新羅では一時的に模磚塔が造立されたものの、一般的には木塔が造られていた。その後、石塔が造られるようになっていったようだ。
感恩寺は神文王2年(682)に完成した。塔は三層の石塔で、新羅で石で造られた最初の石塔という。しかも双塔で、釈迦の舎利を収めた塔が一番重要であった頃から、仏像が安置された金堂が一番重要となり、塔は伽藍の装飾品へと移行していく。それは仏教の転換期でもあった。日本でも同じような時期に、薬師寺に2つの木塔が建立されていて、東アジアの仏教の波に、新羅も日本も乗っていたのだ。
芬皇寺模磚塔と同じく軒が持ち送りで造られている。1つの石材を5段に造って、その上に屋根が載っている。






新羅が三国を統一したのち、百済の石塔と新羅の模磚塔の特徴が融合して、新羅式の石塔がつくられるようになった。これが今でも朝鮮半島の石塔の基本となっている。新羅では石塔に基壇を支える柱がつけられ、塔本体の四隅にも木塔をイメージした柱がつけられた。屋根のカーブは木塔を、屋根の裏は磚(レンガ)が張り出す様子を表しているという。
しかし、感恩寺の石塔を見た限りでは、木材に似せて部材を造った部分もあるかも知れないが、軒や屋根が4分割になっているなど、重い石材を高いところにのせる工夫として小さくしたのではないかと思う。


※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「忘れへんうちに」の石塔寺の石塔はどこから来たものか
慶州の感恩寺伽藍は山田寺より広い?
「おっちゃんと旅に出ると」の1日目-5 感恩寺(カムンサ 감은사)址
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