ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/09/27
アテネ国立考古博物館 ミケーネ2 円形墓域A出土の墓標
ミケーネの考古博物館では、円形墓域Bから出土した、中央に四角い穴の開いた石製墓標が展示されていたが、円形墓域Aの方が墓標の数では多かったようだ。
ミケーネ遺跡にあった説明板に円形墓域Aの墓標の立っていた想像復元図があった。
墓標 円形墓域A、Ⅴ墓出土 前16世紀
上の枠内は不揃いだが連続する渦巻文が隙間なく配されている。
上段は、両端を除いて、左右と下から伸びる3本の紐状のものが、中央へと巻き込まれている。
下の段は両端を除き、左右と上から伸びる3本の紐状のものが渦をつくっている。
そして中段は、両端を除き、左右上下から伸びる4本のものが渦をつくっている。
下の枠は、一人で戦車を操りながら、左手に剣を持つ人物が、前方の剣を振りかざしながら逃げる人物を追いかけている。上の2つの渦を組み合わせた文様は何だろう?中国の雲気文のような。
下にも連続する渦巻文がある。
墓標 ポロス産の石 前16世紀 円形墓域A、Ⅴ墓出土
説明では、上下のパネルは渦巻文で埋めつくされ、中央のパネルは立って馬をあやつる御者が乗る戦車と、馬の前にいる槍をもった男が御者を攻撃する場面という。
下段の円内に3つの渦のパターンが文様を作っている。その一つは、上の墓標の馬の上にある渦と同じ。
墓標
下にシカを追うライオンがはっきりと刻まれているが、その上がわかりにくい。戦車の車輪とその上に立つ人物は前の馬を御している。馬の下に何かがありそうだ。
パネルの両側に縦長の枠があり、何かの文様が連続して表されている。見たことがある文様なのだが。
このパネルの上、あるいは上下に連続渦文があったのかな。
墓標 前16世紀 円形墓域A、Ⅱ墓出土 ポロス産の石
説明は、縦に3つのパネルに分けられ、その2つが蛇行文であるという。
渦巻になる前の文様なのだろうか。
墓標すべてに連続渦文があったのではなかった。
アテネ国立考古博物館 ミケーネ1 アガメムノンの黄金マスクとはいうものの←
→アテネ国立考古博物館 ミケーネ3 瓢箪形の楯は8の字型楯
関連項目
ペロポネソス半島4 ミケーネ3 円形墓域A
アテネ国立考古博物館 ミケーネ7 円形墓域Bの出土物
アテネ国立考古博物館 ミケーネ6 ガラス
アテネ国立考古博物館 ミケーネ5 貴石の象嵌
アテネ国立考古博物館 ミケーネ4 象嵌という技術
2013/09/24
アテネ国立考古博物館 ミケーネ1 アガメムノンの黄金マスクとはいうものの
ミケーネの主な出土品に限らず、地方で昔発見されたものは、ほとんどが首都アテネの考古学博物館に収蔵されている。それはその当時、地方に博物館がなかったためだという。
ミケーネの出土品で最も有名なものは、「アガメムノンの黄金マスク」と呼ばれている、円形墓域Aから出土した埋葬者の顔に被せていた金製の面だろう。
円形墓域Aについてはこちら
その一番の目玉は、博物館の玄関を入ってまっすぐ進んだ第4室の入口前から、正面に展示されているのが見える。そのため、建物の外側の光がガラスケースに反射してしまい、写しにくかった。
円形墓域A、Ⅳ墓出土品のケース 前16世紀
『ギリシア美術紀行』は、4.5X6.4mという最大のⅣ墓-3人の男と2人の女、そして2人の子供の遺骸。収蔵登録項目はシュリーマン以後のものも含めて395。黄金面3,黄金冠2、黄金頭帯8、木製剣柄16、短剣5、短剣柄6、ナイフ16も、かみそり5、黄金杯5(「ネストールの杯」を含む)、象牙10(もしくは11)、青銅杯22、アラバスタ壺3、ファイアンス壺2、陶器8、黄金リュトン2(「獅子のリュトン」を含む)、駝鳥卵リュトン2、黄金指輪2、銀指輪3、黄金首飾1も黄金象牙櫛1、銀製8の字大楯1、5人の衣装より683個の黄金円盤と打ち出し黄金装飾板、その他細々したもの多数という。
