お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/06/05

アルメニアの建築がセルジューク朝に


平たい焼成レンガでドームを造るには、焼成レンガを水平に並べ、その上は少し持ち送って並べるということを繰り返していく。

イスタンブールのグランド・バザールは、トルコ語ではカパル・チャルシュ Kapali Çarsiと呼ばれる広大な屋根付きの商店街で、その中にベデステン Bedestenと呼ばれる古い造りの商店街が2つある。何かの本でビザンティン時代に遡るというようなことが書いてあった。
ベデステンは天井に小さなドームが並んでいて、中には漆喰が剝がれてしまったドームがあったりした。
見上げてなるほどと納得した。当時はドームそのものではなく、正方形の平面からドームへどのように移行していくかに興味があったのだが、ベデステンの低い位置にあるドームは、ペンデンティブを用いていることよりも、ドームそのものに興味を持つきっかけとなった。
『トルコ・イスラム建築』は、エルズルム・ウル・ジャーミイはサルトゥク朝によって1179年に建てられ、その後何度も大幅な修理を受けた建物である。ミフラーブ前には直径10m強の木造のドームを架けてマクスーラとしているという。

木造ドームということで、焼成レンガ造のドームと同じように木の板を焼成レンガ程度に切って持ち送りでドームを架けていったのだろうと思っていた。
ところが、板はずっと大きく、下から三角形に見えるような大きさの長方形のものをずらしながら持ち送っていったものだった。
三角形と言えば、ラテルネンデッケの部品である。

『アルメニア共和国の建築と風土』は、初期共和国内教会堂のスキンチは、ペンデンティブのようにアーチ間入隅の三角面に用いるのではなく、むしろ木造の井桁を段階的に張り出し円錐形の天井を構成する手法を援用したものとも解釈できる。
こうした木造の井桁をずらしながら積み上げ擬似ドームを構成する手法は、伝統的なアルメニアの住宅でかつては一般的に使用されていたという。
井桁を45度ずつずらして、上に積み上げていくというのはラテルネンデッケと同じだ。
そう言えば『アフガニスタン遺跡と秘宝』は、ラテルネンデッケの天井とは、方形の天井の四隅に斜めに梁木を架して、ひとまわり小さい方形の枠を作り、それを積み重ねることによって中心を上に向かって次第に狭めてゆき、最も小さくなった中心頂にドームを載せるのである。方形を直角に交叉させるため、隅に三角形ができることから、「三角隅持送り天井」と呼ばれている。現在、アルメニア、パミール、ヒンドゥクシュの山中やカシュミール地方の木造家屋など、一般の民家でもこの天井がみられるとしていた。
神谷武夫氏のイスラーム建築の中に、アルメニア、ゲタシェンのアラケロツ・ヴァンクの画像が独立して出てきた。元のページがわからないので、建立年などが不明だが、ガヴィットの明かり取りが、石造で小さな三角を持ち送っていくことによって円形へと近づけている。八角形らしい。
アルメニアの住宅でもラテルネンデッケを幾重にも積み上げて円錐形にした天井があったのなら、エルズルムの古民家レストランで見かけたこの天井の架構法は、セルジューク朝がこの地にやってきた時、周囲のアルメニアの民家にはありふれたものだったのだ。
ウル・ジャーミイの木造ドームも、アルメニアの木造ドームを応用したものだったことになる。
ドーム架構形式からみたアルメニア共和国の初期教会堂の系譜 : アルメニア共和国におけるキリスト教建築の研究 1という論文(2002年)は5世紀の文献ではアルメニア古語でドームに相当するgmbetという用語が現れることから、この時代までにはドーム架構が一般化したと捉えることができるという。
そのドームも、このような小さな三角形をずらして積み上げてできあがったものだったのだろう。

gmbetはアルメニアでどのように発音するのか分からないが、これはセルジューク朝以来のトルコの墓廟、キュンベットの元になった言葉ではないだろうか。
『東アナトリアの歴史建築』は、アルメニア建築のドラム・ドームの構成をそのまま採用したものと言えるという。
言葉だけでなく、円筒の上に円錐ドームの載った形そのものもアルメニア建築から借用していた。
ヤクティエ神学校のキュンベットについてはこちら
同じくエルズルムで最古のエミール・サルトゥク・キュンベット(1189年)は、円筒の下に八角形の胴部がついているが、それぞれが教会の切り妻屋根を模したようでもある。
エミール・サルトゥク・キュンベットについてはこちら
アルメニアのキリスト教会のドーム マカラヴァンク Makaravank修道院の教会 9-13世紀
円筒ドームを下から見上げると、そのように見えるような気もする。
アルメニア、セルジューク朝を含む東アナトリアでは、イスラームの建築や意匠をアルメニアのキリスト教会が採用したり、代々受け継がれた天井のドーム架構や、キリスト教会の明かり取りのドラム・ドームをイスラーム建築に用いたりと、相互で影響し合っていた。
それは、キリスト教会を建てていたアルメニアの建築家が、セルジューク朝の建物も建てたためかも。

関連項目
キジルやバーミヤーンのラテルネンデッケは
ラテルネンデッケの最古はニサではなくトラキア?
エルズルム 民家レストランにラテルネンデッケ
エルズルム ウチュ・キュンベット
エルズルム ヤクティエ神学校

※参考サイト
ドーム架構形式からみたアルメニア共和国の初期教会堂の系譜 : アルメニア共和国におけるキリスト教建築の研究 1
神谷武夫氏のゲタシェンのアラケロツ・ヴァンク、ガヴィットの石造ラテルネンデッケ天井

※参考文献
「東アナトリアの歴史建築 Stone Arks in Oblivion」篠野志郎 2011年 彩流社
「アルメニア共和国の建築と風土 Out of the Frame」篠野志郎 2007年彩流社
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル