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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/03/27

鬼面文鬼瓦2 平城宮式



『日本の美術391鬼瓦』(以下『鬼瓦』)は、和銅3年(710)の遷都の詔を受けて、すぐに平城宮の造営がはじまった。そこで使用されたのは、7世紀までとはまったく異質な鬼瓦であった。獣身紋・鬼面紋の鬼瓦には、辟邪の観念が読み取れよう。前近代の社会においては、原因不明の事象の多くは物怪、怨霊、鬼神のなせる業であり、火災・落雷・水害などは物怪・鬼神などの猛威の結果とみなされた。そこで、それら邪悪なものが宮殿・官衙(役所)・邸宅に侵入することを避ける方策がとられたのである。獣身紋・鬼面紋鬼瓦を屋根の上の最も目立つところに据えたのもその一環であったという。

確かに、それ以前の鬼瓦とは全く異なっているが、いわゆる「鬼瓦」ともかなりの距離のあるものだ。

平城宮軒瓦編年第1期(景雲2-養老5年、708-721)

獣身文鬼瓦
『鬼瓦』は、外形は裾広がりのアーチ形、獣の正面形全身像を表現したもので、蹲踞の姿勢をとり、両手を膝におく。円形の腹部を中心に、怒らせた肩、筋肉隆々の腕、体側面から巻き毛が立ち上がる。顔は比較的小さく、太い眉と顎ヒゲの間に細長い目がのぞき、上下歯の間から舌を突出させたところが特徴である。毛利光俊彦の分類による平城宮Ⅰ式鬼瓦で、A・B1・B2に細別される。平城宮跡では鴟尾がまったく発見されておらず、大型のAが大棟に、B1とB2が降棟などに使われたのであろうという。

平城宮ⅠA式 8世紀初 高39.5幅44.6厚6.1㎝ 薬師寺出土 薬師寺蔵
同書は、Aは大型で、胸・腕の筋肉の盛り上がりや関節の節々を写実的に表し、眉の上縁には刻み目を入れる。体部の巻き毛は内側に傾斜面をつける。
わずかながら舌を突出させる。顔面中央と棟に各1個の釘穴があく。
平城宮内での出土数はA型式が圧倒的に多く、全鬼瓦の約半分を占める。
Aの同笵品が平城京内の興福寺、薬師寺、海竜王寺と中山瓦窯、唐招提寺から出土しているほか、大阪府西琳寺へもAの同笵品が供給されているという。
目と口の間にかなり出っ張った鼻?それとも口髭があるので、一見舌を出しているようには見えない。
小八木廃寺出土の鬼面文鬼瓦も下を出しているが、舌を出したものといえば、藤ノ木古墳出土の馬具(6世紀後半)を思い起こす。
馬具の不等辺六角形の枠内に、毛むくじゃらの獅子が透彫され、その開いた口から長い舌が出ているし、中国南朝の鎮墓獣も舌を出している。
そのように見ると、これは鬼ではなく、脚まで巻き毛に覆われた獅子が蹲踞しているようだ。
平城宮ⅠB2式 唐招提寺出土 唐招提寺蔵
『鬼瓦』は、B1は中型で、表現がやや平板。体部の巻き毛は外側に傾斜面をつける。B2は小型、B1に類似するが、巻き毛の断面が蒲鉾形であることなどで異なる。AとB1にくらべB2はわずかながら遅れてつくられたと考えられる。
平城宮内での出土数はB1・B2型式の1割。A・B2が唐招提寺から出土しているという。
ⅠA式の獣身を押し潰したような平たい鬼瓦で、ここには舌は表現されていない。

大御堂廃寺の獣身文鬼瓦 8世紀 高31.7幅32.2厚3.7㎝ 御堂廃寺(駄経寺址)出土 鳥取県倉吉博物館蔵
『鬼瓦』は、アーチ形で幅広の外形一杯に正面形の顔面を表す。両眉はV字形をして長くつり上がり、眼は丸く柳眉が逆立ち、鼻と口が大きく、牙をむく。頬下に両腕と両脚を表現し、胴部をすべて省略している。統一新羅の獣身紋鬼瓦と共通する要素であるという。
獣身文の平城宮Ⅰ式とは体部の表現が全く異なり、顔面も獅子ではなく鬼面になっている。
巻き毛も表現されず、その代わりにか、耳・前肢・後肢など、体の部品が顔のまわりに配されている。
口は閉めているのか、上側の牙と4本の前歯だけが見えている。
統一新羅時代の獣身文鬼瓦と共通するというので、Ⅰ式とは請来された系統が異なるのかも。

平城宮式鬼面文鬼瓦
『鬼瓦』は、平城宮では8世紀第2四半期以降、顔面のみを表した鬼面文鬼瓦に変わる。「平城宮式」鬼瓦である。外形は裾広がりのアーチ形で、獣身文鬼瓦(Ⅰ式)と同じである。Ⅱ-Ⅵの5型式に分類できる。
Ⅵ式を除く各式の同笵品が京内および周辺の諸寺院からも出土し、8世紀前半にはいまだ寺独自の鬼瓦を製作するには至っておらず、宮所用の鬼面紋鬼瓦が都城整備の一環として寺にも供給されたことを示す。なお、南都諸大寺ばかりでなく、Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ式が河内・山城の数ヶ寺から、またそれらの系譜下にあるものはさらに備中などからも出土しているという。 

平城宮軒瓦編年第2期(養老5-天平17年、721-745)
『天平展図録』は、焼成した山陵1-3号窯の操業期間が短く、聖武天皇の即位をめざして宮城内が整備された時期であるという。

