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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/10/05

ソグド人の俑



唐三彩の俑で、ラクダに乗ったり、牽いたりしている人物甬は胡人と言われている。古い時代には「胡」という文字はペルシアを指しているとされてきた。胡瓜・胡麻など、「胡」の文字で表されるものは、ペルシアからシルクロードを経て中国にもたらされたということになっていた。
1980年に放送されたNHKの『シルクロード』でもペルシアとされてきたが、その後研究が進んだようで、2000年に放送された『新シルクロード』では、「胡人」はペルシア人ではなく、ソグド人だとされるようになっていた。

『図説中国文明史6 隋唐』は2006年に発行された本で、ソグド人として、今まで見たことのない人物加彩俑を挙げ、ソグド人の特徴を細かく描写している。

ソグド人の俑 陝西省礼泉張士貴墓出土 彩色 唐時代 高さ24㎝ 陝西省博物館蔵
この俑は中国に在住するソグド人ではなく、交易のため唐にやってきたソグド人を表しているのか、保存食を上着の内側に入れて携行する習慣をしっかりと捉えている。
どんな保存食だったのだろう。カチカチに乾燥したナンかな?
口髭はあっても、顎鬚ははやさないのがソグド人?しかし、深目高鼻で顎鬚があるのがソグド人の特徴ではなかったのだろうか。
韓国、慶州の掛陵に今も立ってる石人(統一新羅、798年頃)は顎鬚があって、ソグド人とされている。
慶州の石人についてはこちら

ところが同書では、ソグド人とされてきた人物俑のうち顎鬚のあるものについては、アラブ人などとされている。

馬に乗って狩りをするアラブ人 彩色俑 陝西省咸陽市乾県永泰公主墓出土 唐時代、7世紀末-8世紀初 通高32㎝長さ32.5㎝ 陝西省博物館蔵
同書は、アラブと唐の民間の経済交流も緊密でした。アラブ商人は宝石・香料・良種の馬を携え、キャラバンを組んで長安や洛陽を訪れ、 (略) アラブ人は海路で中国に来ることも多かった。
武則天のとき、中国に住んだアラブ人は、多くが長安・揚州・広州・泉州などに仮住まいしました。唐の墓地から出土した陶俑は、目が深く鼻が高くヒゲも多く、狩りをしている姿であり、アラブ人であろうという。
ソグド人にはフタコブラクダが合い、アラブ人には馬が合っているようなイメージがある。
三彩牽馬俑 唐、慶雲元年(710) 1995年節愍(せつびん)太子陵出土 高78.5㎝ 陝西省考古研究院蔵
『大唐皇帝陵展図録』は、節愍太子陵より三彩の飾り馬と馬牽きが3組出土している。目の彫りが深く鼻の高い顔立ちに、胡人の風貌があらわれているという。
帽子は上図のアラブ人が被るフェルト帽のようだうが、顎鬚がないのと服装からソグド人ということでよいだろう。
加彩俑 ラクダを牽く異民族商人の俑 陝西省西安市金郷県主墓 唐時代 商人:高さ43㎝ 西安市文物管理委員会蔵
ラクダには「砂漠の舟」という美称があり、シルクロードでは不可欠の輸送手段であった。多くの異民族商人が、ラクダを牽き、遠路をものともせず、東西の文化と交易に貢献したという。
どちらも深目高鼻のソグド人とアラブ人、異なるのは帽子の形と顎鬚の有無くらい。
口髭がよくわからないが、永泰公主墓出土のアラブ人の俑の特徴を供えているので、これはアラブ人かな。
フタコブラクダは中央アジア以東に棲息するするというが、アラブの商人たちも唐に至る道すがら、運搬力のあるラクダの扱いに習熟したのだろう。
漢人俑と胡人俑 加彩 西安市咸陽空港出土 北周(557-581年) 高さ43㎝ 所蔵不明
胡人俑は北周時代にすでに作られていた。この胡人俑の被る帽子は、張士貴墓出土のソグド人俑のものとも、永泰公主墓出土のアラブ人の俑とも異なっている。
6世紀後半という時代は、まだイスラーム教が成立していない。これはイスラーム化するまでのアラブ人だろうか。
口髭を蓄えているといっても、帽子がアラブ人のものと異なるので、ひょっとしてこれがペルシア人かも。
イスラーム成立がムハンマドが神の啓示を受けた610年なら、その前後に中国に来たアラブ人の俑もある。

アラブ商人の俑 河南省安陽張盛墓出土 隋(581-618年) 高さ27㎝ 河南省博物院蔵
帽子を被っていないので、顔の特徴がよく表現されている。眉が一本に続く特徴はテュルク系かと思っていたが、アラブ人にもいるらしい。
ソグド人は上着とベルトの間に保存食を入れて歩き、アラブ人は立体的な襟の中に保存食を入れて歩いたようだ。
その保存食は、アラブ人ならナツメヤシの実のはず。これだけ長く膨らんだ襟をいっぱいにするほどナツメヤシの実を入れると、かなりの重量になっただろう。
ではこの俑はどちとらを表しているのだろうか。

三彩騎駝楽人 唐(8世紀) 陝西省西安市南何村鮮于庭誨墓(開元11年、723)出土 通高66.5㎝ 北京市、社会科学院考古研究所蔵
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、台上の四隅にはそれぞれひとりの楽人が腰掛けている。いずれも幞頭で漢人・胡人各2名からなる。台の中央にはひとりの胡人が立っている。深目高鼻で縮れた鬚髯をたくわえ、頭部を幞頭とし、身には緑色で丸襟、筒袖の長衫をつけ、腰にベルトを帯び、前裾をまくりあげて腰に挟み込み、足に長靴を履いている。右手を胸の前に振り上げ、左手は袖のなかに入れてねじるように後ろへ振り、舞踏を演じるかのようなさまを表しており、これらは胡騰舞の彫像と考えられるという。
唐時代、敦煌莫高窟の阿弥陀経変図などに描かれているのは胡旋舞で、ソグド人が唐にもたらしたと何かで読んだことがある。
第220窟南壁阿弥陀経変図(初唐、618-712年)にも表されている。

ところがラクダの上で演じているのは、胡旋舞ではなく胡騰舞という。
『中国★美の十字路展図録』は、「胡人楽舞文扁壺」の解説で、蓮花座の上で胡騰舞を演ずる舞手を中心に、左右に2人ずつ琵琶、横笛、シンバルなどを奏する楽人が配される。胡騰舞は胡旋舞と並ぶ中央アジアの代表的舞踊で、 (略) ソグディアナの石国(現:中央アジア・タシュケント)で生まれた舞踊といわれるという。
ということは、このアラブ人にも見える人物はソグド人だった。 
ソグド人とアラブ人、帽子や顎鬚だけで判断することはできないことがわかった。

※参考文献
「図説中国文明史6 隋唐 開かれた文明」 稲畑耕一郎監修 劉煒編 2006年 創元社 「平城遷都1300年記念春期特別展 大唐皇帝陵展図録」 2010年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
「ユーラシアの風 新羅へ展図録」 2009年 山川出版社
「世界美術大全集東洋編4 隋・唐」 百端秋穂・中野徹編集 1997年 小学館
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寛・出川哲朗監修 2005-2006年 大広