ルネサンス美術に興味のない私は、フィレンツェは白い大きな建物の並ぶ冷たい街という思い込みがあったが、実際に行ってみると、古い小さな建物の残る小ぢんまりした町で、気に入ってしまった。
まず目に留まったのは、ドゥオーモの洗礼堂の南東角にある建物だった。
苔むした屋根瓦や窓の形が気になった。よく見ると窓ガラスが、ヴェネツィアで見かけた円い形を並べたものだった。この時はまだロンデルという言葉を知らなかった。
下のアーチの中の赤い旗にピガッロ美術館とあった。中に入れたのだろうか。
建物の途中にある大きな屋根が気になって左側面に回って見ると、屋根の上に黄色い外壁の上階があるように見えたものは隣の建物だった。
側面にも大きな軒の下にはもロンデル窓が一対あった。何となく窓ガラスがに歪みが生じているようだ。ヴェネツィアで見たものより古そうだ。じっくり見ると、この窓は、ヴェネツィアのように、上下左右に並べているのではなく、果物などを箱に入れる時のように、上下交互に並べて、隙間を小さくしている。隙間の形は三角形状で、1つのロンデルの周囲に6つの三角形ができている。
その後ポンテヴェッキオ(Ponte Vecchio)へ行くのに、一つ西のローマ通(Via Roma)に入った。
大きな地図で見る
レプブリーカ広場(Piazza Repubblica)を過ぎて左側にも古い建物があった。屋上が砦のようになっていて、面白いので撮ったら、ここの窓はさっきのピガッロ美術館のものと形が同じで、ガラスもロンデルだった。
その建物の北壁には他の形の小窓もあって、どれもがロンデル窓になっている。
その窓の一つから明かりが見えた。やっぱりこの窓もロンデルが交互に並んでいる。
円いガラス1つ1つに室内の明かりが映っていて、その明かりがロンデルごとに少しずつ異なっているのを面白く思い、カメラに収めた。
円形一枚一枚をロンデルと呼び、吹きガラスで容器を作る要領で作った後、更に熱をかけて広げていきながら勢いよく廻すと器が遠心力でお皿になり、最後に真ん中を支えているポンテを切り落として徐冷します。
ですから真ん中にポンテ痕が付いていて、その外側に同心円状の輪が幾つもできるので、光も揺らぎながら入ってきて、とても趣がありますなあという個展で聞いた田上惠美子氏の言葉通りだ。
しかし田上氏は言葉を続けた、ロンデルは古いものほど同心円状の輪が多くて、中央のポンテ痕も大きいと。やっぱりこの窓もそれほど古くなさそうだ。
フィレンツェ半日観光の最後はヴェッキオ宮殿だった。窓の形は上の二つの建物とよく似ているが、ロンデル窓ではなく板ガラスだった。
ウィキペディアは、1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、1550年から15665年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築されたという。
中庭から見上げた2階の窓にもロンデルが交互に並んでいた。
今回フィレンツェで見かけたロンデル窓は、どれもが鉛線の枠があり、ロンデルの隙間の三角形状の部分がどんなガラスを使ったものかまではわからなかった。
ロンデル窓がいつ頃からあるのかについて記された本が見当たらなかったので、検索してみると、『ガラスの王国』のクラウン法に、4~7世紀頃、シリア人が発明したといわれる板ガラス聖像方法の草分けじゃ。 ・・・略・・・ この製法をきっかけに、窓にもガラスが多く使われるようになったといわれておる。
初期の頃は、ビールびんの底のような、小さな円盤しか作れなかったため、これをステンドグラスのように鉛の枠でつなぎ合わせて窓にはめ込んだりしてした。このような窓を「ロンデル窓」というとあった。
発明されたとされる時期が4-7世紀と幅がある。そして、ロンデルとロンデルの隙間はどのようになっていたのかはわからないままだ。
※参考サイト
ウィキペディアのヴェッキオ宮殿
ガラスの王国のクラウン法