その壁面はレンガ造りで、ヴォールト天井の起拱点に出っ張った白い石が嵌め込まれ、その下部も壁面よりは出ている。おそらく上の荷重を支えるため、補強の意味があったのだろう。
交差ヴォールトは、四方の起拱点から対角に出たアーチを交差させるため、1つの起拱点から2つの曲面が立ち上がっている。起拱点から鋭角の三角曲面が2つ出ていることになり、それが滑らかな1つの三角曲面、ペンデンティブへと発展していくのではないかと考えるようになった。
今まで大きな建造物ばかり探してきたが、5世紀半ばに造られたというラヴェンナのガッラ・プラチディア廟にも小さなドーム天井があった。
グーグルアースでは解像度が悪く、下の画像の中央にある墓廟は陰になってほとんどわからない。
大きな地図で見る
外観は瓦屋根で、ドームとは思えない。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、この建物はガルラ・プラチディアが自分の墓廟として建てたと従来考えられていたが、今日ではそれは疑わしく、むしろ聖ラウレンティスの記念堂であったのではないかと考えられているという。
同書は、ガッラ・プラチディアは信念と信仰の人だったといわれる。彼女は数多くの聖堂を建設したが、その一つ、サンタ・クローチェ聖堂の入口前室(ナルテクス)に付されていたものが、この建物である。ナルテクスは後に前面道路建設のために取り壊されたが、この小建物だけは切り離され、独立した建物として残った。
長辺が12.5m、短辺が10.25mのラテン十字平面をなしているという。出入口のあるのが北。
しかし、中から見上げると確かにドームだった。ドームの始まりのわかる箇所はなく、四隅へと狭まりながら続いた一つの曲面のようだ。
ただ、四隅はかなり凹面になっている。
いったいどんな構法でドームを架構したのだろう。ドームの延長のように四隅に垂れ下がったものは途中で消滅し、両側の浅いアーチの縁を飾る赤い文様帯だけになってしまう。2本の文様帯も互いに近づいていき、やがて太い1本の帯となる。正方形の四隅は90度に凹んでいるはずなのに、私の目には四隅から迫り出しているように見える(矢印)。
かなり凹んだ曲面だが、ひょっとして、これがペンデンティブの最初のものではないのだろうか。交差ヴォールトの対角線となる横断アーチが途中からなくなって、ドームという凹凸のない曲面へと繋がっていくように見える。
横断アーチをなくした分、四隅から出た浅いアーチでドームからの荷重を分散させているのではないだろうか。
それにしてもドーム部の壁体の分厚いこと。日本的にいうと宝形造り(ほうぎょうづくり)のような屋根にすることで、ドーム頂部はやや薄く仕上げてある。
しかし、ペンデンティブを支える稜線のようなものは柱ではなく、壁面から出ているのだった。
どうもペンデンティブを用いたドームは、正方形からどのように円形に持って行くかという工夫ではなく、ドームからいかに正方形平面に持って行くかということではなかったかと考えるようになった。
関連項目
11世紀に8つのペンデンティブにのるドーム
※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「NHK名画の旅2 光は東方より」 1994年 講談社
「建築と都市の美学 イタリアⅡ神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」 陣内秀信 2000年 建築資料研究社
「建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂 静なる空間の輝き」 香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社
「ビザンティン美術への旅」 赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社