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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/07/07

浮彫施釉タイルの起源は漆喰装飾や浮彫焼成レンガ


シャーヒ・ズィンダ廟群の透彫かとも思えるほどの高浮彫の浮彫タイルは、浮出タイルから発展したのではなかった。
それについてはこちら

12:アミール・ザーデ廟 AMIRZADE MAUSOLEUM 1386年

14:シャディ・ムルク・アガ廟 SHODI MULK OKO MAUSOEUM 1372年
壁面の平面的なタイルだけでなく、付け柱のような曲面などにも用いられている。このような平面でないものを「異形タイル」と呼ぶらしい(『砂漠にもえたつ色彩展図録』の深見奈緒子氏の記事より)。
このように、完成された技術で作られた施釉浮彫タイルは、現在知る限りはではあるが、それ以前のどこにも類例のない、シャーヒ・ズィンダ廟群独特のものだった。

深見氏は、現存実例の希少さゆえに推論を脱することは難しいが、シャーヒ・ズィンダーの初期の数例とトゥグルク・ティムール廟はセルジューク朝の文様積み煉瓦建築をそのまま釉薬タイルで置換えたような建築で、幾何学文が多く、部品化に徹している。部品の中には、柱頭や大型のパネルもあり、大型の塼の文化をもつ中国との関係が想起される。シャーヒ・ズィンダー最古のクーサム・イブン・アッバース廟が建立された1300年頃の中央アジアには、イランを中心としたイル・ハーン朝のタイル文化とは異なるもうひとつのタイル文化の中心が存在したとは考えられないだろうかという。
中国の大型塼というのはどんなものだろう。

浮き出し文タイルにはシャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイルほどの精密さや彫りの高さは見られなかったが、漆喰装飾にはかなり大きな壁面を高浮彫で埋め尽くすような装飾が見られる。

アシュタルジャンのモスクミフラーブ 1315年 漆喰 イラン
『イスラーム建築の世界史』は、内部空間やミフラーブには、サーサーン朝以来の伝統である漆喰の浮彫細工が用いられた。繊細なミフラーブも多く、中には彩色の残るものもある。こうした装飾を通して、幾何学文様、流麗な植物文様、文字文様が大きく発展を遂げるという。
同書は、ニーリーズの大モスク、973年となっているが、文様の完成度から1315年をとった。
『イスラーム建築の見かた』は、よく見れば、自由自在に塼が伸びている訳ではないことがわかる。壁面に中心線が設定され、壁面分割によって紋様が描かれているという。

ビーリ・バクラーン廟ミフラーブ壁 1312年 漆喰 リンジャン
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、透かし壁として用いられた穴あきタイルと、ミフラーブ両脇上部のものについての説明しかないが、ミフラーブ壁は上図アシュタルジャンのミフラーブに似た文字文様、更に極度に盛り上がった浮彫の文様が漆喰細工で表されている。

大モスクのミフラーブ イルハーン朝、1310年 ストゥッコ イラン、エスファハーン
『世界日大全集東洋編17 イスラーム』は、このミヒラーブは、イル・ハーン朝第8代ウルジャーイトゥー(在位1304-16)の時代に制作された。
6mを超す高さのミヒラーブ全面に施された装飾においては、伝統的なイスラームのミヒラーブ装飾と、イランの伝統的ストゥッコ装飾が、見事に調和している。高浮彫と浅浮彫が巧みに使い分けられ、ミヒラーブ全体に立体的効果が与えられている。蔓草の葉は、イランの伝統的なストゥッコ装飾に用いられた細かな幾何学文様で充填されている。大アーチの中を充填している渦巻形蔓草文様は、同時期のコーランの装飾文様にも見られ、イルハーン朝において完成した繊細な蔓草文様の一つであるという。
アラビア文字の銘文の文様帯には、必ず植物文が、しかも、少なくとも三重に渦巻蔓草が、地文になっているのだが、その葉は、時として銘文よりも目立つ高浮彫で表されたりする。
同時代には、各地で似たような漆喰装飾がミフラーブに採用されたようだ。
このような漆喰装飾から、施釉されたシャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイルへと繋がっていったと言われれば肯ける。

