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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/11/22

エルミタージュ美術館1 ペンジケント出土の壁画


ペンジケント遺跡で出土した壁画は、少しだけタジキスタンに残っているが、大半はエルミタージュ美術館に収蔵されている。

怪獣脚の玉座に座る女神像 500年頃 縦150㎝ エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、この壁画は第2神殿の中庭の北側に増築した祠堂の側壁にあったものである。その姿勢、わずかに対称性が崩れた大腿部、揃えた足先、プロポーション、右腕から垂れている飾り紐などは、4世紀にクシャノ・ササン朝が発行したコインに刻印されたアナーヒター女神像の特色に、酷似している。左手には錫杖ではなく、まさにソグドの神に典型的な吹き流しがついた旗を持っている。この形式の旗は隣国の美術作品には今のところ見られないものである。ペンジケントの考古学的発掘に基づいた編年によって、ほかのソグドの壁画はこれよりも100年もあとに描かれたことが判明しているという。
4分の3正面観の顔で、身体は正面観で表されている。
同書は、ソグドの神の重要な要素は、動物形の玉座ないし同種の2頭の動物を脚とした玉座であるという。
これは頭部は動物で翼を持つシームルグあるいはセンムルウという怪獣だろう。
これまでは、ササン朝(7世紀前半)やソグド(7世紀後半)の服の文様として見てきたが、ペンジケントの壁画には、女神の玉座の傍に侍る動物として描かれていた。
5世紀となると、これまで見てきた作品よりも古い例ということになる。

四臂の女神像 6世紀 150X110㎝ 
同書は、この壁画は上の作品と同じ部屋から発見された。これは、神殿の主神を祀った横の祠堂の出入口の正面に設けられた龕(祭壇)の裏にあった壁画である。
女神は車座に座ったドラゴンの背に座っている。ドラゴンはインドの怪獣マカラの頭をしている。これによって、女神がこの地のゼラフシャン川の河神であることがわかる。むろん、その像容には四臂が示すようにインドの影響が顕著である。この女神も左手にソグドに典型的な吹き流しのついた旗(幟)をもっている。女神像には、肩の上方に翻る国王の標識である大型のリボンなど、ササン朝美術の特色がいくつか見られるが、インドの影響も少なくない。
この女神は天幕の中にいるのであろう。辮髪やベルト、さらに腕輪の縁飾りは、金箔で作られている。この作品の彩色では赤色が重要な役割を果たしているが、前時代の壁画よりも立体感がいっそう希薄になっているという。
下向きの両手で正方形に十字葉文が描かれた布を持っているように見えるが、この布はきわめて平たく表現されている。剣に付けられた長いリボンが、規則的に襞を折り、裏側の赤い色が見えたり、女神の赤い裙にも布の衣褶が表されているのとは対照的で、この前面中央に広げられた布が、全体を一層平面的に見せている。

踊る神像 7世紀 150X150㎝
同書は、この壁画は、個人の邸宅の部屋にあった礼拝用の龕から発見された。2本の柱の上に立つアーチの下に、青い体で、腰に虎の毛皮を巻き、左の肘の下に三叉戟を置き、肩に小鈴を連ねた紐を掛けた神が踊る姿が描写されていた。その下方には、形式化したアカンサスの葉が描写されている。ソグド人はこのギリシアの樹木を知らなかったが、中央アジアにヘレニズムとともにもたらされた建築装飾のモティーフとしてのアカンサスをよく知っていた。だから、この絵のアカンサスは、石ないし木を彫刻したような角張った輪郭を示しているのである。肩や肘の上のササン朝由来のリボン装飾は、この神の図像的特色が、4世紀にインド美術とササン朝美術の伝統が融合したトハリスタンからもたらされたことを示している。
この神像の一連の細部の特色から、ソグド人はシヴァ神と同一視された神、おそらくヴェーシュパルカル神を表現しようとしたのであろう。礼拝するソグド人は、持ち運びが可能な拝火壇とバルソム(ゾロアスター教の儀式に用いる小枝の束)を手にした姿で描写されている。
多くの外来モティーフによってソグド人は、死すべき人間と、人間に似ているが持ち物によって互いに識別できる神々を、対照的に描写することに成功した。むろん、シヴァ神像の影響を強く受けたソグドの神像、たとえばマハーディーヴァに似た風神ヴェーシュパルカルと、バクトリアやソグドに伝播したシヴァの神像そのものを識別するのはかならずしも容易ではない
という。

この時代、描かれているのはヒンドゥー教の神ではなく、その姿を借用したソグドの神だった。

フラウァシ像 8世紀初期 100X100㎝
同書は、7人を下らない数の女性が青いラピスラズリの地に描かれていた。各人は手に、ソグド美術ではふつう神の持物として表される吹き流しがついた旗(幟)と、動物の頭を戴く鱗で覆われた太く短い錫杖を持っている。このような錫杖は、ソグド絵画においてはナナーなどの神やアフラシアブの壁画の双瘤駱駝に乗る騎士の像などに見られる。フラウァシ(守護聖霊ないし祖先の霊)は本来男性であるが、この壁画では女性の姿で描写されているという。
右端の女性は、腹部に大きな連珠円文のある布が見えている。他の3人はそれぞれ異なった文様や色の布を着けているし、旗の上の装飾も三日月や鳥など凝っている。
それについては、この壁画の作者はソグド画家の常套手段に従って、各像の配置や細部を変化させて画面の単調さを補おうと努力したという。
横向きや4分の3正面観など、顔の向きも違えている。

