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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/07/22

東京藝術大学ではバーミヤンの復元壁画


バーミヤンについて
『Shotor Museum アフガニスタンの美』は、谷を挟んで南側にある高台からバーミヤン渓谷を望むと、はるか対岸に2つの大仏が見える。
東の大仏について玄奘が「この国の先の王が建てたもの」と書き、彼が見た 時はまだ傷みも少なそうな様子から、玄奘がこの地を訪れた632年をそれほどさかのぼらない頃の作ではないかと思われる。バーミヤンを調査した樋口隆康氏 も年代の確定を困難としている(『バーミヤンの石窟』同朋舎)という。

『アフガニスタンの美』は、西のよりやや小ぶり、といっても東の大仏も高さは38mある。西の頑丈な男性的体軀に対し、東の方は女性的で優しいという。
近隣に住む人々はムスリムだが、お父さん、お母さんと慕っていたと何かの番組で聞いたことがある。
在りし日の東大仏

『季刊文化遺産14文化の回廊アフガニスタン』(以下『文化の回廊アフガニスタン』)は、東大仏の仏名を玄奘は「釈迦仏」と明記しているという。

東大仏の窟頂には太陽神が描かれていた。
『文化の回廊アフガニスタン』は、有翼の4頭の白馬に引かれる黄金造りの二輪車に乗り、輝く日輪を背にして立つ神は、イランのミスラ、中央アジアのミイロ、インドのスーリヤ、そして釈尊の超越性とを融合したみごとな象徴図像といえよう。この画像には、大仏造営のパトロンたちの宗教的、政治的なさまざまな想いが托されているように想われるという。

東博で「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝展」が開催された時、東京藝術大学ではバーミヤンの壁画の復元されたものが展示されるということで、「めぐりん」に乗って行ってみた。
美術館ではなく別の建物で開催されていた。開館まで時間があるなあと思っていたが、植え込みにアカンサスの花を見つけてしまい、閑をもてあますこともなかった。
こんな花柄が高く伸びるとは。
赤い花のように見えたのは、萼の色だった。
白いと思ったものは萼が緑色で、どちらも花は白い。良い香りがすると聞いていたが、雨が降っていたためか、匂わなかった。
一番高いものには、まだ蕾がたくさんついていて、ギリシアの棟飾りのアクロテリオンのようだ。というか、このような植物の葉や花が勢いよく伸びる様子がデザイン化されたものがアクロテリオンではなどと想像が膨らむ。

本来の目的を忘れそうになった頃、9時半になり、扉が開いた。
2階が復元壁画の展示場になっていた。入口は二手に分かれ、中央に復元壁画を印刷したものがあった。

同展リーフレットは、東大仏天井壁画においては、完全に破壊されてしまっているため、過去に写された写真資料でしか見る事は不可能であった。そこで今回、東京藝術大学の特許技術を活用し、デジタルとアナログの融合によるクローン壁画の制作に着手した。新しいデジタル技術により壁画の凹凸や質感までも再現し、アナログ技術により使用されている絵具の成分までも再現する事が可能になってきた。また、6mX7mに近い大壁を短時間で完成させる事ができるこの試みは、今後も他の消失した壁画の再生に大いに役立つ事であろうという。

