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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/01/16

十輪院4 魚養塚




十輪院は本尊が珍しい。
本堂の拝観を申し出ると、説明もしてもらえる。
もともと平安時代の地蔵菩薩は野ざらし状態だった。鎌倉時代に入ってから弥勒菩薩と釈迦如来を造立して脇侍とし、地蔵菩薩を本尊とした石龕が造られたという。

本堂
『南都十輪院』は、境内中央で南向きに建つ本堂は、その後方にある石仏龕を拝むための礼堂として鎌倉時代前期に建立され、石仏龕の覆屋は慶長18年(1613)に建て替えられているという。
小さいながら、反りの少ないすっきりとした建物である。
同書は、本堂は正面の間口すべてを広縁にして、後方に石仏龕礼拝の主室を配し、東北隅に正規の出入口を設け、正面と背面の蔀戸を吊り上げて、外部からも石仏が拝めるようにしている。
この本堂は、鎌倉時代の住宅をしのばせる要素が随所にみられ、簡素な構造と穏やかな意匠を表し、形の良い蟇股や木鼻など装飾的な要素を兼ね備えた、鎌倉時代を代表する建造物であるという。
覆屋も写っているのだが、傍には墓石が並んでいるのでわかりにくい。
軒は厚い板を並べた珍しい板軒を特異な組物で支え、屋根瓦を葺いているという。
確かに、お寺の軒は垂木が等間隔で密に並ぶ化粧屋根裏になっていることの方が多いので、まるで、細長い一室の壁や蔀戸を取り払ったようでもある。

本堂内部(主室)
本堂に入ると天井がとても低いので、お寺というよりも、誰かのお家に上がったよう。
今では般若寺は真言宗のお寺で、中央には護摩壇があって、その奥に本尊の地蔵菩薩が小さく見えている。
『南都十輪院』やリーフレットにはこのような写真が載っている。特別な時の夜間の照明なのだろうか。それとも、毎夜このように灯りが点されているのかな。
このような夜の拝観をしてみたいものだ。

本尊の石仏龕 鎌倉時代 石造彩色 龕高242.5㎝
『南都十輪院』は、本堂(礼堂)の奥、覆堂(地蔵堂とも)内の花崗岩製の石仏龕。龕の内部から外廻りにかけて浮彫、ないし線刻の石像がたくさん刻まれ、その多くにいまも美しい彩色が残る。龕の奥に本尊の地蔵菩薩や前方左右の角石に釈迦如来と弥勒菩薩の各立像を大きく表し、この三尊をもって釈迦入滅後、弥勒の出生までの無仏時代にあって衆生を済度するという地蔵菩薩の誓願を意味する。とりわけ地蔵菩薩は六道の巷に出入りできる唯一のほとけであり、堕地獄の亡者を救ってくれることから中世以来、信仰が深まり、弘安6年(1283)、無住法師の「沙石集」に福智院や知足院と並んで十輪院の地蔵が取り上げられ、南都の著名地蔵として喧伝されていたことが知られるという。 
詳しくはこちら
石造の仏龕が本尊というのは珍しい。

十輪院には、もう一つ面白いものがあることを知った。

本堂の東側を通って御影堂の東側に宝篋印塔がある。
東奥に古墳のようなものがありますよと教えてくれたものがこれかな。
確か前回来た時は、この辺りが墓地になっているので、敬遠したのだった。
また、前回は気付かなかった、というよりここまで立ち入らなかったが、右側には永代供養の花壇があり、そこを流れる水の音が聞こえていたのだった。真言宗だが、宗派に関係なく供養してもらえるらしい。
近づくと確かに古墳らしきものが。でもここからは傍まで行くことはできない。
御影堂と覆屋の間を通っていて、小さなお地蔵さんを発見。

裏に回ってみると、ちょうど寺のお坊さんがいて、いろいろと説明してもらった。

魚養塚
同寺リーフレットは、吉備真備と唐女との間に生まれた子で、父を慕い、魚に助けられ海を渡って日本に到着したと伝説される朝野魚養(とものうおかい)の墳墓と伝える。
北を正面とし、内部に石室を設け、槨内外に鎌倉時代の浮彫像や線刻像を刻むという。
へー、あの二度も遣唐使として中国に渡った吉備真備の子ども? 

お坊さんによると、魚養は書にすぐれ、空海の書道の師でもあったらしい。
このお坊さんが魚養という文字をどのように読んでいたか記憶にない。同寺リーフレットや『南都十輪院』では「うおかい」と仮名がふられているのだが、検索すると「なかい」とするページが多い。
庭園に安置されていた菩薩立像が、この近辺に置かれていたということだ。
お坊さんが、中に仏像が浮彫されているんですよ。フラッシュ撮影すると写るかもわかりません
と教えてくれたので、撮ってみると、確かに南壁に仏像があった。
墓室内に仏像の浮彫があるのは珍しいのではないかな。
同寺の十三重塔に刻まれた仏像とよく似ている。
十三重塔の浮彫石仏についてはこちら
異なるのは、十三重塔のものは身光と頭光を深く彫って表していたが、この仏像は挙身光となっている。十三重塔は鎌倉時代ということだが、これは墓室内のものなので、魚養の活躍し奈良時代のものなのだろう。
近くの頭塔の石仏は奈良時代のものだが、頭光と身光が浮彫されている。
頭塔についてはこちら

十輪院まで足を運ぶ人やグループはいるのだが、大抵は庭と魚養の墓を見ては去っていく。しかし、この小さなお寺は、それではもったいない。本堂に上がって、石仏龕を見なくては!

       十輪院3 十三重塔は鎌倉時代←  →元興寺1 極楽坊

関連項目
十輪院の石仏龕は本堂の奧
頭塔を見に行ったら


※参考文献
南都十輪院のリーフレット