ルスタムの間 740年頃
同書は、ペンジケントの豪華な部屋の中でもっとも完全な状態で残っていた一つが、「青色の広間1号」ないし「ルスタムの間」である。4本の柱からなる部屋は、ペンジケントの貴族階級が応接間として用いていたのと同じ構造である。四方の壁に沿ってスーファ(粘土製のベンチ)が設けられていた。
四方の壁面には、上下左右を白い連珠文で枠取りした長方形の装飾画面帯の中に絵が描かれていた。各区画の絵は、お伽話、逸話、『パンチャタントラ』の寓話、『イソップ物語』などさまざまなジャンルの短い物語を主題としていた。上段には、「ルスタムの七つの偉業」の逸話に取材した物語が連続的に描かれていた。ルスタムはイラン民族が愛した偉大な英雄であるという。
勝利者ルスタム像 740年頃 高101㎝
同書は、ルスタムを主題とするこの画面では、ルスタムと騎士アブドラ、龍女、獅子形怪獣の首領との戦い、ルスタムの仲間と彼の獅子との決戦など勇猛なエピソードが、静謐な行軍図と併置されている。ルスタムは豹の毛皮製の非の打ち所のないカフタン(長袖の上着)を着て、兜もかぶらず、鼻面の白い栗毛の愛馬ラフシュにまたがり、兜、鎖帷子、甲冑で武装した騎士団の先頭に立って進んでいる。ルスタムは行軍の始めでは、やや前かがみの姿勢で、待ち構えている敵に備えた格好をしているが、ドラゴンとの激しい決闘のあとでは背筋を伸ばし威風堂々と進んでいる。
ルスタムの細く締まった腰、力強い肩、俊敏な手はソグド戦士の美の理想像を反映している。鍛え上げた彼の肉体には緩慢で重苦しい感じはない。威嚇するかのように眉がつり上がったルスタムの顔は、彼の仲間の端正で画一的な顔とは異なっている。ルスタムの側面観の顔は、顔を4分の3面観で表したほかの人物と対照的である。一方で、画家は重要人物を極度に誇張することを避け、ルスタムとラフシュをほかの人物や馬とあまり差がつかない高さで描いている。
さらにこの絵には。えいゆう超人的な本質が示唆されている。ルスタムの頭の周りには、神の加護の象徴であるドラゴンの尾をした有翼獅子が飛んでいる。フィルドゥスィーの『王書』には、怪鳥セーンムルウがルスタムとその父を助ける物語がある
という。

センムルウ(シームルグ)は、上記の女神傍に描かれて有翼の動物だが、それが人を助けるとは。しかも物語に登場する動物だったとは。
天幕の中の国王図 740年頃 105X185㎝ 
同書は、勝利ののち英雄はただちに愛馬ラフシュに乗ったルスタムに事の顛末を報告した。壁画の最後の部分で、英雄と救出された娘を迎える国王が描かれている。勝利ののち英雄はただちに、愛馬ラフシュに乗ったルスタムに事の顛末を報告した。娘は英雄の後ろに立ち、ルスタムを見つめている。この壁画の最後の部分には、国王の天幕が描写されている。天幕の周囲には男女の家臣が立っている。英雄と娘は互いに手を取り合って、象の形をした脚の玉座に座った国王の前にひざまずいている。家臣団の前にはルスタムが立ち、国王と話をしている。この場面のルスタムの役割は娘の父親で、娘は英雄の花嫁なのであろうが、このような伝説を収録した物語は知られていないという。

王の坐す玉座を支えているのは、正面向きのゾウだった。
左端に立つ家臣はが持っているのは丸い楯。ソグドの戦闘場面では見なかったものだ。

金の卵を生む鵞鳥図 740年頃 45X92㎝
同書は、この壁画の主題は『イソップ物語』の一つである。
この画面には三つの寓話が描かれている。右側の絵では、鵞鳥の持ち主が手に金の卵を持って鵞鳥を見つめ、その周りにはほかの金の卵が散乱している。中央の絵では、すべての金の卵を所有しようとし、それが卵の形になるのが待ちきれなくて、鵞鳥を捕まえて短剣で刺し殺している持ち主が描かれている。左側の絵では、鵞鳥にはもはや金の卵はないと知って落胆している持ち主が描写されている。
彼の貪欲さと浅はかさは、推定しかできないものを得ようとして、確実に手に入れることができるものを失ったという結果になった。人間の行為に関する予知できない悲惨な結果が、このペンジケントの豪華な広間の壁の下段に描写された絵の主題である。これは明らかに、この家の主人の人生観を反映していよう。ギリシアの物語を絵に描くのにソグドの衣服を着た男を用いた点に特色がある
という。 

子供の頃呼んだ物語が、こんな風にペンジケントの邸宅を飾っていたものだったとは。


                  →エルミタージュ美術館2 アジナ・テパ遺跡の仏教美術

関連項目
連珠円文は7世紀に流行した
ササン朝ペルシアの連珠円文は鋲の誇張?

※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