『ギリシア美術紀行』は、黄金面はⅣ、Ⅴ墓合わせて5面出土しているが、「アガメムノンの黄金マスク」はⅤ墓の方から出土した。周知のごとく、ネストルもアガメムノンもトロイア戦争の主人公の名前であり、シュリーマンは驚喜してこれらホメロスの英雄たちの名前を使用しているが、この円形墓域Aは大体LHⅡの時代、前16世紀のものとされ、前13世紀中葉と推定されているトロイア戦争とははなはだしくかけ離れているという。
円形墓域A、Ⅴ墓出土品のケース 前16世紀
通称「アガメムノンの黄金マスク」。どうにか反射をさけて写したが、指が入ってしまった。
かなりの年配の人物だったようだ。
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、黄金のマスクで顔を覆ったのはエジプトの影響といわれる。遺体はそれぞれ黄金の胸板で飾られていた。「アガメムノンのマスク」と同じ遺体に置かれていたのは連続渦文で一面に飾られたものであった。このように他の黄金のマスクの持ち主に比べてとくに豪華に飾られていたことからも、「アガメムノンのマスク」の主が傑出した人物であったことが推測される。このマスク自体、他と比較して目立って優れた技巧をしめしており、細く長く通った鼻筋、薄い唇、引き締まった頑丈な顎、そして強く縁取られた眼は、威厳に満ちた王者の顔立ちを浮き上がらせているという。
その下の金製胸当て 前16世紀
一面に二重の渦巻文が打ち出されている。どちらかというと、私にはこちらの方が嬉しい作品だ。
金銅ではなく純金製のはずなのに、左側に緑青が出ているのは、剣などの青銅製品からのもらい錆だろう。
更に下の青銅製剣 金象嵌 前16世紀
離れて見ると金製の剣かと思うくらい、金の象嵌で埋め尽くされている。そして、その象嵌は複雑な渦巻文で満ちている。
左右の渦巻は4本の紐状のものを巻き込み、中央の渦巻は上下左右の渦巻から出た6本の紐状のものを巻き込んでいる。
渦巻の中心には6-8枚の花弁や、4-7個の点がある。
このケースにもう1品、連続渦文がある。それは胸当ての右下、六角形の小箱、のはずが、それが見えるようには展示されていなかった。
しかも、この渦巻繋文がよく写っている図版がなかなかないのだった。
六角形の木箱 金板張り 前1550年頃 高さ8.5㎝
どちらもが、このライオンが狩りをしている様を表した面がメインと考えているようだ。
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、英雄のみが相対せるようなライオンの獲物に対する圧倒的な力とスピードは、技巧的には拙い金製飾り板にかえって生々しく表現されているという。
しかし、ライオンよりも連続渦文に焦点を当てている人がいる。
立田洋司氏著『唐草文様』は、その昔、唐草文様の起源が知りたいと思っていた頃に出版された本である。ギリシア旅行から帰ったら、またこの本を開いてみようと思ってた。
同書は、6つの渦が一つの目に絡んだ文様の実例としては、紀元前第2千年紀(紀元前1000年代)にその名を馳せたミュケーナイが遺した金製の帯が挙げられ、また3-4つの渦が巻き込み合った例も同時代のティリュンスやミュケーナイなどのギリシア遺跡からの出土物にかなり見られるという。
このような渦を凝視していると、4つの渦から伸びた蔓が互いに集合して出来上がった渦は、卍繋文の原形ではないかとさえ思えてくる。
ライオンもすごいかも知れないが、今の私は、この渦巻繋文の方に興味がある。
ガイドの説明を聞きながら、勝手にあちこち写真を写していたので、どこをどう撮ったかわからなくなってしまったので、これらが円形墓域Aの出土物かどうかよくわかりませんが、アテネ国立考古博物館のミケーネ時代の展示室がどんなものか、写真を数枚付け足しておきます。
