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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/05/04

タイルの歴史

タイルとは呼ばれないが、壁面の被覆材として彩色のあるものに、彩釉レンガと呼ばれるものが紀元前にあった。

ペルシャの射手 彩釉煉瓦 スーサ、ダレイオスⅠの宮殿、アパダナ(謁見の間) 高さ197.5㎝、長さ80㎝ ダレイオスⅠの治世(前522-486年) ルーヴル美術館蔵
彩釉レンガについてはこちら
しかし、その後技術は絶えてしまった。その後釉薬タイルが作られるようになるのは、1000年以上後のことになる。

『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、イスラーム建築最古のタイルは、イラクのサーマッラーから発掘された9世紀アッバース朝のもので、正方形や六角形の単色タイルと正方形や八角形のラスター・タイルがあるという。
下画像は12-14世紀のもの。
同書は、ラスター・タイルとは一枚一枚に絵付けがなされ、表面に金属のような特殊な光沢をもつ。よく似たラスター・タイルが、同朝治下チュニジアに建立されたカイラワーン大モスクのミフラーブの周りにも嵌め込まれ、イラクから運ばれた渡来品であろうとの見解が下されているという。

カイラワーンの大モスクのミフラーブ 836年 チュニジア
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、9世紀に北アフリカに勢力を有していたアグラブ朝の支配者によって建設された。
ミヒラーブ前面左右にはビザンティン様式の柱頭が載せられた大理石の円柱があり、その円柱の上部はアーチとなり、アーチ左右は装飾壁面となっている。このアーチと左右の装飾壁面に、正方形のラスター彩タイルが合計139点嵌め込まれいる
という。

正方形のタイルを斜めに貼り付けている。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、ラスター彩タイルは、ラスター彩陶器とともにアッバース朝初期から生産され始めたが、初期のものは、金属的な光沢が弱い。カイラワーンのラスター彩タイルも金属的発色は弱い。また文様も単純な幾何学文様や様式化された植物文様など、バグダード周辺で制作されたラスター彩陶器と共通点が多いという。
一見ラスター彩タイルとそうでないタイルを交互に並べているかのようだが、隙間がある。それで、漆喰壁に斜めにしたラスター彩タイルを並べ、地の部分に花文様を描いていることがわかる。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、この使用法から見ても、タイルは目立った大切なところに使われる貴重品であったことが推測されるという。
その貴重なものを2倍の面積に貼り付ける工夫をしたのだろう。このような貼り付け方がこのモスクだけだったのか、制作地でも貴重なために同じように間隔をあけて貼り付けていたのかはわからない。
幾何学文が面白い。2つとして同じものがないのではないかと思うくらいいろいろある。ひょっとしたら、139点の中には、アニ遺跡のキャラバンサライの天井に見られるような文様もあるかも知れない。
同書は、その後11世紀にいたるまでの実例は、いまだ発表されていない。11世紀に入ると中央アジアやイランといったペルシア世界で、土色の煉瓦建築の一部に小片の空色タイルが嵌め込まれるようになるという。
嵌め込みタイルの現存最古の例は、イスファハーンのメナーレ・マスジェデ・アリー(11世紀後半だが、空色嵌め込みタイル部分は後補の可能性)かも知れないが、ブハラのカリヤン・ミナレット(1127年)やイスファハーンのサレバン・ミナレット(1130年)だろう。
焼成レンガの小片を様々に組み合わせて文様にしたところに、刻まれた空色タイルが嵌め込まれている。

この手法は平たい形のタイルを壁面に貼り付けていくものではなく、小さなテッセラで作り上げるモザイクに通じる、モザイクタイルへと発展していく。

1253年(『イスラーム建築のみかた』ほか)とされるエルズルム、チフテ・ミナーレ・メドレセの2つのミナレットにも焼成レンガの中に空色タイルが嵌め込まれている。
その基部には黒っぽい紫色にも見えるタイルもあって、花文の他、中央の円内はイスラームの文字をデザイン化したものに2種類の8点星を組み合わせている。
ひょっとするとモザイクタイルの最初のものはこのモスクではないかと思ったが、それよりも以前に造られたモスクにあった。

マリク・ズーザーン・モスクのモザイクタイル ホラサーン地方 1219年
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、11世紀半ばから12世紀には、東方イスラーム世界では中央アジアのトルコ族を出自とするセルジューク朝が覇権を握ったため、多様なる煉瓦に釉薬ををかける事から生じたさまざまなタイルの萌芽的な技法が、中央アジアからアナトリアにいたる広い圏域にひろまった。モザイク・タイルの技法では、ホラサーン地方のマリク・ズーザーン・モスクが早く、土色の煉瓦と空色と白の釉薬タイルが幾何学文様に合わせて刻まれた後に集成されるという。
上部の空色タイルによる6点星と六角形の組み合わせ、円文の中の複雑な幾何学文や植物文などが、まるで透彫のように仕上げられている。
このような完成度の高いタイル装飾を見ると、サレバン・ミナレット以来、連綿とタイル装飾は工夫を重ねてきたことが伺える。
しかし、アニ遺跡のキャラバンサライ(1031年)より遡るタイル装飾の遺例は見付けられなかった。
私が勝手に石のタイルと呼んでいるものの参考になるような装飾もなかった。
ひょっとすると、建物ではなく、家具や扉など木製品にこのような文様が浮彫されていたのではないだろうか。
それとも、アイーシャ・ビビ廟(カザフスタン、タラス、12世紀)に残っているような異形煉瓦と呼ばれる焼成レンガの種類が以前からあって、キャラバンサライの天井にあるような文様もすでに使用されていたのかも知れない。
異形レンガのうち、8点星のものについてはこちら

異形煉瓦というものがあるとすれば、異材タイルというものもあったのかも。

関連項目
空色嵌め込みタイル1 12世紀

※参考文献
「四大文明 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK  
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館 
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館 
「イスラーム建築のみかた」深見奈緒子 2003年 東京堂出版