ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2008/02/18
当麻寺で中将姫往生練供養会式
東大門へと戻る途中に中之坊の前を通った。 ちょっと中をのぞいてみると、半分ほど開いた障子の隙間から寒山拾得図が部分的に見えた。昔来た時の記憶はここだったのだ。 『美術ガイド奈良』で、荒廃した寺院の境内らしからぬ雰囲気。 ・・略・・ 村の老人たちのたたずむ様子に、すでに当麻寺のもつ一種独特の特殊性が流れているというように、東大門に近づくにつれ、お寺にいる気がしなくなる。冬なので拝観者以外の人はみかけなかったが、このような立て札があったり、立て札があるところに野良猫がたむろしていたりして、時は移り変わっても、当麻寺の持つ一種独特の特殊性というのは今でも受け継がれているみたいやね。そのような雰囲気で、東大門へと戻っているうちに忘れてしまいそうだが、この当麻寺は、見学非公開とはいえ、中国にも残っていない綴織の観経変相図があるだけでなく、金堂には日本最古の乾漆像の四天王像があり、日本最古級の梵鐘があり、日本最古の燈籠があり、東の三重塔は日本で二番目に古い上に、創建時のまま東塔・西塔が残る唯一の寺でもあった。
しかしそれだけではなかった。聖衆来迎の様子を表した當麻寺練供養というものが毎年行われているらしい。『當麻寺冊子』によると、 「當麻寺お練り」、「當麻れんど」、「迎講」と呼ばれるもので、寛弘2年(1005)叡山横川の恵心僧都が、「當麻曼荼羅を帰依し、中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる」と伝えられる。曼荼羅堂を西方極楽に擬し、その東方にある娑婆堂を人間界とし、その間、約150mの長い来迎の橋を渡す。まず中将姫の輿を極楽から現世の娑婆堂に移し、次に極楽浄土から二十五菩薩の聖衆の面や衣装を着けた人達が、人間界へ来迎し、そして、中将姫は観音菩薩の捧仕する蓮台に迎えられ、再び極楽浄土へと帰って行く儀式で、来迎引接の有様を再現するという会式が毎年5月14日午後4時から行われるそうだ。 小野浄土寺でもかつては迎講が執り行われ、このように菩薩たちが橋の上を練り歩いたのだろうなあ。
関連項目
當麻寺展3 當麻曼荼羅の九品来迎図
當麻寺展2 當麻曼荼羅の西方浄土図細部
當麻寺展1 綴織當麻曼荼羅の主尊の顔
当麻寺で中将姫往生練供養会式
※参考文献
「當麻寺冊子」 当麻寺発行
「週刊古寺をゆく35 当麻寺信貴山」 2001年 小学館ウイークリーブック
「美術ガイド 奈良」 町田甲一 1979年 美術出版社