ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2012/08/24
中国の有翼獣を遡る2
しかし、それよりも古い有翼獣あった。
立鶴方壺部分 河南省新鄭県李家楼出土 春秋時代中期、前6世紀 北京故宮博物院蔵
『グリフィンの飛翔』は、中国における合成有翼獣については、李零の優れた研究がある[李 2004]。それによれば、中国に有翼獣が最初に出現するのは春秋時代中期、前6世紀であるという。
体は鱗に覆われていて龍のように長い。この獣は首を180度曲げて後ろを向いているが、このポーズが草原地帯の動物表現の特徴である点に注目している。
そしてそれから戦国時代にかけて(前6~3世紀)いくつかの例が現れる。これらがみな中国北部、すなわち草原地帯や西域と接した地域から出土していること、特に中山王は北方遊牧民系の白狄出身であったこと、前6~3世紀には草原地帯でグリフィン図像が流行していたことから、これらの有翼神獣は北方や西方から伝来したのではないかという説を発表した。
戦国時代には北方遊牧民との交流が活発化しており、グリフィンのような装飾モティーフが中国に受け入れられた可能性も十分にある。ただしその交流が春秋時代中期、前6世紀にまでさかのぼるかどうかは現段階では不明であるという。
すると、この有翼獣は中国独自のものという可能性もあるのだろうか。それとも、前6世紀まで遡らないのではということなのだろうか。『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』もこの方壺の年代は前6世紀としている。
前足の付け根から出た翼は背中よりも上外側に出ている。前足と後足の上に出ているのは何だろう。魚のヒレのようなものだろうか。
南シベリア、山地アルタイのパジリク古墳群の出土品にはグリフォンが表されているという遺品は絨毯だった。
絨毯(部分) アケメネス朝(前5世紀末~前4世紀初) ロシア、アルタイ、パジリク5号墳出土 羊毛 全体189X200㎝ エルミタージュ美術館蔵
パジリク5号墳は積石木槨墓。その様子はこちら
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、この生産地は織りの細かさや文様の点から見て、アルタイではなくペルシアであろうと発掘者のルデンコは考えているという。
絨毯の一番外側と、中央の24個の方形の枠の外側にグリフィンを表した方形の文様が並んでいる。グリフィンのあるものは前を向き、あるものは後ろを振り返っている。
翼は黒と白?の横縞で表されている。
また、『グリフィンの飛翔』は、マルサドロフはパジリクの墓室に使われている木材を資料に、年輪年代学的研究と放射性炭素同位元素の分析から、アルタイの古墳の年代を割り出している。それによれば、パジリクで最も古い古墳は2号墳で、その年代は前5世紀の第3四半期(すなわち前450-426年)であり、それと最も新しい古墳(5号墳)との年代差は約50年であるという[Zarsadolov 1988:80;マルサドローフ1991:38]という。
有翼獣の表された絨毯が、アケメネス朝からもたらされたものとしても、パジリク5号墳の年代から考えて、方壺(春秋中期)の有翼龍の方が古いことになる。
仮に、方壺がこの絨毯よりも後に作られたものであったとしても、このような天馬の翼が、立鶴方壺の龍の翼に繋がるとも思えない。
いったい、この龍の翼は、どこから伝わったのだろう。
※参考文献
「ユーラシア考古学選書 グリフィンの飛翔~聖獣からみた文化交流」 林俊雄 2006年 雄山閣
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館
「季刊文化遺産12 騎馬遊牧民の黄金文化」 2001年 島根県並河萬里写真財団