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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/05/09

アクロテリアは生命の樹



新アクロポリス美術館でみつけたアクロテリアは、パルテノン神殿の破風上に置かれていたものだった。
説明板は、元の高さは3.9-4m。オリジナルのアカンサスの葉が付け加えられた。アクロテリアは、アカンサスの葉とフェニックス(シュロ)の団扇形の葉の組み合わせである。4つの断片は、感性に訴える萼、茎、そしてアカンサスのギザギザの葉とフェニックスの細長い葉を細部まで表すという。
パルメットではなくフェニックスの葉だった。
それについてはこちら

神殿の破風には装飾品が載せられていたようだが、アカンサス唐草に繋がるものだとは限らない。
例えば、オリンピアのヘラ神殿(前590年頃)には円盤状のものがのっていたという。
テラコッタに彩色されたもので、現在はオリンピア考古博物館で見ることができる。
『オリンピアとオリンピック競技会』は、幾筋かの同心円が浮き彫りにされ、全体が彩色されていた。周縁に細かい突起が放射状についているので、太陽を象徴していたと考えられているという。

そして、同じオリンピアでも前457年過ぎに完成したとされる(『オリンピアとオリンピック競技会』より)、ゼウス神殿では破風頂部に有翼の像が載せられ、両端には青銅の鼎が置かれている。
それは、建立された年代によってアクロテリアに流行があったか、神殿を奉献された神によるのかも知れない。

パルテノン神殿が完成したのは前432年(『古代ギリシア遺跡事典』より)、その頃にはアカンサス唐草のアクロテリアが極めて完成された形でつくられている。それは、パルテノンのアクロテリア以前に、すでにアカンサスとパルメットまたはフェニックスの葉の組み合わせのアクロテリアが制作されていた可能性を示すものである。
しかしながら、同じくアクロポリスの丘にあったという古アテナ神殿や古パルテノン神殿の遺物として発展途上にあるアクロテリアというものは発見されていないようだ。

それならば、このアクロテリアに繋がるものを探してみよう。とりあえず、似たものといえばパルメットとロータスの組み合わせ文様帯アンテミオンである。
アンテミオンにはアカンサスはなかったが、そこにアカンサスの葉が入り込んだり巻きひげや花などが出たりする最初のものが、アテネ、アクロポリスのエレクテイオン(前395年再建)にある。

アンテミオンを遡っていくと、

シフノス人の宝庫 前525年頃 5.4X8.37m
入口の枠は卵鏃文と下向きのアンテミオンの文様帯がある。

建物の装飾でこれ以前のアンテミオンは見付けられなかったので、アンテミオンを文様帯に使うことの多い陶器でみてみると、

フランソワの壺 アッティカ黒像式クラテル 前570年頃 キウジ出土 高さ66㎝ フィレンツェ考古博物館蔵
かなり派手なアンテミオンであるが、これを見ていると、文様帯とアクロテリアのような単独のものとは別物だという気もする。 

ここで行き詰まって、『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』の図版をパラパラと眺めていて、あるものを発見した。

ロドス島の皿 前600年頃 直径38.5㎝ ロドス島カミロス出土 ロンドン、大英博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、東ギリシアのイオニアの陶器画にはいっそう強くオリエントの影響が及んでいる。おそらくロドス島を主産地とする、いわゆる「野山羊式」が典型的な例で、この様式のメイン・モティーフである野山羊に混じって、大きな木の左右に人物ないし動物をワッペン風に配した「生命の木」や鳥獣合体の怪獣グリフォンなど、オリエント直輸入のモティーフを随所に取り入れている。しかし、おなじロドス島の作品でも、前7世紀も末になると、「生命の木」の左右の人物はギリシアの英雄伝説の登場人物に差し替えられ、「生命の木」自体も形はギリシア独自のパルメット・ロータス文に近づいているという。
二人の戦士の間上部から下がっている、パルメットと渦巻の組み合わせのようなものは、「生命の木」だった。
生命の樹が上からさがっているというのも妙ではあるが、この生命の樹を逆さまにしたものが、パルテノン神殿のアクロテリアへと繋がっていくものではないだろうか。ということは、パルテノンのアクロテリアは生命の樹だったのだ。 

生命の樹を遡っていくと、

プロト・アッティカ式アンフォラ 前660年頃 ポリュフェモスの画家 高さ142㎝ エレウシス考古博物館蔵
同書は、なお幾何学様式の陶器装飾法の名残をとどめるものの、文様自体は花文と葉文が集まって一本の木となり、あるいはロータス、パルメットといった、その後のギリシア文様の基本となる植物文様が登場している。しかし、そうした文様を脇役に押しやって画面の中心に躍り出たのが人物像であるという。
一本の木、それはどこにあるのだろう。探し回ったあげく、左の黒い人物の足の間のものがそれと分かった。というよりも、木らしきものがこれ以外に見つからないのだ。この「木」は生命の樹ではないのだろうか。


これがやがてロータスやパルメットという文様になっていくというのは興味深い。もっとも、ロータス文もパルメット文も、というよりも文様の名称というものは、後世に適当に付けられているので、ロータスやパルメットの元になったが同じものということもあるだろう。

    パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
                          →生命の樹の枝が巻きひげに


関連項目
生命の樹を遡る
ギリシアの生命の樹の起源はアッシリア
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
エピダウロス3 考古博物館に神殿の上部構造
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)
オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
オリンピア5 ゼウス神殿
オリンピア9 ヘラ神殿界隈

※参考文献
「オリンピアとオリンピック競技会」 ISTEMENE TRIANTI,PANOS VALAVANIS 2009年 EVANGELIA CHYTI
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