アンティオコスⅠはコンマゲネ王国の4代目の王だった。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、ペルシアのダリウスⅡが死に、息子のアルタクセルクセスⅡ(前404-359)が即位した。
コンマゲネのオロンデスはアルタクセルクセスの総督のひとりだった。アルタクセルクセスの娘ロドグネを妻としたため、後にアンティオコスⅠが、その父方の祖をペルシアの王室にありと誇ったのはこの結婚を根拠としたものだった。
イッススの戦い(前333年)でダリウスⅢがアレクサンダーに敗れたことにより、この地方のペルシア支配も終わる。そして前323年、アレクサンダー大王の予期せぬ死の後、その広大な帝国は将軍たちの手で分割された。コンマゲネはセレウコスⅠニカトール(前305-280)の領土の一部となる。
前163年、コンマゲネの総督サモスは当時の政治状況を巧みに利用し、王プトレマイオスとして即位した(-前130)。
父の後を継いだサモスⅡ(前130-100)は跡取り息子のミトラダテスⅠカリニコス(前100-70)とセレウコス王アンティオコスⅧグリポスの娘ラディケを結婚させた。
コンマゲネのアンティオコスⅠが、母方の祖先をセレウコス朝、さらにはアレクサンダー大王に繋がるものとして誇ったのはこの縁組みを根拠としていた。
アンティオコスⅠ(前69-31)はローマのポンペイウスによりコンマゲネ王として正式に認められ、コンマゲネの歴史の中で最も華やかな時代を迎えるという。
ニムファイオス河畔のアルサメイアには柱礎だけが残る墓がある。
前80年、アンティオコスⅠの父ミトラダテス・カリニコスはアルサメイアに自らの陵墓を建設することを決めた。
ミトラダテスⅠカリニコスの墓は有名なハリカルナッソスの陵墓と同じタイプだったらしいという。
いったいどんな墓だったのだろう。
ハリカルナッソスのマウソレウムというのは、世界の七不思議の一つに選ばれているくらいの建造物だ。
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、前377年ペルシアのカリア太守(サトラップ)ヘカトムヌスの後を継いだマウソロス(前377-353)は、都をハリカルナッソスに移すと、やがて、港を円形劇場のオルケストラのように見下ろす町の中心に自らの墓を建設すべく、世界中から芸術家や職人を集めた。
マウソレイオンは西暦14世紀の地震による崩壊までほぼ完全な姿で残存していたものと思われる。
イェッペセンによれば基底部の平面は南北の長辺の長さ38.4m、東西の短辺の長さ32.5m、全周で141.8m、総高は57.6mと算出されているという。
このマウソレウムは、大きさや外観に様々な説があるようだ。
上部構造は9X11柱のイオニア式神殿の形式をとり、その周柱廊の36の柱間には「ネレイデスの墓」に倣って、巨大な人物像が1体ずつ配置された。
現在までに大小さまざまな尺度をもち、かつ豹や騎馬などを含むいろいろな主題の丸彫り彫刻の断片が出土しているが、それらは当時にあっては総数で数百体にも及んだと推定される。
その他の彫刻装飾として、現在ほぼ完全な一個体を残している獅子は神殿の屋根のコーニスの上に多数並べられていたのだろうという。
ミトラダテスⅠカリニコスは、このような建物を、規模は小さかっただろうが自分の墓廟として山中の岩場に造ったという。
エスキ・カレのH.ウォルフラムによる復元図では、正方形に近い平面の外縁に沿って四角い台座が並んでいる。上図の周柱廊のように円柱が並んでいたと仮定したのだろう。
ところが、現在では円柱の柱礎くらいしか残っていない。地震で倒壊したとしても、もう少し残っていてもよさそうだ。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、作者不明の12世紀シリアの写本によると、ペラル村のバルサウマ修道院の聖堂建築にあたり、そこから1日行程の山頂にあった異教の建物から白い石を運んできたという。それがこの建物を指していたと推定されるという。
円柱や石材など、岩場から削り出して成形する労力に比べたら、既存の建物の部材を転用した方が簡単なので、このようなことは行われてきたようだ。
碑文によると陵墓に面してゼウス-オロマスデス、ヘラ-テレイア、ヘラクレス-アルタグネス、アポロン-ミトラス、ヘリオス-ヘルメス、ミトラダテスⅠカリニコス、そしてアンティオコスⅠの像が並んでいたという。その背後には祭壇があったものと考えられるという。しかしそれは、息子のアンティオコスⅠがおこなった建設事業である。
ミトラダテスⅠカリニコスのギリシア風墓廟は、息子のアンティオコスⅠには受け継がれなかった。
ということは、アンティオコスⅠの横穴式岩窟墓に石片を円錐形に積み上げた積石塚状の墓廟は、父方のペルシア風だったのだろうか。
※参考文献
「コンマゲネ王国ネムルート」(2010年 A Tourism Yayinlari)
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」(1995年 小学館)