更に遡っていくと、

インジェ・ミナーレ・マドラサ アナトリア・セルジューク朝、1260-65年頃 石造 トルコ、コンヤ
同書は、マドラサの入り口の大きく誇張された壁面は、アナトリア・セルジューク朝時代のマドラサに共通した特色である。入り口アーチは、聖句の帯状装飾で縁取りされ、その帯文は組紐状に結ばれ、最上部まで伸びている。入り口正面壁面は、文字文、幾何学文、植物文などの浅浮彫、高浮彫によって大胆に装飾されているという。
アナトリアでは、石材が豊富だったため、アナトリア・セルジューク朝では文様積みは煉瓦ではなく、文様積み石の建築が残っている。
その一例だが切石積みのため、タイルのように継ぎ目が見える。

金曜モスクミフラーブ イル・ハーン朝、13世紀後半 イラン、ウルミエ
『イスラーム建築の見かた』は12点星の幾何学紋というが、この写真を見るかぎりでは、幾何学文というよりも、網目の透彫になった半球形が中央に一つ、小さいものがその周囲に12(左下が一つ欠けている)、更に外側に大きなものが12個、同心円状に並び、ところどころ楓のような葉を広げながら、蔓草文がその間隙を縫っているようだ。しかもそれは浮彫ではなく、透彫になっていることが、壊れた部分の奥に別の壁面が見えることからもわかる。
その蔓草は枝分かれしたり、渦巻いたり、蛇行することなく、それぞれが交差しては幾何学文を構成している。
漆喰装飾だろう。

マリク・ズーザーン・モスクのモザイクタイル 1219年 ホラサーン地方 
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、11世紀半ばから12世紀には、東方イスラーム世界では中央アジアのトルコ族を出自とするセルジューク朝が覇権を握ったため、多様なる煉瓦に釉薬ををかける事から生じたさまざまなタイルの萌芽的な技法 が、中央アジアからアナトリアにいたる広い圏域にひろまった。モザイク・タイルの技法では、ホラサーン地方のマリク・ズーザーン・モスクが早く、土色の煉 瓦と空色と白の釉薬タイルが幾何学文様に合わせて刻まれた後に集成されるという。
モザイク・タイルは一般的に表面は平らに仕上げられているものだが、この壁面には浮彫のような凹凸がある。上部の空色タイルによる6点星と六角形の組み合わせ、円文の中の複雑な幾何学文や植物文などが、まるで透彫のようにも見える。

柱廊式玄関内部 アッバース朝、1180-1225年頃 焼成レンガ カラの宮殿、バグダード
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』には説明がないのだが、下部が焼成レンガを積み上げて構成されていて、その色と天井部の色が同じなので、細密な浮彫を施した焼成レンガのムカルナスだろうと推測する。
これは、シャディ・ムルク・アガ廟のムカルナスに使われていた浮彫施釉タイルへと繋がるものに違いない。

アイーシャ・ビビ廟の異形煉瓦 12世紀 カザフスタン、タラス
『イスラーム建築の世界史』は、壁面を覆い尽くす美しい煉瓦積技法に磨きがかかる。サーマーン廟から継承したこの技法は、異形煉瓦やテラコッタを用いて高度になる。煉瓦の形と目地によって文様を編みだすばかりでなく、煉瓦の表面に凹凸のある浮彫のテラコッタが多用された。煉瓦文様積技法の進化は、後述するタイル文化の素地となるという。
サーマーン廟の画像はこちら
8点星と十字形のテラコッタの組み合わせなどは、ラスター彩や青釉タイルなどの組み合わせにも用いられている。
同書は、サーサーン朝の宮殿の特色で、サーマーン廟にも用いられた円柱や半円形の付け柱は、この時代にも多用され、進化する。アーチの下には、必ずといってよいほど、柱形が分節されるという。
シャーヒ・ズィンダ廟群にもイーワーンの両脇や廟の両端に付け柱があることが多い。

同書で深見氏は、浮彫タイル、異形タイル、大型パネルなどはシャーヒ・ズィンダーにありながら次世代へと継承されなかった。これらはチャガタイ・ハーン国の中で熟成された技法でありながら、大建築の大量生産を範としたティームール朝では忘れ去られてしまったのであろうという。
シャーヒ・ズィンダ廟群の高浮彫タイルは、この時代、そしてここだけでしか存在しなかったものだった。

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関連項目 
サーマーン廟3 浮彫タイルの起源?

シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店