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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/03/24

鬼面文鬼瓦1 白鳳時代



蓮華文の瓦を調べているうちに、蓮華文鬼瓦の四隅に鬼面が表されているのを見つけた。

八島廃寺の鬼瓦 白鳳時代 滋賀・八島廃寺出土 単弁八葉蓮華文 井内古文化研究所蔵 
『日本の美術66古代の瓦』(以下『古代の瓦』)は、瓦当面に単弁蓮花文を表し、四隅に人面を配した特種な文様からなるが、下面には丸瓦をまたぐ半円形の切り込みを打ち欠いているので、鬼瓦に用いられたものであろうが、両面には断面コ字形の方形丸瓦の一部が残存しているという。
細身の花弁に小さな子葉がついた独特の単弁蓮華文が肉厚に表され、しかもその周囲に人面が表されるという独特の鬼瓦である。
しかし、これは果たして人面だろうか。よく見ると頭の上に三角形が2つある。ひょっとして人ではなく、鬼ではないだろうか。右上の角が欠けた鬼は顔の両側に手がある(ただし左手は後補)。
これは鬼瓦に鬼面が登場した最初期のものかも。
ところが、白鳳時代(7世紀後半)頃とみられている鬼面文鬼瓦の鬼とされる顔は、八島廃寺出土のものと、似ても似つかないものだった。

小八木廃寺の鬼面文鬼瓦 7世紀後半か 高30.5幅23.2厚5.7㎝ 小八木廃寺出土 滋賀県教育委員会蔵

『日本の美術391鬼瓦』(以下『鬼瓦』)は、縦長の直径で人面に近い顔を浅い浮彫で表す。顔面のみを笵に打ち込んで突出させてある。鼻筋が高く通り、横一文字に閉じた唇間から長く舌を垂らす。顔の上に3本の山形の突起を生やす。左右を耳とみれば、一角を有することになるという。
額の上の3つの突起は、耳にも角にも見えないが、眉・目・頬・鼻・舌が立体的に彫り出されている。

播磨千本出土の鬼面文鬼瓦 7世紀後半か 高34.5幅32.0厚5.7㎝ 
『鬼瓦』は、わずかに縦長な方形にかなり形式化した鬼面を表す。外区に大粒の連珠紋をめぐらせ、鬼面には肉付けなく、円形の目鼻、歯牙をむいた口唇など、稚拙な趣がある。顔面左右の蕨手紋、額上の三角紋は新羅系といってよかろうという。
他の鬼瓦と重なって印刷されているので、それを削除すると、こんな妙な形の鬼瓦になってしまった。
大粒の連珠文が並んでいるが、鬼面文鬼瓦に連珠のめぐるものは珍しい。

同書は、もし頭上の突起に意義を認めるとすれば、これらには統一新羅の初期に属する鬼面紋鬼瓦との親縁関係が認定できる。小八木廃寺と播磨千本例は外形が連珠紋鬼瓦と同じ方形をなすという。
統一新羅時代の鬼面文鬼瓦は、高浮彫の鬼または龍の顔のようなものしか図版が見当たらないが、初期の鬼面文鬼瓦は、解説のおかげで、方形で連珠文が巡り、顔面左右に蕨手があり、額の上には三角文が並んでいたらしいことがわかった。
たつの市の千本出土の鬼瓦というページには、この鬼瓦の全体の画像が掲載されています。
そのページはこちら

新堂廃寺出土の鬼面文隅木蓋瓦 7世紀後半か 高19.7幅15.2厚1.8㎝ 大阪府誉田八幡宮蔵
『仏法の初め展図録』は、南河内では最も早く創建された寺院である。北西方向にに隣接して、この寺院の瓦を焼いたオガンジ池瓦窯跡、そして新堂廃寺の壇越の墓と考えられている、お亀石古墳が存在するという。
『鬼瓦』は、隅木の先にすっぽりとかぶせる箱形の木口面。他に類をみない曲線的な造形である.頭上の火焔宝珠形を中心に巻き上がる太い眉、上顎の牙や門歯、蕨手状のあごひげなどは写実性から脱化しているという。
隅木に用いられた小形の瓦のためか、外区がないので連珠文もない。
播磨千本例とは全く似ていないが、鬼面文としてはこちらの方が完成度が高い。

