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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/12/28

敦煌莫高窟12 285窟は飛天が素晴らしい 


285窟は大きな窟で、壁画の内容も豊富だった。その中でも西魏に特徴的な天衣をたなびかせて空に浮かんだ飛天の姿は出色だった。その多くは長い袴状のものを履き、身をほぼL字形に曲げて空に浮かんでいる。
しかし、天衣も細身の体軀も南朝由来の北朝様式だ。細身の秀骨清像も、西魏の飛天の特徴と思っていた飛天の尖った天衣も、5世紀後半の南朝の画像磚に、すでに現れている。
それについてはこちら

伏斗式天井には、摩尼宝珠や中国の神話に登場する神々や獣の間に、雲気文と共に飛天が浮かんでいた。

伏斗式天井東披
右下に1体だけ飛天がいる。天衣は腕に2回巻き付けるとこのようになるのだろうか。
両手を合わせているみたい。
四弁の天花だけでなく、五弁のものが飛天の前に浮かんでいる。探してみると五弁の天花はこれだけだった。描き間違いだろうか。
北披
4体の飛天が表されている。
摩尼宝珠の下にいる身を反り返らせて幡を持つのは飛天ではないが、羽人でもなさそうだ。持幡童子かな。
一番上に「鮮花」の両側にはほぼ左右対称に飛天が天衣に風を受けている。手に何かを持っているようにも見える。
青い天衣は腕を2度くぐっている。
他の2飛天は北坡から西坡へと飛んでいきそうな気配。
西披
上には雷神に囲まれて2体の飛天が向かい合っている。
下の方に2体の飛天がいる。
上の方の飛天。左側の飛天の天衣は、元はどんな色だったのだろう。
西披から南披へ
意外と飛天が少ない。
南披
摩尼宝珠の両側に2体、下に1体の飛天が浮かんでいる。
左右の飛天は、少し大きさが異なり、手の位置も同じではない。
開明に向かって突進する烏荻を見付けて振り返り、減速しているようだ。一番下の天衣の先が曲がっている。このような先の曲がった天衣はこの飛天だけなので、何かそのようなことを表そうとしているようだ。
なお、朱雀をはさんで右にも天衣をたなびかせたものがいるが、これは中国古来の羽人で、ウサギのような耳と、青緑色の羽根がある。
飛天が浮かぶのは天井だけではない。

南壁の天井直下、赤い垂幕の下には飛天が並んでいる。
『中国石窟敦煌莫高窟1』は、12体の飛天が音楽を奏で散華して正壁方向に飛んでいる。中原の秀骨清像式飛天であるという。
2番目は箜篌を弾きながら後方を向いて飛び、3番目は阮咸を左手に持ち、体は後ろ向きで顔は前向きにして飛んでいる。
285窟の飛天はそれぞれ素晴らしいが、この2体の飛天の組み合わせが一番人気があるようで、285窟の飛天の模写といえばこの2体だった。
この2体の中では箜篌を奏でながら後ろ向きで飛ぶこの飛天が気に入った。
この段の天花は三弁で、それぞれの場所によって変化をつけている。
空中に舞うのは天衣だけではなかった。裙の帯もが限りなく長く延びている。
続く飛天は四弦の曲頸琵琶。そして弦の数はわからないが直頸琵琶を弾く飛天。五弦琵琶だろう。

敦煌莫高窟では、一つの窟の見学は長くてもせいぜい10分。それは人の出す二酸化炭素が壁画によくないからということで、仕方のないことだが、こんなに盛りだくさんの285窟では、伏斗式天井が二階建ての足場で見えなくても、四壁を見て回るのに10分では無理!


画像に記載書名のないものは、すべて莫高窟陳列館のコピー窟で撮影したものです。

関連項目
敦煌莫高窟9 285窟に南朝の影響
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟285窟の辟邪は饕餮
五弦琵琶は敦煌莫高窟にもあった
法隆寺金堂天蓋から2 莫高窟の窟頂を探したら

※参考文献
「中国石窟 敦煌莫高窟1」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 曽布川寛・出川哲朗監修 2000年 小学館