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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/06/01

アーチ・ネットは何故アルメニア教会にもあるのか




アーチ・ネットは後ウマイヤ朝(756-1031年)の首都コルドバで10世紀半ば頃に誕生したとされている。

『イスラーム建築のみかた』は、初期のアーチ・ネットで提示されたリブは、どのような歴史をたどるのであろうか。リブは、本来は肋骨として構造的な役割を期待された。しかし、それらが織りなす配置が美しいと認められ次第に意匠へと転じていった。
11世紀頃には大ドームを構築するためにリブを使った例が、イランのイスファハーンやトぅルクメニスタンのメルブなどに残っているという。

ドーム イスファハーンの金曜モスク、ゴンバディ・ハーキ 1083年
ドームを支えるリブというよりは、幾何学的な装飾文様に見える。確かに意匠になってしまっている。
メルヴで11世紀の建物というと、スルタン・サンジャール廟のことだろうか。

スルタン・サンジャール廟 Mausoleum of Sultan Sanjar 1086-1157年
2002-04年に、現トルコ共和国が、自分たちの先祖の廟ということで、荒廃していた廟を修復した。そのために新しい感じで、その上創建時には無かったような白い塗料が早々に剝がれていて、あまり印象はよくなかった。
蛇足だが、何故修復後すぐに傷んでしまったのかというと、旧ソ連時代にアムダリヤ川から水路を引いて砂漠を農地に変えようとしたため地下水が上昇して、建物の下の方から水分が上がってきているかららしい。
ドームも修復時に線描したものだろう程度にしか思わなかったので、コルドバのメスキータの流れを汲むアーチ・ネットとは思いもしなかった。
ドーム頂部には小さな8点星がうる。この8点星を構成する線を複雑に交差させて出来上がったものだと思っていた。 
『東アナトリアの歴史建築』には、カルス郊外に、やはり11世紀建立というアルメニア教会の写真があった。そのドームには細いリブのドームがあった。
後陣のドーム カルス郊外、ハヴァリレル・キリセ Havariler Kilise 11世紀
部分的な図版なので正確なことはわからないが、ドーム頂部から12本のリブが12個の窓へと伸びて、その先端が丸く広がっている。
リブのあるドームだがアーチ・ネットではない。
太いリブのあるアーチ・ネット ホラケルティヴァンク修道院 12-13世紀
非常にイスラーム的なドームだが、ドーム頂部にだけムカルナスのあるドームや、ムカルナスとアーチ・ネットをこのように組み合わせたイスラーム建築はない。
それなのにアルメニアのキリスト教会には存在するのだ。
10世紀にコルドバのメスキータで誕生したこのような太い籠状のリブがの設計図が、12-13世紀になってアルメニアへと伝わったのだろうか。
それとも、全くの創意から、たまたまコルドバのメスキータに似たアーチ・ネットがアルメニアに出現したのだろうか。

関連項目
アーチ・ネットは後ウマイヤ朝が起源
アーチネットがアルメニアのキリスト教会に
イスラームのムカルナスがアルメニア教会に
ペンデンティブの起源はアルメニアではない

※参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版