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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/02/03

泉屋博古館の青銅器1 羽状獣文を探して


前回泉屋博古館に来た時は、特別展を見ただけで集中力が失せてしまい、同館の主要収蔵品である中国の青銅器はその前を通り過ぎただけで、今度行く時は必ずしっかり鑑賞しようと思ったものだった。
ところが、今回は石山寺の本尊如意輪観音半跏像(33年に一度の御開帳)を見、高麗仏画展を観覧した後だったので、その時以上に頭の中が満杯になってしまったため、やはりじっくり見ることはかなわなかった。

青銅器の展示室へ
入ると円筒形の吹き抜けのホールがあり、壁面に取り付けられた階段を登っていく。
その先の開口部が第1展示室。

第1展示室に入ると、青銅器が四方から見えるケースに一つずつ、整然と置かれていた。以前に来た時は、薄暗い中に大量の青銅器が置かれていたように覚えているが、なんと記憶というものの当てにならないものか。
ここは「青銅器名品選」の部屋。もちろん商(殷)時代のものからあるが、この日は春秋戦国時代以降の青銅器を見て歩いた。それは、同年春に東京の根津美術館の中国の古鏡展で、青銅鏡に羽状獣文や渦雷文など文様を覚えたので、その復習のつもりだった。

でも、一番近くの虁神鼓(商後期、前12-11世紀、高82.0㎝重71.1㎏)に吸い寄せられてしまった。

少しはこの展示室を見て回ったが、その後は春秋戦国時代のものを選んで見るようにした。

螭文れい(缶+雨+口3つ) 春秋時代(前7世紀) 高35.7㎝重18.1㎏
説明は、肩が強く張り、底に向かって直線的にすぼまる大型の酒甕。春秋中期から戦国前期にかけて見られる。本器は肩に獣面を透かし風に飾る持ち手が一対付くという。
文様は肩から胴下部にかけて4段あり、上段は双頭の有舌螭文とその隙間に鳥文という。
横向きの斑点のある鳥がなんとかわかる。
それ以外は連続S字状双頭有舌螭文が配されているという。
双頭というのは、双頭の鷲のように、肩の上に2つの頭部があるのではなく、S字状の体の両端が頭部になっている。
地文はない。

蟠螭文錞于 戦国前期(前5世紀) 高40.0㎝重6.2㎏
同館の説明は、底のない円筒形の上方部がふくらみ、その頂部が皿状になり、上に虎形の鈕が打楽器である。円筒形になった胴の下半を叩いたと考えられる。先の鐘や鉦に比べて非常に薄く造っているのが特徴で、柔らかい音がする。春秋中期に出現し、漢時代まで用いられた。本器は頂部の皿の縁が大きく外き、蟠螭文が飾られるという。
裾にこのような文様が一巡している。蟠螭文が崩れたような、羽状獣文になる前の段階のような・・・ いや、あまり整っていない穀粒文のようだ。

円渦文敦 戦国前期(前5世紀) 高24.3㎝重3.23㎏
説明は、半球形の身に一対の環状把手と短い3本足が付く。蓋も身とほぼ同じ形をしていて、蓋をのせると球形の器になる。穀物を盛る器である。春秋時代に出現し、戦国時代に流行した。蓋の頂部にだけ大きな円渦文があるという。
蓋の上の方に動物が3頭表されていて、これは蓋を上向きに置く時、安定が良いように足の役目を果たす。
羽状獣文は、青銅器の文様として発達した龍形文様の羽状飾だけを強調した文様(『中国の古鏡展図録』より)た゜という。その中に3列の列点文が入り込んでいて、龍の鱗のある体を表しているが、その文様が成立していく過程のよう。

者とう(氵+刀)鐘 戦国前期(前4世紀) 高25.7㎝重3.90㎏
説明は、逆U字形の鈕をもつ鐘である。春秋戦国時代以降に流行したタイプという。
枠の下は、左右対称のようだが、複雑に体を捻らせて集まった蟠螭文となっている。
これまでの青銅器と比べると、格段に彫りが浅くなっている。

穀粒螭文壺 戦国後期(前3世紀) 高29.1㎝重1.48㎏ 
説明は、やや外に開き加減の口に、細長い頸、球形の胴をした壺である。肩に獣面の環耳があるという。
文様は頸に沈線で退化した三角螭文、胴に穀粒螭文が4段ある。これはスタンプ状の母型を鋳型に繰り返し型押しして文様帯を形成する。この時期の典型的な施文方法である。全体に厚さ1.7㎜程度で、薄く鋳造しているのが特徴であるという。
「始皇帝と大兵馬俑展」に出品されていた(か、戦国秦、前3世紀)の羽状文によく似ている。幽かに地文の見られる部分もある。

その後第4展示室へ。

螭首文方鏡 春秋末戦国初(前5世紀) 長14.7㎝重502g
説明は、方形の鏡背面を上下二分したなかに、獣面文を対であらわす。獣面は、商・西周期の饕餮を模倣した図像で、眼・眉・鼻・角・三爪の足などが描かれ、その先端が羽状化している。一部錆により浸食されているが、非常に浅い浮彫で精緻に表現されていて、見事な出来栄えの優品であるという。
区画一面に、獣面とその各所から伸びた羽状の渦巻が広がっている。
しかし、よく見ると地も残っており、そこには渦雷文が充填されている。渦雷文としては古いものだろう。あるいは、渦雷文がこんな文様の隙間を埋める工夫として生まれた文様で、それが地を広く多うようになるのが戦国末-前漢初(前3世紀)なのかも。

四鳳文鏡 戦国中期(前4世紀) 径13.3㎝重178g
説明は、螭首文方鏡の主文様の一部を地文として、その上に浅い浮彫の葉文と鳳とをあらわす。鳳は後ろをふりかえり、尾を大きくひるがえす。鏡背全面に地文を充填する形式は戦国時代後半より流行するが、そのなかで本鏡は地文の形状などから、出現期の古いタイプのものと考えられるという。
鈕を巡る方形の区画の角から1枚ずつ細い葉が出ているので、四葉文という文様も盛り込んでいる。
上の螭首文方鏡の主文といえば饕餮を模倣した獣面文様とされているが、どちらかといえば、獣面の各所から伸びる羽状のものだけを採り上げたような地文。

蟠螭文鏡 戦国末-秦時代(前3世紀) 径20.8㎝重544g
説明は、蟠螭文は、口を大きく開けた顔を中心に置き、首から左右両側に胴体を枝分かれさせ、右側胴体に大型の菱雲文を付ける雲気をまとった螭龍の姿を表現するこの時期の典型的なスタイルであるという。
細線の菱形斜格子と渦とを組み合わせた雷文を地文として、その上に3体の蟠螭文を配するという。
地文は渦雷文だった。
2016年の締めくくりに、「羽状獣文」と「渦雷文」を再確認できた。

第4展示室の出口は第1展示室の上方に繋がっていた。こんな風に展示品を上から見られる美術館は少ない。
次回こそは時間をかけて青銅器を見ていこう。

泉屋博古館の青銅器2 饕餮文

関連項目
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
中国の古鏡展2 「山」の字形
中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ

※参考文献
「村上コレクション受贈記念 中国の古鏡展図録」 根津美術館学芸部編 2011 根津美術館