平城宮ⅡA式 平城宮跡出土 奈良文化財研究所蔵
『鬼瓦』は、Ⅱ式は上下の歯牙をむきだし、舌を噛んだ態につくるのが特徴。眼は杏仁形で、眼尻をつり上げる。鼻は小振りで、鼻翼を丸めて小さな鼻孔を表す。下顎に放射状のヒゲを配し、周囲に巻き毛をめぐらす。大小2種があり(ⅡA・ⅡB)、大型の巻き毛の下端は脚のようにも見え、獣身紋から変化したことを示すという。
手足を表さず、その分頭部を瓦いっぱいに表すようになった。巻き毛は獅子のたてがみが元になっているのだろうが、Ⅰ式は巻き毛のすべてが斜め上向きだったが、Ⅱ式になると頬から下の巻き毛は下向きになっている。
『天平展図録』は、面貌は比較的小さく、牛角をもつ新羅の鬼瓦などとは趣の異なった躍動美を感じさせる。鬼神文の鬼瓦は、日本では平城宮跡や太宰府などで最初に採用されたが、これは邪悪を払い福を招く、守護神の信仰が中国大陸や朝鮮半島を通じて強くおよんできたものと考えられるという。
国内で、獣身文鬼瓦から鬼面文鬼瓦へと変わっていったのではなく、どちらも新たに日本に請来された、当時の最新流行のものということかな。

平城宮ⅡB式 平城宮跡出土 奈良文化財研究所蔵
『天平展図録』は、アーチ形の鬼板の周縁に二条の突帯をめぐらせ、鬼神の顔面を表した鬼瓦である。口を開いて、舌を噛んだ上下の歯と牙をむき出し、下顎に放射状の鬚を配し、周囲に巻毛をめぐらす。比較的小形の鬼瓦で、線彫りに近い表現で、上瞼は一重で曲折が弱く、額の力瘤を左右に分離させ、その上から放射状の鬚を派生させているという。
一見盛り上がった眉のようなものは、左右に分離した額の力瘤?

平城宮Ⅳ式
同書は、Ⅳ式は下顎と下歯を表現せず、歯牙が拝みの瓦を噛む。木葉形の耳が特徴。瞳を球状に高く突出させ、上瞼を波状に曲折させる。鼻は大きく、鼻孔をあけない。ヒゲはなく、周囲に蕨手状の巻き毛をめぐらす。大小の2種があるという。

平城宮ⅣA式
Ⅱ式で鬼神の頭部だけが表されるようになったが、それでも周囲は豊かなたてがみがあった。
この鬼瓦は、アーチ形の枠内いっぱいに鬼神の顔面が表され、もはや鬣はその輪郭と化している。
下顎はなくなるが、下側の牙は長く表現される。前歯が5本ある。

片岡王寺の鬼面文鬼瓦 8世紀 奈良県王寺町片岡王寺跡出土 橿原考古学研究所蔵
『仏教伝来展図録』は、王寺町の王寺小学校一帯に所在する7世紀前半に創建された寺院で、近年の考古学・文献史学の調査研究によって、敏達王家による創建である可能性が高まり、平城宮大極殿と同笵の鬼瓦も出土したという。
平城宮ⅣA式と同笵のものだった。

平城宮ⅣB式
ⅣA式よりも凹凸が少ない分、鼻の突出が目立つ。

平城宮軒瓦編年第3期(天平17-天平勝宝9年、745-757)

平城宮Ⅲ式 平城宮跡出土 奈良文化財研究所蔵
同書は、Ⅲ式も上下の歯牙をむき出すが、舌の表現を欠く。眼は杏仁形、眼尻を強くつり上げる。鼻は小ぶりで、下端はわずかに窪ませて鼻孔とする。顎下に放射状のヒゲ、周囲に荒い巻き毛を配する。一種のみ。Ⅱ式の系統をひくという。
第2期で下顎のないものが出てきたので、その後は下顎のないものばかりかと思ったら、下顎のあるタイプも残っていた。巻き毛も復活している。

平城宮Ⅴ式
同書は、Ⅴ式も下顎・下歯の表現を欠く。口端にシワをよせ、上牙を外に反らせる。眼はそらまめ形で、上瞼と眉で隈どる。鼻は小振り、鼻孔をわずかに窪ませる。巻き毛は荒い。大小の2種がある。Ⅳ式の系統をひくものの下牙の表現を欠くという。
頭上の巻き毛は高く盛り上がるが、下の牙はなくなった。

平城宮軒瓦編年第4期(天平勝宝9-神護景雲4年、757-770)

平城宮ⅥA式(大)
同書は、Ⅵ式については、大小2種。外形はⅠ-Ⅳ型式と同じだが、鬼面の表現はかなり退化しているⅤ式の系統下にあるという。
頭頂の巻き毛は直線となり、上の犬歯も真っ直ぐになっている。


平城宮式鬼面文鬼瓦には連珠文帯はなかった。

        鬼面文鬼瓦1 白鳳時代←    →鬼面文鬼瓦3 南都七大寺式

関連項目
瓦の鬼面文を遡れば饕餮
鬼面文鬼瓦4 国分寺式
鬼面文鬼瓦5 平安時代
鬼面文鬼瓦6 鎌倉から室町時代
鬼面文鬼瓦7 法隆寺1
日本の瓦9 蓮華文の鬼瓦
馬具の透彫に亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より
地上の鎮墓獣は

※参考文献
「日本の美術66 古代の瓦」 稲垣晋也 1971年 至文堂
「日本の美術391 鬼瓦」 山本忠尚 1998年 至文堂

「天平展図録」 1998年 奈良国立博物館
「仏教伝来展図録」 2011年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館