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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/12/27

列柱道路に屋根?



ギリシアのテッサロニキにガレリウス帝の記念門の遺構が残っている。それは古代ローマ時代のエグナティア街道、現在のエグナティアス通りの北側にある。
記念門の北の方にはロトンダが見えるが、これはキリスト教時代にアギオス・ギオルギオス聖堂に変えられたガレリウス帝の墓廟だった。
この2つの建造物は初期キリスト教時代には列柱廊で繋がっていた。
そればかりではない。記念門はエグナティア街道をまたいで建てられているので、中央のアーチの幅は街道の幅に造られ、両側の小アーチは、街道の両端の歩道が屋根付きの列柱道路として復元図に描かれている。

『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、列柱道路による都市景観の壮麗化も属州で独自に発展したものであった。これは両側に柱を立てて並べた街路を指し、街路を一つの空間としてとらえて都市の景観を整備する方法で、パルミラなど小アジアやティムガドなどの北アフリカの都市で発達した。この列柱道路の交差点、屈折点、広場あるいはフォルムへの出入口には記念門、ニュンファエウム(泉水堂)・・・(略)

属州の建築活動が活発化し独自の発展を遂げるようになると、その当然の結果として、属州の建築が首都ローマやイタリアの建築にも影響を与えることとなったという。

しかし、列柱道路は古代ローマの都市遺跡で見てきたが、それが屋根付きだという説明を聞いた記憶がない。

トルコ、エフェソス

クレテス通り
ヘラクレスの門からケルスス図書館まで続く列柱道路。ここの列柱はモノリス(一石柱)だった。柱頭は不明。
アルカディアン通り
大劇場から港まで続いた通り。
ここもモノリスでコリントス式柱頭がのっている。

シリア、パルミラ

記念門からのびる列柱道路
長いドラムを積み重ね、コリントス式柱頭をのせている。
途中の出っ張りは実力者などの彫像をのせるためのもの。
列柱の上にはエンタブラチュアがのっている。
どの本で読んだのかもう忘れてしまったが、暑い地方なので、列柱があると日陰ができる。日陰に入ると少しは涼しい、そのために列柱道路にしたという。
また、誰に聞いたのか忘れてしまったが、柱と柱の間に布を結びつけて日陰をつくったという。

ヨルダン、ジェラシュ

列柱廊で囲まれた楕円形のフォルムから列柱道路が出ている。
街の中央交差点には四面門(テトラピュロン)があった。
列柱道路は更に北門まで延々続く。全長約600m。
長いドラムを重ね。コリントス式柱頭が、その上にはエンタブラチュアがのる。

ヨルダン、ペトラ

円形劇場からビザンティンの壁を右手に見ながら進むと突如左手に列柱道路が出現する。
復元作業中。今ではもっと立派になっているだろう。
何もないので短く感じるが、500mほどあり、凱旋門まで続く。
ここのドラムは短い。

これらの遺跡の説明に、列柱道路に屋根があったと書かれたものはなかった。テッサロニキのガレリウス帝の記念門付近にだけ、特別に屋根付きの列柱廊を付けたのかも。

関連項目
テッサロニキ1 ガレリウス帝の記念門と墓廟

※参考文献

「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館