只塚寺の鬼面文隅木蓋瓦 7世紀後半 推定縦23.6横19.2㎝ 葛城市只塚廃寺出土 橿原考古学研究所附属博物館蔵
こちらも隅木用瓦のためか、連珠文は巡らないし、蕨手状の巻き毛もないので、新羅系ではないのかな。

地光寺の鬼面文鬼瓦 7世紀後半 葛城市脇田地光寺跡出土 天理参考館蔵
『仏教伝来展図録』は、葛城市脇田にあり、渡来系氏族の忍海氏の氏寺とされ、脇田遺跡との関連が指摘されるという。
上側の隅が丸くなり、顎の下に軒瓦を組み込むような半円形の空白が、下歯に食い込むように作られている。丸瓦に組み込まずに使用されたのだろうか。
角のように伸びた眉の末期には、蓮華のような飾りがある。

統一新羅時代の鬼面文鬼瓦に似ている。

鬼面文鬼瓦 統一新羅時代 国立中央博物館蔵
『国立中央博物館図録』は、統一直後は韓国の瓦塼史において一つの転換点をなす時期である。三国期の伝統を踏まえ、唐の刺戟を受けて、新しい瓦と塼が開発されるようになり、文様も色とりどりに施されて多様な様式変化を示しているという。
このような鬼面は唐の影響もあるらしい。
外区には二重円文の連珠や、均整忍冬唐草文が巡る。かなり立体的な鬼面だが、丸く突き出した目の上の角など類似点がある。忍海氏は半島からの渡来系ということで、統一直後の鬼面文鬼瓦の意匠が採り入れられたのかも。
慶州博物館にも、統一新羅時代鬼面文鬼瓦があり、やはり上下の歯は3本ずつである。その画像はこちら

地光寺跡からはもう1点、鬼面文の瓦が出土している。

地光寺の鬼面文軒丸瓦 7世紀後半 瓦当径16.8㎝ 地光寺跡出土 天理参考館蔵
『仏教伝来展図録』は、考古学的にも鬼面紋軒丸瓦の存在は中国・朝鮮半島とのつながりを無視できないという。

鬼面文の軒丸瓦なら統一新羅時代にもあった。

鬼面文軒丸瓦 統一新羅時代 国立中央博物館蔵
角の形、そして何よりも眉間の上に蓮華あるいは宝珠のようなものが表される点などがよく似ている。
上側の牙、3本の上歯、そして舌が表されている。
もう1点高句麗(-668年)の鬼面文軒丸瓦が同博物館に収蔵されていて、眉間に何かが表されているほか、3本の上歯や舌を出した点などがこの軒丸瓦と共通する特徴となっている。

ところが、奈良時代の鬼瓦は、白鳳時代のものとは全く異なるものだった。

         日本の瓦9 蓮華文の鬼瓦←     →鬼面文鬼瓦2 平城宮式

関連項目
鬼面文鬼瓦3 南都七大寺式
鬼面文鬼瓦4 国分寺式
鬼面文鬼瓦5 平安時代
鬼面文鬼瓦6 鎌倉から室町時代
鬼面文鬼瓦7 法隆寺1
瓦の鬼面文を遡れば饕餮
馬具の透彫に亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より
地上の鎮墓獣は
韓半島の連珠文

※参考サイト

兵庫県たつの市のホームページより千本出土の鬼瓦

※参考文献
「日本の美術66 古代の瓦」 稲垣晋也 1971年 至文堂
「日本の美術391 鬼瓦」 山本忠尚 1998年 至文堂

「天平展図録」 1998年 奈良国立博物館
「仏教伝来展図録」 2011年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
「仏法の初め、玆(これ)より作(おこ)れり-古墳から古代寺院へ-展図録」 2008年 滋賀県立安土城考古博物館
「国立中央博物館図録」 1986年 通川文化社
「国立慶州博物館図録」 1996年 通川文化社