このコーナーは金の薄板に文様をたたき出したものが並んでいる。左側の同じ形のものが複数あるものは、衣装などに取り付けたもの。
部屋の中央には金製の坏が3段にわたって並んでいる。
ネストールの坏 Ⅳ墓出土 前16世紀
名称からもっと形の整っている金坏だろうと思っていたので、予想外だった。
把手に鳥が乗っている。
上の左辺を正面から見ると。
大壺 銀製 円形墓域A、Ⅴ墓出土
その左側。肩に大きな渦巻文、その下にはアーチ状の装飾。
円形墓域A出土の黄金製品
黄金の酒杯が4点、どういう訳か、総てが犬の把手になっている。
青銅製の剣類
円形墓域Aの出土物。中央の耳飾りは面白い形なので写したが、とんでもないピンボケだった。
ディアデム Ⅲ墓出土 金製打ちだし 前16世紀後半
ここには渦巻がないなあ。
円形墓域A出土品
牡牛の頭部のリュトン 青銅・金・銀 前1550-1500年 Ⅳ墓出土
ライオン頭部のリュトン 金製 前16世紀中頃 Ⅳ墓出土
8の字楯 銀製
『ギリシア美術紀行』は、Ⅳ墓の出土品の中に、8の字大楯1としているが、これはそのミニチュアだろうか。
この形が楯とわかるのは、ライオンとの戦いで使っている図があったため。
それについては後日
宗教儀式用壺 Ⅳ墓出土 大理石 前16世紀
上から見るとおそらく四葉形で、その3つに大きな把手がついている。
牡鹿形容器 銀製
アナトリアとの関係を示すという。牛に鹿の角が生えているような・・・
ギリシア神殿6 メガロン←
→アテネ国立考古博物館 ミケーネ2 円形墓域A出土の墓標
関連項目
ミケーネ3 円形墓域A
アテネ国立考古博物館 ミケーネ7 円形墓域Bの出土物
アテネ国立考古博物館 ミケーネ6 ガラス
アテネ国立考古博物館 ミケーネ5 貴石の象嵌
アテネ国立考古博物館 ミケーネ4 象嵌という技術
アテネ国立考古博物館 ミケーネ3 瓢箪形の楯は8の字型楯
※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ビジュアル考古学3 エーゲ海文明 ギリシアのあけぼの」 編集主幹吉村作治 1998年 ニュートンプレス
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ
2013/09/20
ギリシア神殿6 メガロン
ギリシア神殿の原形はミケーネ時代のメガロンだという。それについてはこちら
『古代ギリシア遺跡事典』はミケーネの宮殿について、現在見ることができるのは、ミケーネ文明が繁栄していた最後の段階の宮殿であり、南東に張り出した基壇の上に設けられたメガロンを中心に構成されている。
メガロンは長軸を東西方向におき、全体は長さ23m、幅11.5mの規模をもっていた。中庭に面した2本の柱が天井を支える前庭部から前室を経てさらに奥へ進むと、メガロンの主室にいたるという。
円柱の2本あるイン・アンテス式の前庭、狭い前室、そして主室と3つ並んでいるのがメガロン。
主室には4本の円柱で囲まれた炉が設置されていたが、現在ではメガロンには入ることもできず、また、屋根で保護されていて、遠くから様子をうかがい知ることもできない。
博物館の模型で見ると、何となく主室の炉とそれを囲む4本の柱礎がわかる。
そしてやっと見付けた炉とそれを囲む4本の柱礎の図版。
『CORINTHIA-ARGOLIDA』は、最高統治者、線文字Bの粘土板にいうワナカの玉座があり、直径3.7mの大きな炉がある。炉はプラスターで覆われ、炎をモティーフにした文様と渦巻文で装飾されていた。炉の周りの4本の円柱は、屋根の開口部を支えていた。メガロンの周壁にはフレスコ画が描かれ、わずかながら残っているという。
コトバンクでは、単にプラスターといったときには石膏プラスターを指すという。
ミケーネ時代のメガロンは他の王城でも確認されている。
ティリュンス