左手の入口から入ると、馬の足元から太陽神が見えたが、写すことも忘れて進んでしまい、窟頂の外側になる位置から写した。
暗いのと、平らに近いものを写すので、こんな写真になってしまった。入口前に見易いコピーがあった訳がわかった。
想像していたよりも低い位置に復元されているのは、破壊された大仏頭頂と天井との間隔も再現しているからだろう。撮し損ねたが、大仏の顔(顔の前面はずっと以前に切りとられている)の位置を示すラインが床に描かれていた。
描き起こし図
『アフガニスタンの美』は、イラン風衣装の太陽神が描かれているという。
同展リーフレットの図版
同展図録で宮治昭氏は、1969年の調査の際に筆者が作図した線図をもとに、東大仏の仏龕天井壁画を観察しよう。天井大画面には四頭の有翼の白馬に曳かれる馬車に乗って、天を駆ける太陽神が描かれる。中央に大きく描かれた主神は、丸首で筒袖の遊牧民の服装をマントで翻し、両肩を覆ってその両端を左胸のところで留めている。この太陽神は両肩から冠帯をはね上げ、首飾りを垂らし、腰にはベルトを付けて長剣を吊し、、左手でその柄を握り、右手に長い槍を持つ。全身が収まるほどの大きな円形の光背を負い、その光背は放光を表す鋸歯文で縁取られている。
大画面の上端は剥落がひどいが、ハンサが数羽列をなして太陽神の方に向かって舞い下り、両端に一対の風神が描かれる。白いショールを広げ、その両端をしっかりと握る裸形の上半身が表され、頭髪を後ろへ大きくたなびかせる。大構図の両端には雲をかたどるかのような赤褐色の帯があるという。 
主神の足下には車軸上に御者がいるが、わずかに有翼の一部を左足が残るにすぎない。四頭の有翼白馬はみな前脚を蹴り上げ、二頭ずつ左右対称に、両端の車輪とともに側面観で表される。御者のの両側、車上の左右にはいずれも有翼でヘルメットを被り、頭光をつけた一対の女神が描かれる。向かって左右脇侍女神は右手を上げ(持物不明)、左手には顔のついた楯を持つ。一方、左脇侍の女神は左手に弓を持ち、右手で矢をつがえようとしているという。
主神のマント、神々の人体表現、馬、風神などの表現には運動観があるが、形体は類型的で、人物の輪郭線や目鼻立ちなどは一本調子の描線を用いて描き起こす。隈取りや暈しなどは施さず、人物や事物の立体感の表出にはほとんど意を用いない。
このような絵画様式は、ヘレニズム・ローマやインドの絵画伝統とは異なり、ササン朝絵画の伝統に連なるものと推測されるという。
ササン朝の伝統的な絵画って、どんなものだったかな?

さて、この大画面の主題は何であろうか。馬車に乗る太陽神の図像は、ギリシャのヘリオス、インドのミスラ、インドのスーリヤなど古代ユーラシア大陸に広まっている。四頭立ての二輪戦車(ガドリガ)に乗る太陽神という図の基本形は、ギリシャのそれに由来するものに違いない。
かつてB.ローランドや前田耕作が指摘し、F.グルネが積極的に主張するように、バーミヤンの太陽神は、図像的に『アヴェスター』の「ミヒル・ヤシュト」の記すミスラに近い。ミスラは多面的な特徴をもって描写されているが、わけても太陽神としての性格が強い。ミスラの両側に従う二女神はアルシュタートとヴァナインティーであろう。
東大仏の天井に描かれた太陽神ミスラは、グルネが示唆したように、おそらくバーミヤンに仏教が根づく以前のこの地の信仰であって、仏教に取り込まれたものであろう。しかし、それは単なる守護神として描かれたのではない。言語学者・宗教学者が指摘するように、ミスラと弥勒(マイトレーヤ)はもともと繋がりをもっており、おそらく弥勒信仰が発展していくなかで、バーミヤンではミスラ信仰を吸収していった-あるいはむしろ、ミスラ信仰を吸収したが故に弥勒信仰が発展した-のではないかという。

大画面壁画では、太陽神が長い槍を持ち、四頭の白馬が曳く馬車に乗り、馭者と二女神を従え、上方から風神がショールを翻しており、「ミヒル・ヤシュト」とかなりよく合う。グルネは壁画の二女神を、「正義の女神」であるアテナ型のアルシュタートと、「勝利の女神」であるニケ型ヴァナインティーと解釈する。
二女神の上には半身半鳥の霊鳥が描かれ、頭には頭巾状の被り物をつけ、冠帯を垂らし、右手には松明、左手には柄杓のようなものを持つ。
松明を持つ半人半鳥は「燃え盛る火」を表すものとみられるという。
迦陵頻伽とは異なる半人半鳥のようだ。

東大仏と天井壁画がバーミヤン石窟全体の中で初期に位置づけられることは間違いない。それはいつか。 ・・略・・ 大仏自身も6世紀後半の造立と考えるのが妥当であろうという。

また、2階にはこのような東大仏の頭部から眺めたバーミヤンの景色が大画面で表されていた。

流出した美術品が平和になったアフガニスタンに戻るだけでなく、このような復元の技術や研究が、現地の人々の手によって行われる日が来ますように。

関連項目
三十三間堂3 風神雷神の起源


※参考文献
「Shotor Museum アフガニスタンの美」 谷岡清 1997年 小学館
「季刊文化遺産14 文化の回廊アフガニスタン」 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団

「2016 アフガニスタン流出文化財報告書~保護から返還へ」のリーフレット及び図録 2016年 東京藝術大学アフガニスタン特別企画展実行委員会、東京藝術大学ユーラシア文化交流センター