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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/04/24

奈良町 今西家書院1



昨秋、奈良町のごく一部をまわっただけだが、面白いものだった。

奈良時代に飛鳥の地から移建されてきた元興寺には、奈良時代だけでなく、飛鳥時代の瓦が現在でも屋根に使われているので有名だが、極楽坊や禅室には、飛鳥法興寺の創建に近い588年ごろに伐採された材木が、今でも残っている。
もとは一つの建物だったのを、禅室と本堂に分離したのが鎌倉前期、寛永2年(1244)に本堂が大改造をうけて現状のようになったらしい(『わかる!元興寺』より)
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移建に際しては金堂以外の僧坊など周辺建物を解体して移した(同書より)ということで、仏像を安置するお堂ではなく、僧の住まう建物だった。
『わかる!元興寺』は、この建物の最も重要なところは、堂内中央に僧坊時代の1房が そのまま取り込まれていることである。まさにこの1房が、極楽坊と呼ばれ、智光法師がおられたと伝えられる房そのものであろう。改築後は、中央1間を方形 に囲って内陣とし、その中央やや西寄りに須弥壇と厨子を置く。さらにその周囲を広い外陣が取り巻き、念仏講など多くの人々が集うことを可能としたという。
この天井の低さが、元は僧房という居住空間だったことを頷かせる。

十輪院の本堂は鎌倉前期
『南都十輪院』は、境内中央で南向きに建つ本堂は、その後方にある石仏龕を拝むための礼堂として鎌倉時代前期に建立され、石仏龕の覆屋は慶長18年(1613)に建て替えられているという。
小さいながら、反りの少ないすっきりとした建物である。
本堂内部(主室)
こちらはもっと天井が低いので、お寺というよりも、鎌倉時代のお宅に上がったよう。

奈良町のお寺で鎌倉時代の居住空間を体感した後は、福智院町の今西家書院へ。

今西家は「春鹿」というお酒を製造している酒屋で、ちょうど新酒のできたところらしく、青々した杉玉が軒に掲げられていた。
『重要文化財今西家書院』というリーフレットは、今西家書院は永く興福寺大乗院の坊官を努められた福智院氏の居宅を大正13(1924)年、今西家が譲り受けました。一説には大乗院家の御殿を移築したとも伝えられていますという。
元は福智院氏の住居だった。福智院といえば、今西家のある町の名であり、少し東の天理街道の向こうにあるお寺の名称でもある。何か関係があるのかな。

書院にはこの長屋門から(大きすぎて画面に入りきらない)
入ってすぐ左手にもまたA門が。
続いて長い建物の壁と小さめの石を組み合わせた延段。右側にはお酒を入れていたのだろうか、大きな甕が口を下にして、ごろごろと置かれている。
逆光になってしまったが、柔らかな紅葉と、この時期にしては暖かい日差しに和んでしまう。
最初の甕の向こうには手水鉢と灯籠

今西家平面図
リーフレットは、室町時代における初期の書院造りの遺構です。昭和53(1978)年、工事期間16ヶ月をかけ解体修理を行いました。江戸初期、嘉永7(1854)年、元治元年(1864)年、明治中期、昭和と度重なる修理を経て、大切に守られ現在に至っています。角柱・障子・襖など書院造りの要素は、現代和室の様式へと広く受け継がれておりますという。
鎌倉に続いて室町時代の家屋を見学することとなった。
⑧式台付き玄関のB式台に小さな花がいけてある。
生け花ではなく、小さな蓋付の陶器、どうやら奈良漬けの容器らしいものを鉢代わりに使って、実のなる木が植えてあった。
百両?十両?一両?
その下の花台にされている、年季の入ったものが気になる。かつて井戸で釣瓶の縄を支えていた滑車では?面白い使い方やなあ。
表面は彩色がはげたのではなく、衝立の朱色が映っているのだった。
ここまで来ないと長屋門の全体が見えない。
葉の落ちた木には、見たことのない実が蔓からぶら下がっている。大切に育てられていることが、竹の支柱からも窺える。
反対側には蕾?
やっと入口に辿り着いた。柿渋染めのような暖簾の下から土間が見えている。

まずは①書院(上段の間)へ
十一畳の部屋には寄席の準備がされている。
リーフレットは、接客や謁見・会議に使われていました。江戸時代に板敷の一間を、床の間を造り畳を敷き二間にしました。鴨居・敷居を取り外すと、元の板の間に戻せますという。
床には平城宮式鬼瓦のうち、獣身文や鬼面文ではないタイプ、鳳凰文鬼瓦の拓本の軸が掛けられ、タイツリソウのような花が生けられていた。

鴨居が取り外せるように、欄間がないのだそう。
書院といえども、やはり天井が低い。
向こうの開いた襖から、奥の⑨下段の間の灯りが見えている。
③猫間(子持ち)障子
障子も幅広?
リーフレットは、建具幅を横に片引きしており、敷居ひとつに二枚の障子がはまっています。障子の縦の桟は同じ幅なので、閉めると一枚の大きな障子に見えますという。
なるほど
障子の桟は総て面取りがされている。さすがに書院だけあって、丁寧な造り。
これくらい斜めから見ると、猫間障子の重なっているのがわかる。
左の開いている箇所は障子ではなく板戸。左右2枚ずつ・・・といっても、4枚で全面を塞ぐことができるのかなと思うような幅の狭さ。これが⑦双折れ板扉(もろおれいたど、諸折戸)だった。
リーフレットは、大陸から伝わった古い形式の外開きの建具。身分の高い方はお輿に乗ってお庭から出入りされましたという。
縁側に出ると、板戸は外に折れていた。通りで端に蝶番があったわけだ。
障子の部分は、十輪院にもあったように蔀戸になっている。
下側の蔀戸を外して結界にしているのも面白い趣向。
庭の紅葉は控えめ。
青い葉の向こうには長屋門の近くにあった木の門があり、身分の高い方は、その門からこの庭まで、お輿で来られたのでした。
小さなシダも色を変えはじめている。

                            →奈良町 今西家書院2

関連項目
元興寺1 極楽坊
元興寺2 瓦
十輪院4 魚養塚

※参考文献
「わかる!元興寺」 辻村泰善他 2014年 ナカニシヤ出版
南都十輪院のリーフレット