『ギリシア美術紀行』は、ティリュンスはミュケナイから南へ19㎞、遺跡の下をバス道路が真直ぐ走り抜ける、アルゴス平野の只中に位置している。このティリュンスの王城はミュケナイのそれと大体同じ前14世紀の前半に第一期工事が始まり、かつ同じような運命を辿る。南北約300m、最大幅100mの規模はミュケナイのそれよりやや小さめであるが、しかし725mに及ぶ周壁の保存状態はこちらの方が良いように思うという。
メガロンの位置にギリシア時代には神殿が造られている。しかも、規模はギリシア時代の方が小さい。
更にもっと古い青銅器時代にはミケーネ時代のメガロンがすっぽり収まりそうな直径の円形の建物があったらしい。
ミケーネのメガロンもそうだが、ティリュンスでも、玉座は主室奥壁ではなく、右壁に取り付けられていた。
ミケーネより古いミノア文明の王宮でも玉座は三間続きの奥の部屋の正面ではなく、右壁にあった。それについては後日
ピュロス
『ギリシア美術紀行』は、この宮殿跡より発見された無数の陶器類その他の遺品はほぼミュケナイ時代LHⅢB(前13世紀)の様式を物語る。トロイア戦争の火災によって破壊されたといわれるトロイア第7市Aの地層が前1260年頃に比定されうるならば、それより2世代後の前1200年頃にドーリス人の侵入によって滅亡したとする神話と考古学上の事実が完全に一致することになる。いずれにしろピュロス宮殿の歴史は短命であったという。
『ギリシア美術紀行』は、「玉座の間」は小さい規模のもので、12.9X11.2mしかない。
玉座は今は存在しないが、東北面を背にし-宮殿全体が西北・東南をプランの軸線にしている-その右手の床には、灌奠用に使用されたと思われる水盤状の窪みが2つ、それらをつなぐ2mの長さの溝と共に残っている。玉座の背後の壁面には有翼グリュプスとライオンが紋章状に組み合わされていたという。
場所も時代も異なるが、アッシリアでは、狩猟した獲物(ライオンなど)に灌奠の儀式をする場面が浮彫で表されている。ミケーネでも、特別な時には動物の生贄を酒などで浄めて、炉で焼いて食べるというような儀式めいたことをしていたのではないだろうか。それとも炉はただ暖を取るだけのものだったのか。
また、有翼の鳥グリフィンは、クレタのクノッソス宮殿玉座の間にも壁面に何頭が描かれている。それについては後日。
また、ミケーネの祭祀センターのフレスコの部屋には、鳥グリフィンを従えた女性または女神が描かれていた。ミケーネにも鳥グリフィンが登場するのは、ミノアの影響だろうか。
中央の直径4m、高さ20㎝の祭儀用の炉は、円の縁と側面にいまだにはっきりと彩色模様をとどめている。32本の縦溝(柱礎を固めていた漆喰の痕跡からわかる)をもつ4本の柱が天井を支えていた。床は刻線で不規則な碁盤目に区画され、その各々に赤、黄、青、白、黒による千差万別の模様が描かれ、どういう象徴的意味か不明だが、玉座の前の一つには蛸の絵が登場するという。
炉の立ち上がり側面には鋸歯文、いや火焔文、炉の斜めの縁には渦巻文がありそうだ。渦巻は隣接する渦巻と繋がっている。
ところで、ミケーネのメガロンは王宮の一部で、神殿あるいは祭祀センターは別の場所にあった。何故祭祀センターが神殿へと発展せずに、王宮の主体部が神殿へと変容を遂げたのだろう。
アカンサス唐草文の最初は?←
→アテネ国立考古博物館 ミケーネ1 アガメムノンの黄金マスクとはいうものの
関連項目
ミケーネ5 メガロン
※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 1997年 山川出版社
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 ELSI SPATHARI 2010年 HERPEROS EDITIONS
2013/09/17
アカンサス唐草文の最初は?
