないと青銅器を持つことができなかったということはなかったのかな。
この陶鍑の把手は上部が角ばっている。似た把手をもつ鍑が、シベリアのトゥバで出土している。
鍑 青銅 前7世紀末 アルジャン2号墳出土
同展図録は、ここでは、中国西北部で牧畜を主な生業とし、青銅器や玉器による中国の伝統的な祭祀儀礼や漢字を受容しなかった、中国側から見て「野蛮」な集団を一括して「西戎」と呼ぶ。
秦と「西戎」とのかかわりは密接である。秦の初期の都城が置かれたと考えられる甘粛省礼県では、「西戎」の暮らしていた痕跡が数多く見つかっている。秦と「西戎」は、互いに明確な境界線を設けて住み分けていたのではなく、雑居と呼ぶにふさわしい様相を呈していた。
多くの民族や集団が暮らす中国大陸で初めて統一国家を打ち立てたのが、「雑居」に早くから慣れ親しんだ秦であったのは、決して偶然ではないであろうという。
余談だが、春秋戦国時代の青銅製鍑が秦の都城から出土している。
雍城出土の鍑は春秋戦国時代のものとされているので、雍城に都があった前677年から櫟陽に遷都した前383年までに製作されたものとする。
北方ユーラシアの鍑と大きく異なるのは、肩部に文様帯がめぐっていることで、その文様はS字形の双頭有舌螭龍が二重に絡んで構成されている(『泉屋博古中国古銅器編』より)という螭文であることから、他の地域から請来されたものではなく、当時の中国でつくられたものである。
器体もアルジャン2号墳出土の鍑よりもずっと薄く、中国の鋳造技術の高さを示している。しかし、丸い把手の上に突起があるのは、同古墳出土の大きい方の鍑と共通していて、当時の秦と騎馬遊牧民に交易などの交流があったことが窺える。
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関連項目
積石塚は盗掘され易い
春秋秦の雍城出土の鍑が最古?
始皇帝と大兵馬俑展6 馬の鞍
始皇帝と大兵馬俑展5 銅車馬と壁画の馬
始皇帝と大兵馬俑展4 銅車馬と文様
始皇帝と大兵馬俑展3 銅車馬
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会
※参考文献
「始皇帝と大兵馬俑展図録」 2015年 NHK・朝日新聞社