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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/01/29

敦煌莫高窟17 大涅槃像が2体



敦煌莫高窟には大像の涅槃像が2体ある。第148窟と第158窟で、どちらも2度目の見学だった。


涅槃像 敦煌莫高窟第148窟西壁 石胎塑造 長14.4m 盛唐末・大暦11年(776)
『敦煌石窟精選50窟鑑賞ガイド』は、第148窟は莫高窟の南の端に位置する、大型の涅槃窟である。その後、中唐、五代、西夏などの各時代に補修された。
主室は横長の方形で、西壁一面に仏壇を設け、釈迦の涅槃像を置く。涅槃像は石胎塑造によるもので、体長14.4m、頭を南に向け、足を重ね、手枕をして横臥する。その南、西、北側の3面に悲しみを訴える比丘、天人、聖衆の像が83体並んでいるが、惜しいことにいずれも清代に補修されたものであるという。
背後に壁画の人物ではなく、人物の群像が並んでいるので、甬道から主室に入った瞬間異様な印象を受ける。
群像は清代の重修だとすぐにわかるので、じっくりと鑑賞する気になれない。
左方向に進んで釈迦の顔が見えてくると、盛唐期の雰囲気が残っていないことがわかる。やっぱり清代の重修かな。
涅槃図は私の書庫には盛唐期(712-781)の涅槃図がないと思っていたら、西壁の涅槃経変にあることが『敦煌石窟精選50窟鑑賞ガイド』の小さな図版でわかった。
しかし、背景の緑色の配し方など、西壁の壁画の雰囲気が盛唐のものではなさそうだ。

涅槃図 西壁 涅槃経変図中 時代不明
同書は、仏壇上方の西壁に、壁一面に「涅槃経変」を描くという。
涅槃図は寝台の左側面(頭部側)から見た構図になっていて、しかも右手枕の釈迦は寝台に斜めに横臥するというくだけた表現となっている。
開窟は盛唐末期でも、この涅槃経変は後の時代の重修だった。日本の涅槃図に繋がる唐時代の構図はわからないままだ。
もう一つの涅槃窟は158窟で、吐蕃、つまりチベット族の支配期に開かれた。
『中国石窟敦煌莫高窟4』は、天宝14年(755)に安史の乱が起こり、精鋭部隊が中原に向かったため河西は守りに隙ができた。それに乗じて吐蕃が侵入、沙州の守備隊は抵抗し、11年堅守した後、河西回廊は吐蕃の支配下に入った。
吐蕃は仏教を信奉したため、敦煌莫高窟に66窟を開鑿し、内48窟が現存しているという。
吐蕃支配期を中唐と呼び、盛唐期のものに比べると技術が劣るとされている。

涅槃像 敦煌莫高窟第158窟西壁 石胎塑造 全長15.1m 中唐(781-848)
同書は、規模は空前の大型涅槃変。インド、クシナガラのヴァーティー河畔、沙羅双樹の間で、右肘をついて臥したという。
148窟の涅槃像と比べると量感があり、ちらの方が盛唐期の造形を残しているように感じる。
『敦煌の美と心』は、西壁の台座に涅槃像、南壁に立仏も北壁に倚坐仏を配し、現世仏としての釈迦涅槃仏を中心に、過去・未来の三世仏を安置する構成で、天井は棺の形になっているという。
敦煌研究院の王さんも棺の形になっていますと言ったので、皆で天井を見上げたはずだが、天井に傾斜があったかどうかは覚えていない。
傾斜のある木棺についてはこちら
『中国石窟敦煌莫高窟4』は、螺髪は整い、顔は豊満で、安らかに微笑む。凡人の臨終のような苦痛や悲哀は微塵もなく、眠っているようだ。弟子や信徒の悲しむ表現が強烈なのとは対照的だという。
涅槃像は盛唐の雰囲気を残していても、背後に描かれた比丘たちの顔は、隈取りが変色しているが、隈の付け方が独特で、もはや盛唐期ではないことがわかる。
各国王子図 北壁涅槃変中
足もとの壁面には、釈迦の涅槃を伝え聞いて悲しむ様子を、各国の王子が在家信徒の代表として描かれている。ある者は耳を切り、ある者は胸を小刀で刺す。両側を侍女に支えられている漢族の皇帝の他に、吐蕃、突厥、ウイグルなど各民族や、南方のアフガン、パキスタンなど、南海の民族に混じって康居国の王子がいる。画師は、それぞれの服装、人物の特徴を注意深く描き、唐代が密接に国際関係を結んでいた事を表現しているという。 
それぞれの民族が人の死を悲しむ風習が表されている。
2本の小刀で胸を突く人物の被っているのは、現在でも見かけるキルギス帽だ。当時キルギス族は現在よりも中国に近いところで暮らしていた。
もちろん中国の皇帝も冕冠を被って登場していて、何故か皇帝にだけ頭光がある。
おまけ

中唐期の迦陵頻伽
全体に精密には描かれていないので、どこからどこまでが迦陵頻伽かわかりにくいが、足は鳥ではなく、人間のそれとして表されているようだ。
中唐期の飛天
盛唐期の飛天と同様に雲に乗り、天衣が長く後方に伸びている。

つづく

関連項目
クシャーン朝、ガンダーラの涅槃図浮彫
中国の涅槃像には頭が右のものがある
キジル石窟は後壁に涅槃図がある
敦煌莫高窟16 最古の涅槃図は北周
敦煌莫高窟15 涅槃図は隋代が多い
日本の仏涅槃図
傾斜のある木棺1
傾斜のある木棺2
傾斜のある木棺3
敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代から
敦煌莫高窟12 285窟は飛天が素晴らしい
敦煌莫高窟13 飛天1 西魏まで
敦煌莫高窟14 飛天2 西魏以後

※参考文献
「敦煌石窟 精選50窟鑑賞ガイド」 樊錦詩・劉永増 2003年 文化出版局
「中国石窟 敦煌莫高窟4」 敦煌文物研究所 1999年 文物出版社
「敦煌の美と心 シルクロード夢幻」 李最雄他 2000年 雄山閣出版株式会社
「絵は語る2 仏涅槃図 大いなる死の造形」 泉武夫 1994年 平凡社