エピダウロスのトロス周柱廊の天井には、アカンサス唐草がはっきりと表されていた。
トロスの建立時期について『ギリシア美術紀行』は前360-320年、『CORINTHIA-ARGOLIDA』は前365-335年という。どちらが正しいか、唐草文の様式で見ていくことにする。
左側を横にしてみる。
茎は捻れながら伸びているが、枝分かれした蔓は輪郭が凸に、蔓そのものは凹んで表されている。
その特徴を、エピダウロスの考古博物館に展示されていた軒飾りのアカンサス唐草と比べてみると、
アスクレピオス神殿(前380-370年頃)の軒飾り
茎に筋はあるものの、捻れてはいないので、2冊の本の記述を裏付けられた。また、蔓の凹みも前の時代のものを受け継いでいることもわかった。
アルテミス神殿(前4世紀)の犬の樋口の軒飾り
これがトロスの周柱廊天井のアカンサス唐草の表現と近いのではないかと思う。
この神殿の建立年代がもう少しはっきりしていれば良いのだが。
では、プロピュライア(前330年代)の北側軒飾りはどうだろう。
こちらは蔓にギザギザが出現し、凹みはより深くなっていて、ライオンの迫力ある頭部と共に、おどろおどろしさが出ている。病気治癒を求めてやってきた者達は、これを見て恐くなかったのだろうか。
このアスクレピオスの神域への玄関口のプロピュライアは、トロスやアルテミス神殿より後に造られた、言い換えれば、トロスは前330年代以前に建立されていたことになる。
唐草文の様式からみると、『CORINTHIA-ARGOLIDA』のトロスは前365-335年頃建造されたという記述の方が正しいことになる。
陶器に描かれた建物の破風に、蔓草文が描かれていた。前360-350年頃にはすでに、蔓草文は建物の上部にあることが珍しくなかったことを示している。
クラテル断片 前360-350年頃 イタリア、ターラント出土 グナティア様式 ヴュルツブルク、マルティン・フォン・ヴァーグナー美術館蔵
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、初期グナティア様式のコンナキス・グループの手になるこの作品は断片ながら、当時の演劇の舞台について種々のヒントを与えてくれる点でも、また背景の建築表現に当時流行していた遠近法がかなり正確に用いられている点でも、きわめて貴重な資料である。欠落している右側にも左側と同じようなファサード(建造物の正面部)の突出部があり、突出部を左右にもつこの建築複合体については、こうした舞台建築が実際にあり、それを表現したものだという説と、楽屋建築の壁面にしつらえた板に描いたイリュージョニスティックな舞台背景画-いわゆるスケノグラフィア-を写したものだとする説があるという。
神殿を描いたものではなかったが、棟飾りのアクロテリオンや軒飾りのライオンの頭部、その下のコーニスの卵鏃文、メトープに浮彫はないが、トリグリフ、などの上部構造が表される。それらを支えているのはイオニア式柱頭。
そして、何よりもこの陶器画を採り上げた理由の三角破風(ペディメント)に描かれた唐草文。アカンサスの葉は見えないが、茎から分かれて渦巻いた先から花柄が出ていたり、茎が蛇行しながら伸びていく様子は、簡素ながら、当時の唐草文を表現よくしている。
エピダウロスの考古博物館で、トロスよりも古いアカンサス唐草がアスクレピオス神殿(前380-370年頃)にあったことを知った。
今回のギリシア旅行では、もっと古いアカンサス唐草、あるいは最古の唐草文を見付けることができるだろうか。
エピダウロスのトロス2 天井のアカンサス唐草←
→古代マケドニアの唐草文1 ヴェルギナ
関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
ギリシア神殿6 メガロン
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
ギリシア神殿4 上部構造も石造に
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった
※参考文献
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 HESPEROS EDITIONS
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
2013/09/13
