ギリシア人がポセイドニアという植民都市を築いた後、パエストゥムにはルカニア人たちが暮らしていたことがわかるのは、その墓室画によってである。
その墓室画は国立考古学博物館に多数展示されていた。
『世界美術大全集4』は、ナポリの南約80㎞に位置するパエストゥムは、さらにその南のイオニア海沿岸のギリシア植民市シュバリスがテュレニア海側に通商路網を広げるために前7、6世紀頃建設した都市だった。ポセイドニア(ポセイドンの町)と名付けられたこの都市は前6、5世紀を通じて繁栄し、多くの神殿や公共建築を建造したが、前400年頃後背地にいち古イタリア民族のサムニウム人の一派であるルカニア人によって占拠され、結局、前273年にローマ人によって征服され、その名もパエストゥムと改称された。ルカニア人が支配した前400年頃から前273年までの約1世紀有余の間、この都市は少なくとも2種類の絵画を生み出した。一つはパエストゥム派の陶器画、もう一つは墓壁画であるという。
飛び込む男の墓 前480-470年頃 結晶片岩
『The Painted Tombs of Paestum』は、4枚の厚い石板には饗宴の場面が描かれる。南北の長い面は、客たちが寝椅子に寝そべる。
その絵画様式と墓室内で発見されたアッティカ式レキュトスには2つの特徴が混じっている。ギリシアの少ない副葬品(軟膏の瓶とリラ)と、ギリシアに隣接する東方(リュキア)と西方(エトルリア、カンパニア)のもの。飛び込む男の墓はパエストゥムのマグナ・グラエキアとエトルリア-カンパニアとの国境に位置していたことがわかるという。
そしてそれぞれの壁画の配置を示したパネルも。
説明パネルは、パエストゥムの1.5㎞南で発見された飛び込む男の墓は、この時期を通して人物が登場する場面が描かれた唯一の墓である。人物の描かれた墓が現れるのは、前5世紀後半のことである。更に、蓋に描かれた場面は、高みから水に飛び込む若い男という表現派比類がない。現世から死後への境界の暗喩と解釈されてきた。壁画の場面は、ギリシア人の伝統的な食事風景であるという。
同書は、東面は若い酒の給仕係がリースを掛けた大きなクラテルを置いたテーブルから離れていくという。
西の短面はフルートを吹く少女、若い男、そしてもう一人、年老いて杖を突く男性の行列という。
アンドリウオロ24号墓 前370-360年頃
南面:小さな2本の木の間に冠。ペディメント(三角破風)には葉付き枝と石榴に囲まれた石が描かれる
西面:ボクシングと決闘場面
東面:2頭立て戦車の競走
ルカニア人の墓室画
『The Painted Tombs of Paestum』は、前5世紀第4四半期に2つの異なる壁面装飾が統合された。一つは装飾面、もう一つは建築面で、二つの異なる工房が前4世紀を通して存在した。
アンドリウオロ(Andriuolo)18号墓 前370-360年頃
東面:鹿狩り
動物の輪郭線の内側にわずかに隈取りが施されている。
葉の落ちた灌木の中に逃げ込んだ黄色い鹿に襲いかかる2匹の犬、奥の鹿は逃げおおせられたかな。
南壁:決闘
『世界美術大全集4』は、剣闘士の戦いも、また他の遺例にしばしばみられる拳闘場面も、死者を称えて葬式の際に催される葬礼競技を暗示するものと考えられている。
黒色の輪郭線に肌色の陰影がつけられているものの、線的な、いわば「色のついた素描」であるという。
剣闘士の輪郭または背筋に沿って赤い隈取りが施され、立体感を出そうとしたようだ。
カメラ(Camera)11号墓 前360年頃
戦士を迎える婦人(戦士の帰還)
『世界美術大全集4』は、「戦士の帰還」もルカニア墓壁画にきわめてポピュラーな主題であるが、主として男性の墓に採用される。
アッティカ陶器画の「戦士決別図」のような表現が手本となったと推測されているが、ルカニアの「戦士の帰還図」は、分捕った敵の衣を旗のように凱旋的性格と同時に死者称揚的性格が色濃く、やがて共和政ローマで流行する凱旋画との関係という興味深い問題を提起するという。
アルチノリ1号墓 前360-350年頃
北面:ライオン狩り
この画室墓は、地面が平坦ではなく、波打ったように描かれている。
西面:決闘
南面:ボクシングと狩り
ラゲット(Laghetto)10号墓 前350年頃
西面:嘆く女性たち
東面:ギムナシウムでの一場面
北面:2頭立て戦車の競走
『世界美術大全集4』は、馬車競走も、死者を称えて暗示するものと考えられているという。
アンドリウオロ61号墓 前350年頃
西壁:葬送の場面
南壁:武具と騎士
旗を持ち、後ろ向きの騎士は去って行くようだ。それに比べて大きなトルソや腕のようよなものが大きく表され、まとまりが感じられない。
どうやら胸当てや膝当てのような青銅製の防具を描いているらしい。
アンドリウオロ47号墓 前350年頃
西面:埋葬の準備
東壁上:葬式の行列と黄泉の国への旅立ち
同書は、死者は有翼の妖精(魔神)が黄泉の国と導く船に乗り込もうとしている。冥界でこの船乗りは、ギリシア神カロンとエトルリアの主神を結びつけているという。
下は葬儀の饗宴のための食事や犠牲の牛を運んでいるのだろうか。
南面(上)と北面(下):
ギンバイカのリースまたは蔦文
アンドリウオロ84号墓 前340年頃
南面か北面:騎士と婦人。下向きの波文でペディメントと周壁が区画されていていて、ペディメントには蔓草(唐草)を略したのか、まだなりきっていない植物文様が描かれている。
アンドリウオロ114号墓 前前320年頃
説明パネルは、
北壁:戦闘場面
南壁:不明
西壁:騎士
東壁:騎士
アンドリウオロ4号墓 前4世紀末
西壁:
南壁:2頭立て戦車の競走
北壁:埋葬の準備
東壁:戦闘場面
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関連項目
パエストゥム(Paestum) 博物館
参考文献
「The Painted Tombs of Paestum」 2004年 Pandemos
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館