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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/09/10

エピダウロスのトロス1 コリント式柱頭



エピダウロスのアスクレピオス神域には、⑥アスクレピオス神殿や⑦アバトンという治療センターの近くに円形の建物、⑨トロスがある。
それについてはこちら
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、医薬と治癒の神アスクレピオスの聖域中心部に位置する建築群の一つである。デルフォイの先例同様、ナオス外側の周柱はドーリス式、内側はコリント式であるが、各部の装飾ははるかに洗練され、豊かである。ドーリス式フリーズのメトープには花弁文様、周柱廊の天井格間にはアカンサスの花と百合の花、ナオス入口の脇柱にはレスボス風キュマティオンと花弁文様が施され、ナオスの内部では華麗なコリントス式柱頭が豊潤な装飾世界の頂点を形成していたという。
デルフィのトロスについては後日。

ナオス内側の円柱にコリント式柱頭が載っていたのだった。
『ギリシア美術紀行』は、バッサイのアポロン神殿で初めてコリントス式柱頭が使用されてから、このトロスの建造年代が碑銘記録の伝える前360-320年の間だとすれば、まだ1、2世代しか経っていないのに、トロスの柱頭は完全な形式美を備えているといってよく、これほど美しいものは以後の時代にも見出せないのではなかろうか。
トロスの近く注意深く特別に埋められていたこの柱頭は実際の建築に使用されたものではなく、それらの手本と考えられ、作行きと仕上げの入念さにおいて実際に使用されたものとは比較を絶しているという。
同書に記載されていたこの柱頭の図版では、下に短い円柱があったが、今回は壁際の台の上に置かれ、しかも、「触らないで下さい」という注意書きが前に置かれていた。触るつもりはないけれど、下の方が見えへんやん。
バッサイのアポロン神殿の柱頭はこちら
現地ガイドのジョージさんも、実際に使われたものではなく、モデルだろうと言っていた。
第2面
花はなくなっている。花には花柄というものがなく、柱から直接出ていた。アカンサスの葉や蔓とは関係のないものだった。
上に載せたアバクスは、その上にアーキトレーヴを載せるというのに、平らではなく、かなり湾曲しているのは何故だろう。
各面両端上部に伸びた蔓は力強いが透彫にはなっていない。
それらの蔓は、各角で隣り合う面の蔓と合流している。
それで、円柱の上に載った丸いはずの柱頭が四角く見えていたのか。
拡大すると、中央の蔓が渦巻きながら外へと出ているのがよくわかる。
そして、外側の蔓と渦巻の間の花も。
アカンサスの葉をモティーフにしたのがコリント式柱頭と思っていたが、中央の大きな花、小さな花をつけた蔓と3種類の植物の集合だった。小さな花と蔓も、それぞれ別の植物かも。
アカンサスの蕾の写真はこちら
第3面
『古代ギリシア美術紀行』は、一段目のアカンサスの葉の間から2倍の高さの二段目が伸び上がり、それぞれの先端部を舌のように外に反り返らせる。二段目の葉の間から大小の蕨手状の茎が生え出て、大は大同士、小は小同士、それぞれの先端がぶつかり合い、前者はアバカスの四隅を支え、後者は四面の中央でそれぞれ可憐な花のモティーフを載せる。この柱頭が簡潔端正な印象を与えるのは、後の柱頭に見かけるような繁茂する葉や茎が背後の所謂「篭」を覆い尽くしていないからであろう。そして植物の上昇する生命力みたいな力をその縦長の形態に託しているからであろうという。
アカンサスの葉は控えめな大きさで、その先端だけが反り返って柱頭から離れている。
『ギリシア都市の歩き方』は、ドーリス式(前7世紀末)およびイオニア式(前6世紀初)に続く、ギリシアの建築オーダーの三番目として登場するコリントス式は、柱頭を除いてすべての細部において、イオニア式のそれと同じ特徴を備える。しかし、その柱頭はアカンサス(はあざみ)の葉をあしらった意匠によって形成されている。これは、古代ローマの建築家ウィトルウィウスにしたがえば、前4世紀にカリマコスによって考案されたとされているという。
しかし、『世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム』は同神殿を前430-410年頃とする。
同書は、この神殿で初めて登場したコリントス式の円柱は、エピダウロス、テゲア、ネメアなどペロポネス半島の後期クラシックの神殿に用いられて意匠の洗練度を高めていったという。

コリント式柱頭 バッサイ・フィガリア、アポロン・エピクリオス神殿ナオス イクティノス作 前430-410年頃
『古代ギリシア美術紀行』は、建築史上最初のこのアディトンのコリントス柱頭は今は失われて存在しないが、正確なデッサンが残されているという。
このアバクスも上が平らではなかった。
これではアカンサスの葉がどれかわからない。ひょっとして、一番下に並んでいる蓮弁のようなもの?
今まで見たローマ時代のコリント式柱頭と比べてみると、

E神殿 コリントス 後1世紀後半
アウグストゥス帝が建立したと言われる神殿の再建されたもの。
アカンサスの葉が「篭」を覆い尽くし、蔓は「蔓」でなくなり、アバクスを支える装置のよう。花は剥がれているが、花柄に銘があって、その両側にアカンサスの小さな葉が出ている。
ベール神殿柱頭 シリア、パルミラ 後32年
背の高い柱頭を見上げると、アカンサスの葉が勢いよく外に飛び出していた。
その時は気づかなかったが、葉から出た華奢な蔓がアバクスの方に伸びているが、支える力強さはない。
花はアバクスよりも上、ほぼアーキトレーヴに接して咲いている。

ローマ劇場 舞台柱頭 シリア、ボスラ 後2世紀
トラヤヌス帝(在位98-117年)が建立したと言われる。
柱頭の一つ
アカンサスの葉は中に円柱が通ってるのがわからない程に繁っている。
蔓は円柱の上端から出て細いアバクスを支えている。
よく残っていないが、花柄は左右にうねりながらアバクスより上に伸び、コブラのような蕾を付けていた。他の面には花の開いたものもあったように記憶している。
さて、これからのギリシアの旅では、どのようなコリント式柱頭が見られるかな。

      ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文 
              →エピダウロスのトロス2 天井のアカンサス唐草

関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
アカンサス唐草文の最初は?
エピダウロス4 トロス
アカンサスの葉が唐草に

※参考文献
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「ギリシア都市の歩き方」 勝又俊雄 2000年 角川書店