エピダウロスのトロス2 天井のアカンサス唐草
アカンサス唐草を調べていた頃、『古代ギリシア美術紀行』で、エピダウロスのトロスのコリント式柱頭と、アカンサス唐草のある格間の図版を見て以来、ギリシアを旅することができたなら、是非見たいと思ってきた。それがようやく叶う日がきた。
トロスとは円形の建造物のことで、エピダウロスでは円形堂である。
建立時期については、『ギリシア美術紀行』は前360-320年、『CORINTHIA-ARGOLIDA』は前365-335年とする。
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』はエピダウロスのトロスについて、デルフォイの先例同様、ナオス外側の周柱はドーリス式、内側はコリントス式であるが、各部の装飾ははるかに洗練され、豊かである。
ドーリス式フリーズのメトープには花弁文様、ナオス入口の脇柱にはレスボス風キュマティオンと花弁文様が施され、ナオスの内部では華麗なコリントス式柱頭が豊潤な装飾世界の頂点を形成していたという。
しかし、現在は復元中で、全くわからない。
博物館内にあった想像復元図
『CORINTHIA-ARGOLIDA』は、トロスは、前365-335年に建築家で彫刻家のポリュクレイトスによって建てられた。外側は26本の石灰岩の列柱の並ぶドーリス式、中央は円形の石灰岩のケラ、内部は14本のコリント式列柱という。
その内側の白黒の模様について『ギリシア美術紀行』は、白と黒の菱形模様の石板を敷つめた床という。
そしてこれが周柱廊の天井格間。
おそらく上の方が外側で、格間の四角形を円形に並べた時にできる隙間にアカンサス唐草を配置したのだろう。アカンサスにしろ、蔓草にしろ、地面から生えて上方に伸びるが、展示の都合上、逆さまになっている。
外側から着衣に向かって、大きな卵鏃文、横並びの小さな卵鏃文、格間とアカンサス唐草、横並びの小さな卵鏃文、波頭文、大きな卵鏃文という風に並んでいる。
格間は3段に刳りがあって、それぞれの外周を小さな卵鏃文が巡り、一番中側に大きな花文がある。このような文様はないが、後世のローマのパンテオンのドーム天井を思い起こさせる。
『世界美術大全集4』は、周柱廊の天井格間にはアカンサスの葉と百合の花という。
葉は確かにアカンサスだが、中央の花はユリだろうか。ユリは萼3枚と花弁3枚、合わせて6枚の花ではなかったかな。
タイサンボクかなとも思ったが、花が違うし、北米原産だった。
アカンサス唐草と同様、現実にはない植物かも知れない。
ギリシアでは、ミケーネ時代のミケーネ円形墓域A出土の短剣に、すでにユリの花が図案化されていて、ユリは珍しい花でもなかったと思われるので、格間の四弁花は別の花だろう。
さて、せっかく見ることができたので、格間の両側にあるアカンサス唐草をズームして写してみた。
それを合成して、植物らしく先端が上に来るように配置してみた。
これはもう、どう見てもアカンサスの株だ。そこから蔓が捻れながら伸びて、次のアカンサスの葉のところで、渦巻く蔓と、伸びる蔓、その間に花の蕾が出ている。
そして反対側にもアカンサスの葉が付いた小さく渦巻く蔓。
主蔓はもう1枚小さな葉を出して、S字に曲がっていく。
葉がまた1枚出たところで枝分かれして小さな渦を巻く。
そこから主蔓はまた反対方向にカーブを始める。
やや大きな葉が出た節で、蔓は枝分かれして小さな渦を巻き、主蔓は葉に隠れてまたカーブし、その先が一巻きして、蕾が出たところで終わる。
アカンサス唐草と卵鏃文の間の文様をキュマティオンと呼ぶのだと思う。
左側も同じ方向に蔓が巻いているので、展示のような格間の左右にアカンサス唐草が配置されているのがひとまとまりではないことがわかった。
エピダウロスのトロス1 コリント式柱頭← →アカンサス唐草文の最初は?
関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
ギリシア建築8 イオニア式柱頭
エピダウロス4 トロス
アカンサスの葉が唐草に
※参考文献
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1997年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 HESPEROS EDITIONS
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