ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2016/08/05
イシク・クル湖北岸の岩絵4 ラクダは初期鉄器時代にやってきた
『Masterpieces of PRIMEVAL ART』には、チョルポン・アタの近くの別の岩絵について書かれた本で、イシク・クル湖の青銅器時代について、
初期青銅器時代は前3500年-2000年、中期青銅器時代は前2000-1600年、後期青銅器時代は前1600-1200年、初期鉄器時代は前1200-450年としている。
チョルポン・アタの岩絵博物館ではラクダの絵もあった。前8-後5世紀のサカあるいは烏孫が描いたものとされている。
フタコブラクダに人が騎乗している場面で、人の手で隠れているが、手綱をラクダの口に付けている。
同書は、ラクダはしばしばスキタイ-サカ族のシンボルである。その姿は儀式的な灯火、犠牲の台、ベルトのバックルや他のものに見られる。最も多いのは2頭のラクダの闘いで、首を絡み合わせお互いに噛み合う図柄であるという。
しかしながら、同書にはそのような場面は載っていない。
ラクダの群 初期鉄器時代 チェト・コイ・スー
これは野生ではなく、放牧されている群だろう。この中に2人の人間が描かれているが、野生の群ならばこんなに近寄れないはず。下の方にイヌもいるみたい。
ラクダの飼育 初期鉄器時代 チェト・コイ・スー
小さなフタコブラクダの鼻に手綱をつけている場面。
フタコブラクダに乗り狩りをする人 初期鉄器時代
太陽の標章がイヌまたは訓練した肉食獣とラクダの間に描かれる。
槍のようなものを持つ狩人の乗るラクダには綱がかけられている。しかし、猟はこれからのようで、ラクダは後肢から立ち上がろうとしている。それとも、獲物の群に近づいた狩人が、ラクダを止め、地面に降りて槍を投げるのだろうか。
ラクダ 中世 チェト・コイ・スー
中世になっても岩絵は描かれた。
ラクダを描いた後に別のもの(白で表される)が描かれたらしい。荷物も運ばず、人間も登場しない。
イシク・クル湖の岩絵にラクダが登場するのは初期鉄器時代。
他の動物は新石器時代以来描かれてきたのに、ラクダが初期鉄器時代まで描かれなかったのは何故だろう。
先史時代に描かれたラスコーの壁画ではウマが多いが、当時はウマは食糧だったと言われている。
もし、イシク・クル湖周辺にラクダがいたなら、やはり騎乗よりも先に食糧とされたに違いない。ラクダとシカ・アルガリ・アイベックスなどの草食獣と比べると、どちらが速く走るかはわからないが、体の大きさからすれば、ラクダはかなり食べでのある動物だっただろう。
そう考えると、フタコブラクダは初期鉄器時代なってこの地域にやってきた、人に飼われた動物ということになる。
イシク・クル湖北岸の岩絵3 車輪と騎馬←
関連項目
イシク・クル湖北岸の岩絵2 サカ・烏孫期のオオツノヒツジは新石器時代のものが手本?
イシク・クル湖北岸の岩絵1 シカの角が樹木冠に?
※参考文献
「Masterpieces of PRIMEVAL ART」 Victor Kadyrov 2014年 Rarity