ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/12/02
第66回正倉院展5 鳥毛立女屏風に描かれた岩
今回の正倉院展では、鳥毛立女屏風6扇のうち、4扇が出陳されていて、それぞれが背後に樹木ね前景(下の方)には小さな岩が描かれ、そのうちの3扇が岩の上に坐っていた。
第四扇
前にある小さな岩も、婦人の坐る岩も奇妙な岩である。まるで太湖石のようだが、唐時代から太湖石を庭に置くような趣味があったのだろうか。
第六扇
面部以外はほとんど後補ということだが、岩の様子ははっきりとわかる。動物が這いつくばっているようでもある。何故か葉脈の描かれた蓮弁のようなものが、その岩の縁にある。第四扇にもある。何だろう。
仕女図部分 陝西省長安県韋家墓西壁 唐、開元天宝年間(713-756) 西安市陝西歴史博物館蔵
画面の前面(下部)に描かれているのも奇岩である。樹木も草花も奇岩も、おおざっぱに表現している。
花鳥図 唐(8世紀) 紙本着色 縦140.5横205㎝ トゥルファン、カラホージョ50号墓出土
『シルクロード絹と黄金の道展図録』は、太い茶色の線で区画された3つの画面が並ぶこの花鳥図は、もともと墓室内の壁に貼り付けられていたものである。各扇には、蝶および白い雲や横に伸びる朱色の線などのほか、さまざまな格好の鳥が岩や花とともに、墨画淡彩で描かれているという。
やはり奇岩は画面の下端に描かれるもののようだ。
同書は、特にかすれを伴いながら引かれた岩の輪郭線と立体感を表現するための淡墨による岩肌の表現は、唐代絵画のありさまを彷彿とさせ貴重であるという。
鳥毛立女屏風の岩の形はこの図と異なるが、輪郭の描き方や淡墨による岩の表現は共通している。
黒柿蘇芳染金銀山水絵の箱部分 奈良(8世紀) 正倉院宝物
このような岩山の表現も、参考にされたかも。
後の時代には庭に奇岩を置くのが流行する。
『図説中国の歴史7宋』は、宋代の士大夫は、別荘に大きな園林を設け、そこに水をひいて池を掘り、草花や竹や木を植えました。さらに仮山(築山)を築くことで彩りを添え、これによって山水を尚び風雅を愛する文人の興趣を具現しました。
徽宗は、ことに江南の珍しい花や奇岩を愛でたので、それらを江南から都に運ばせ皇宮の園林に配しました。
これは、当時はるばる江南から都へと運ばれた、太湖石をはじめとする珍木奇石の遺物である。金は北宋を滅ぼしてから、それらの多くを奪い中都(現在の北京城南西の隅、北海公園)に運び込み、都に彩りを添えたという。
ここまで過熱はしていなくても、きっと唐時代すでに形の妙な石を好む傾向があったのだ。
第66回正倉院展4 鳥毛立女の体型←
関連項目
第66回正倉院展3 鳥毛立女屏風には坐像もある
第66回正倉院展2 奈良時代の経巻に山岳図
第66回正倉院展1 正倉を見に行く
※参考文献
「第66回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2014年 仏教美術協会
「世界美術大全集東洋編4 隋・唐」 1997年 小学館
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「図説中国文明史7 宋 成熟する文明」 稲畑耕一郎監修 2006年 創元社